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脳梗塞(サドンデス)

2015年3月23日 (月曜日)

刻一刻と過ぎゆく時間

【- Walk Don't Run -】遺す言葉 のシリーズのなかの15番目

 

遺す言葉 - 15

 

向き合うということ ─ 平成25年秋へと

 

に関連する話を書きます。

 


1年半前にお見舞いに行きました叔父が23日の朝になくなりました。直接の死因はまだわたしには届いてこない状況ですが、わたしの父が66歳、もう一人の叔父が70歳、そしてこのたび亡くなった叔父が一番弟で75歳で逝きました。

 

男性は3兄弟でみんな短命です。ガンなどのような手ごわいとされる病気ではなく、ごくありふれた身近に耳にする病気ばかりです。もちろんありふれた病気を軽視するわけではないのですが、早くから病気の症状を予測して対処をしていたにも関わらず、儚くも短い結果となりました。心臓が特別に弱いと言われたわけでもなく、タバコは早々に控えて晩年は断ち切っていましたし、食事の栄養配分や塩分濃度などにも気をつけている(夫婦の)対話を何度も耳にしました。

 

短命とは、運命でないか、とこのごろになって確信を持っています。だから、どう騒ぐわけでもないし、対応することもできない。あり余るほどに飛び交う情報を大切にして手を打つことも、それほど精一杯できるものでもない。

 

現在という時間が流れている一種の時空間には、地球とか太陽系が支配する時の流れというものがあり、それによって時間が定義され、人間の生命の周期という80余年の寿命・節目が存在するにすぎない。だから、運命が人それぞれである以上、周期に差異があっても仕方がないし、カラダは千差万別であるわけで寿命もそれぞれでしょう。

 

だから、わたしも短命の血脈をいただいているわけでして、刻一刻とそのときに近づくわけです。

 

 

2013年8月15日 (木曜日)

脳梗塞 その6 ─ 向きあう人たち

▼現場の所感

 

医療や介護の立場で、職業としてこのような人と接している人々は、どのように感じているのだろうか。冷静な視点で見つめながらも、実態をどのようの捉えているのか。また、実態をどのように変えていくべきか、という所感があるに違いない。そこを聞きたい。

 

▼身内の人

 

身内は大変でしょう、というようなお涙頂戴だけの言葉じゃ済まされない迫った現場にいるのだと思う。ニュースの一面では、病気の妻/夫を殺してから自分も人生を断ったというような例も珍しくない。その現実の重みは、このような特殊な状況であるだけに封印状態なのだろう。生きていくためにはお金がいる時代になっている。さて、実態とその心理が気に掛かる。金のない貧乏人は、自殺するしかないの?死ぬ動作さえ出来ない人は?

 

▼他人の視点

 

現代社会。椅子取りゲーム的な生き方をして、生き残れば勝ち組であると考えたり、潜在的に自分が助かればラッキーと考える時代です。健康福祉に対する行政の姿勢の転換も手伝って十年余前から、一部の人達の暮らしは地獄になっているのではないだろうか。しかし、「私には関係ないよ」という人たちの視線は冷たく、そのまま政治改革に反映されていく。不公平やアンバランスが放置されすぎていませんか、と問いたい。

 

▼本人の心

 

倒れた本人はおそらく誰にも理解してもらえない苦しさと悔しさに満ちた毎日を送っているだろう。その人達にとれば、毎日という感覚よりも刻々と過ぎる時間をどう送るのかさえ苦痛なのだろう。誰も本心を聞き出せない。それは、認知症の人の心の奥に潜んでいる叫びを穿り出すのとも似ている。

 

▼医学や医療の現場

 

脳科学者が体裁よく注目を浴びて、ええカッコして、いかにも科学は凄いというアピールを見るたびに、もっと泥々した部分にもメスを入れろと思う。素人の想像の話だが、心と脳細胞は直結しているのだろうから、探り出せなくなった人の心の変化を読み出すなど、もっと現実的なことを考えれば、身体の動きや言語を失った人から、視線や視点、身体の微妙な動きや反応をセンシングして、それを表現力に変換するなどをすれば、幾つかの感覚や動作を失った人であっても、目線でパソコンが操作できたり文章が書けるようになるなど、感情表現が可能になるだろう。きっと、そんな研究は進んでいるだろうけど、届いてこないのは何故なのだろうか。

 

2013年8月11日 (日曜日)

脳梗塞 その5 ─ (現実)

┘┘
┘┛自分の不安
┘┘

 

当然、自分が不安になります。ツマと私。どっちかが先に逝きます。必ずどちらかが残る。順番からすれば子どもが残ります。

 

昔、父と母が二人でドライブに行った時の話をしてくれたことがあります。県境の山深い谷を控えた道を走っていたのでしょうか。「このまま二人でダムの水の底に沈めば楽やな」と言い合ったと話してくれました。その言葉の意味や理由は多くの人が理解できると思いますが、そのように考えるに至った過程や心情を細かく分析すると解らないことも次々と出てきます。

 

父は6年間の闘病生活を経て4ヶ月の苦しい時期を乗り越えて数時間の地獄の時間を送ったあとに逝きました。診断書から推測するしかないのですが、事実を語るものは何も残っていない。私が後を追って確かめるしか手立てはない。

 

┘┘
┘┛脳梗塞の現場
┘┘

 

生きておれないと宣言されて生きていた。寝たきりと言われていたが、週4日のデイサービスに通えるまでになっている。自力で自室なら辛うじて歩けてトイレも行ける。

 

しかし、照明の自動設定が私たち来客者によって変わってしまったら、次にトイレに行ったときに困ってしまう。叫んでもツマにすぐには届かない。

 

そこには治療の現実の他に介護の現実があり、病気がもたらす生活の実態がありました。

 

先にも書きましたが、お金もかかるし(マンションなどの)社会的な付き合いも迫られる、生まれ故郷を訪ねて行きたいという願望も湧き上がることがありましょう。

 

┘┘
┘┛やがて、私も
┘┘

 

みなさん、どのように向き合っているのでしょうか。やがて私が向き合う現実と重ねます。それって誰もが直面することですね。

続く

2013年8月10日 (土曜日)

脳梗塞 その4 ─ (暮らし)

┘┘
┘┛叔母さんは申年
┘┘

 

叔母さん私より13歳年上で申年です。私からすれば歳の離れたお姉さんのような感じです。夫婦は仲良しだったし、お互いがよく理解し合えていたようですから、羨ましい仲良し夫婦でした。だから、一生懸命に世話ができるし、世話をしているときも通じ合うものが多いのではないかと思います。この年令で車にも乗れるのが幸いです。

 

近所の釣り堀に出かける話を聞いたときはホッとしました。しかし、13歳下の私でさえ車に乗りあれこれと忙しくするのはもう嫌やな……と思うことがありますから、叔母さんも弱音を吐きたいときもあろうかと思います。でも、それも質問はできません。

 

┘┘
┘┛娘二人と息子
┘┘

 

子どもは三人です。長女次女長男の順で、女の子は東京に行ってしまい、男の子は近所にいます。親子というものを考えさせられます。

 

子どもはどこまで親を思うものなのか。どこまで世話をするものなのか。孫がいますが、孫が来てくれると嬉しいようです。

 

しかし、一時は自由にならない身体の周りで走り回る孫たちに癇癪を起こしたこともあるようでした。それで普通だと思いますし、何とかしてあげたいとも思う。

 

子どもは想像するほど親のことを思っていないように見えます。生きているからそんなふうになるのでしょう。死んでしまって10年以上も過ぎ呼び戻せなくなったとき、子どもは決して(思いは同じでも)おこないは違ってきましょう。

 

┘┘
┘┛暮らし
┘┘

 

あまり書いてあるもので読むことがないのですが、お金のことを(現実的なことを)明かさないように思います。介護をするには金が掛かるでしょうに、そのことで愚痴や嘆きや不満を吐き出す人が多くは目立たない。言っても仕方ないという諦めなのか、現実と受け止めて望みをしてて時期を待っているのか。

 

金が掛かるはずですが、現代社会のみなさんはどうしているのでしょうか。

 

私が現実に直面したら、即座に金庫は空です。餓死はないと思いますが、行き届かない日常を送ることになりましょう。首を吊って命を絶った人の話を聞きます。しかしこれも表面化しない大きな問題で、実は大きな流れではないか。

 

(続く)

 

2013年8月 9日 (金曜日)

脳梗塞 その3 ─ (その人)

┘┘

 

┘┛血圧が高かった。

 

┘┘

 

本態性高血圧であった私の父も高血圧症で脳梗塞でした。しかし、投薬はしていましたが、食事を心得るようなこともせず、生活に気を配ることもしていなかったと思います。一方で叔父のほうは、食事中にもうどんのスープを飲もうとするところを叔母さんが厳しく注意したり、塩分の高いものをパクパクと食べようとすると普段から咎めていました。素直に応じていたとも言えませんが、何らかのブレーキにはなっていたと思います。

 

┘┘

 

┘┛亭主関白で自由奔放な人

 

┘┘

 

叔母さんの言うことなどは、外食などでは気にかけていなかったのでしょう。社会的にも地位・名誉も揃った立派な人ですし、お小遣いがあってもなくても親分肌で、面倒見が良かったし、憎まれることも言わない人だから、人付き合いも広かった。定年後もその勢いだったのでしょう。

 

┘┘

 

┘┛長嶋茂雄さんが脳梗塞ですね

 

┘┘

 

長嶋さんがテレビに出ていたのを国民栄誉賞のニュースで見た覚えがありますが、杖を突いて立っているだけなら叔父さんもそれほど変わりません。背筋をまっすぐにして顔もキリッと引き締まっています。長島さんの症状がどのようなもので、日ごろどのような治療をして、どんな暮らしなのかはわかりませんけれども、自由に動けなくなったのでさぞや悔しい思いをされているのでしょう。叔父さんも高校野球をしていましたし、社会人になってからはスキーや登山、釣りなど活動的でした。

 

 

 

 

2013年8月 6日 (火曜日)

脳梗塞 その2 ─ (面会)

┘┘

 

┘┛無表情

 

┘┘

 

叔父さんのお見舞いに行くのは2度目です。発病して直後くらいに病院へ見舞いに行きました。そのときは簡単な会話ができました。しかし、今回は僅か4年ほどしか経っていないのですが、言葉が不自由そうだったのでショックを受けたのです。もしも、寝たままになったとしても、感情を表せる手段が残ることは、依り所が残ります。無表情にいる叔父さんを見ていて、様々な思いが駆け巡ったのでした。

 

┘┘

 

┘┛感情のやり場

 

┘┘

 

手足が動かない、言葉が喋れない。これは、苦しいことです。歓びや悲しみを伝達できない。それはすなわち、愉しみを自分の中に持てないことになってくる。愉しみがないのに生きる勢いが生まれるのだるか、とマイナス思考に陥ってしまいます。私は苦しい、辛い、と同時に怖いとも思いました。今を自由に生きてきているだけに地獄にいるような感覚です。しかし、叔父さんはそんなことを思わず生きているし頑張って夫婦で(介護を受けて)暮らしている。釣り堀にも行くし、デイサービスも週に4日行くと言ってました。ささやかな対話が夫婦の間に存在するからなのだろうか。それも質問はできませんでした。

 

 

 

 

2013年8月 5日 (月曜日)

脳梗塞 その1 ─ お見舞い

┘┘

 

┘┛叔父は辰年。

 

┘┘

 

私の父の一番下の弟です。1940年生まれです。4年ほど前に脳梗塞で倒れ重度の症状が出て右半身不随。言葉もかなり不自由です。それ以上詳しいことは、叔母さんによう聞かんのでわかりません。脳みその60%が詰まってしまっていると叔母さんは説明してくれました。

 

┘┘

 

┘┛無知でした。

 

┘┘

 

こういう病気や症状を持っている人について私は無知でした。脳梗塞で倒れた人が身体が不自由になることを言葉で知っていましたが、現実を見たのは初めてでした。知らないことはいけないことだったと思います。知らずして社会を論じることは出来ない。そういうこと(病気の側面の他に、介護、家庭内問題、夫婦、お金など)をしっかりと考えなくてはならないのは、私たち元気な人の使命であると思いました。もちろん、自分がやがて直面するのですが、それ以前に、もっと向きあうべきでした。

 

┘┘

 

┘┛現実の裏

 

┘┘

 

それぞれのみなさんはどのような気持ちでこのような人と向き合っているのか。叔母さんが話してくれなかった現実や言えないこと、きっとたくさんあるはずだ。そういうことにもっと触れて、理解し無くてはならない。そう思っています。介護や医療の立場の人の視点からの所感なども大いに聞きたい。

 

┘┘

 

┘┛お恥ずかしながら

 

┘┘

 

私も今ごろになって夏の健康診断で、腎臓の機能の指標であるクレアチニンがやや高いと指摘されました。実はもう少し前から指摘されていたのですが、太りすぎで高血圧だから、まずそれを治してからと考えて安易に対応していました。しかし、今年の健康診断は、容赦なくしきい値を超えて警告マークをチェックしていました。数字だけを見ればそれほどの変化ではなくても、いよいよ私も取り組まねばならない。そういう時期を迎えている。8月から切りの良いところでお酒を断って(減らして)数字上の改善結果を得る努力に挑戦しようとちょうど考えていたときに叔父さんのお見舞いに出かけたわけです。

 

 

 

 

2012年1月 7日 (土曜日)

胃潰瘍吐血により

平成10年1月22日午前11時35分、私の父は「胃潰瘍吐血」により死亡した。

 

 

死亡診断書

 

 

これが死亡診断書の一部だ。

 

そのとき私は仕事中で、昼すぎに電話連絡を受けたことだけを覚えている。

 

いつもそばにいたわけではなかった。脳梗塞で倒れたときも、一二度入院先の病院に顔を見に行っただけで、やがてこんな形で死んでしまうことの現実的な予想はしていなかった。というか、できなかったのだろう。

 

18歳で家を出て、東京で6年間、京都で9年ほど暮らしてから古里に帰ってきた。車で1時間弱で顔を見に行ける所だ。そこに住み移って7年ほど、近くにいたことになる。

 

しかし、それほど古里の家には寄らなかった。弟がそばにいてくれたこともある。普通に子育てをして仕事に行くサラリーマンをしていると、1時間ほどの所に住んでいれば慌てることも無く心配ごとも無く、自分の家庭の幸せだけを拠りどころにして毎日を暮らしていた。

 

ヒトは、失ってから初めてモノゴトの本質を見つめ始め、あらゆることの歴史的な生い立ちからそのときまでの時系列の凸凹を振り返るときに、逝ってしまった人間が何を最も伝えたかったのかを知り、多くの疑問が残されたことにも気づく。

 

この資料から分かるように、生死をさまよった私の父の最期の4日間と4時間に、果たしてどんな言葉が誰と交わされ、当人は誰かに何かを伝えようとはしなかったのかどうか、というようなことが埋もれたままなのだ。

 

そこにある計り知れないほどのたくさんの不明を、さまざまな人々の語りや自分の記憶から手繰り寄せねばならないのだと、この日付から十年以上も経って思うのだから、ほとほと自分は愚かだと思う。

2003年1月25日 (土曜日)

痛み <2003年1月下旬号>

銀マド  / 痛み   

 

▼一九九七年の年末、県立一志病院を父は退院した。しかし、この退院の理由は病気が完治したことではなく、患者に徘徊症状が顕著に表れるために内科として病院が預かるには限界がある、というものであった。

 

▼当該内科に直接関連しない関係者の常識的推測や病院事情に詳しい人の話を統合し整理すると、その理由はもっと簡潔で我々にもわかりやすいものであった。つまり、徘徊をするため医師が嫌がったようにも見せかけながら、実際のところは看護婦がそのような患者の面倒をみるのを強く拒否したため、主治医であったY医師の口から、自分たちの病院ではなく然るべき(精神科などを備えた)病院に転院をするのが望ましい、と言わせたというのである。まあ、このような経緯で退院となった。

 

▼Y医師は脳梗塞や脳内出血などで体に障害の残った人のリハビリテーションを専門的に研究し協議する医療研究協議会グループを作り公的に活動している、ということを、後になって私は知った。死後数年経ってしまってからのことで非常に残念だが、もしも、退院理由の事実や真意を即時に知ったとしても打つ手はなかったのかもしれないだろう。ただ、脳内出血が原因で徘徊などの病状がでることがあるらしく、脳のどの部位かに支障をきたして、これが原因で徘徊のような行動が出始めたのならば、この時点からY医師の率いる内科の医師が最後まで責任を持ち、治療を施し、必要に応じて脳神経外科を紹介したり精神科的分野からの治癒も含めて何らかの対応できたのではないか。患者側からはその治療処方についてもっと相談することは可能であったはずである。医師としての常識に欠如はなかったか。然らば私等も患者側も医者を信頼することができるようになる。Y医師は後にこの県立病院の院長にまでなってゆく人である。しかし、今更、彼女に面会を求める理由もない。

 

▼年末に退院をした父は、病院を転院するための紹介状も書いてもらうことなく家で年を越したが、ある人の計らいで隣の町にある榊原病院の精神科のA医師にお世話になれることになった。A医師も、Y医師が参加している協議会グループのメンバーである。転院を受け入れるために最初に診察をして、A医師は「こんなひどい状態になるまで放置して、一体、(医師として)どういう神経をしてるんや」、と怒ったと当事に付き添った者が証言している。A医師は、年始から二十日間ほど非常に多忙にもかかわらず、個人の携帯電話でも病状の相談を受けて患者のことを気に掛けてくださっていた、と聞いた。しかしながら、やっと入院の準備が整いつつあった二十二日に父は入院を目前に逝ってしまった。死を判定してくださったのは最寄の診療所のM医師で、診断書での死因は心不全。脳内出血患者の多くが高血圧を起因とし併発している胃潰瘍の出血も伴っていたという。

 

▼一九九八年一月二十四日の葬儀には小雪が舞い、木枯らしが吹き荒れた。

 

▼息が絶える少し前の、平常に対話ができるころのことだと推測するが、M医師が往診で計測した血圧値(シストリック)が280mmHgであったという。皮膚から血が滲み出てもおかしくないほどである。寒さが厳しくなるとこの血圧値は、人体の各所に対し相対的に非常に高くなったとみなしてよいだろう。

 

▼決して痛みを伴わないからことさら怖い。痛みを伴わなわず、本体を蝕むものは幾らでもある。肝に銘じて、仕事にも健康にも気をつけたい。  【ねこ】 ─ 1月8日

 

(追記)

 

県立一志病院のポリシーがWEBサイトのなかに掲げてあった。

 

    1. 患者様の人権を尊重する医療を追求します

 

    1. 県民と地域の信頼を得る医療を追求します

 

  1. 常に時代や環境を先取りし、求められるサービスを実践します

 

痛みを感じない人が掲げてもそれは無意味に近いことが容易に想像できる。県立一志病院のY院長は、このポリシーを決して実践できていたとは認めがたい処置であったことは、結果が語っている。

 

死亡診断書

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