願いごとないと言ったら嘘になる ─ 小暑篇
凸凹の少ない日常を送っている。そんな筈ではなかったと気がついたときは遅かった。
体力がないだけではなく、新しいものに反応したり食らいついてゆくスタミナもなくしつつあるのだった。
七夕の夜は、沖縄の南にいる台風8号の影響もあって曇り気味で、星空などは見えない。見えなかったと書いておかねば忘れてしまうような不安が襲う日々を過ごす。
豪雨災害のニュースが続いてパタリと梅雨が開けて夏になるのが七夕のころの特徴なのだと思っているのに、思い切り地面を叩く雨を今年は見かけないままだ。そんな夏があってもいいのだろうけど、筋書きが外れるとその後が少し怖い。
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友だちに葉書を書いた。
自分がいちばんボケにくいと自信を持っていても、多かれ少なかれ心配なり対策なりをしなくてはならない年齢が近づいてきました。健康には気をつけましょう。それが一番大事ですね。うちはまだ娘がお嫁にいきません。なかなか決心がつかないのも世相なのかもしれません。
そんなようなことを書いた意味のない手紙になったけど、わたしたちの人生はそんな意味のないことを交わすステップが日常に求められている。それは、何も恥ずかしいことではなく、むかしからそうだったのではないか。
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七夕には
▼雨だとか晴れだとかよりプロポーズ
▼星のない夜よ貴方を独り占め
▼七夕は雨がよろしい蛇の目傘
▼笹の葉に飾りきれない願いごと
とつぶやき、あくる日には
▼初蝉や鳴いて哀しい学期末
▼初蝉を追うてさまよう森の中
▼キミのいた石段坂も夏休み
▼ぴょんぴょんと水たまり飛び越して夏になる
とつぶやいて、そのあとに
きのうは、小暑でたなばたさま。夏もいよいよ本格化します。仕事帰りに駅前で、カレー屋から出てきた高校生に試験は終わったかと聞いてみた。
休み明けにあります。
今日はクラブが休みで、息抜きで飯食いに来ました。
野球部です。
暑っついです。
と話してくれた。
と書き足している。
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二十数年前のそんな暑い夏にムスメが生まれた。わたしがぼんやり屋なのか、記憶とはそんなものなのか、1987年の7月9日の朝は晴れていて、まさに暑い夏の始まりであったということくらいしか記憶にない。今の時代なら想像もつかないのだろうが、わたしは仕事に出かけて、お昼すぎに職場に電話連絡をもらって五条にある市民病院へと駆けつけたのを覚えている。
アパートにはエアコンがついていて、それはムスメが生まれるからといって夏を迎える前に買ったエアコンで、その後も何度かの引っ越しに持ち歩いてゆくことになるものだ。実は今の家の寝室に最後に移設したのだが、四五年前から冷えなくなったので放置したままになっている。(我が家はエアコンなしの生活を送っているのです)
こうして思い出してみると、古文書が蝕んでボロボロになってしまっているように、頭のなかのあのころのページが断片化されている。消えてしまったものもあるのかもしれないし、わたしが無理やり思い出そうとしないから欠落したままになっているのかもしれない。
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むかし、小学生だったころに、七夕飾りの短冊にわたしは何て書いたのだろうか。卒業の文集には「アナウンサーになりたい」とはっきり書いているのだが、それは一時的なものではなかろうか。もっと子どものころには船乗りになりたかったのだ。この夢はわりとわたしの中で筋を通し続けて、事あるごとに蘇ってきており、今でも大きな港町で海上保安庁の巡視艇を見たりすると、奮えるものがあるある。
現実路線を選んだのか、自分にはチカラがないと悟ったのか、それとも、長考の末に候補にしていた次の一手を打つ瞬間に、全く思いつきの(横から割り込まれたような)一手を打ってしまったときのように今の世界に飛び込んだのだろうか。神様もわたしもわからない。あのとき、あの人に出会わなければ‥‥みたいな回想は幾つもある。
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もうすぐ一学期が終わる。むかしと違って今の暦での七夕は、雨に降られることが多い。そのことを悔しく思ったり残念がったりしたこともなく、今も昔も
▼星のない夜よ貴方を独り占め
▼七夕は雨がよろしい蛇の目傘
のように感じでいる。
悩みごとはないけれど、出っぱってきたおなかがいろんなところでつっかえることが多くなってきた。
かと言ってそれほどにも困らない。
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