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父の背中

2017年5月20日 (土曜日)

人生なんて 出番など ないままそっと 幕が降りる

人生 あるときに到達すると

何かを遺しておかねばならないと

ふと気づくわけです

 

しかしながら

たいてい そのときはすでに遅いんです

 

親は死んでしまっていないし

恩返しもできなくなっている

 

嗚呼

還暦のお祝いもしなかった

初任給で何も買ってやらなかった

 

そういえば誕生日も父の日も何も贈り物をしなかった

 

挙げ句の果てには

 

いつかは一緒にお酒でも飲もうと願いながら

染み染みと食卓に向かい合いながら

盃を酌み交わしたこともなかった

 

葬式が終わって一人で酒を飲む

 

そんな感じだったかもしれんなあ

と今になって振り返るのだ

 

♠︎

 

子どもに何か遺そうと思うことも出てくる

 

けれども

 

子どもの方からすれば

すでに自立しているわけで

時代も変わっている

 

旦那さんもいるし

子どももできて

新しいステージが始まっている

 

子どもからすれば

親の遺すものなんてのは資産であればありがたいが

言葉や小言はそれほどありがたくないのだ

 

特別に自分が弱っているとか

負けそうになっているとか

悩んでいる真っ最中なら

とうさん・かあさんなら何て言うのだろう

と思うこともあろうけど

 

 

そんなことを思う暇もなく

我武者羅に子育てに頑張っているくらいがちょうどいい

 

♠︎

 

それでも

その先に

ふっと親を思うことがあるかもしれないけど

そのときはもう二世代ほどあとの人の世紀になっているのだ

 

人生なんて

出番など

ないままそっと

幕が降りる

 

◆◇◆

 

あのときのあの人の言葉でぼくの人生が動いた

 

そんな言葉があっただろうか考えていた

 

「キミらに払わせるような安い給料とちゃう」

 

ぼくたち若い同窓生に檄を飛ばしてくれた

大学同窓会・関西支部の大先輩のあの言葉は衝撃だった

 

ぼくはまだまだ世間を知らない未熟者だったのだ

 

次々と並べられる見たこともないようなご馳走を目の当たりにし

あの言葉を聞き

さらに世の中にそんなにお給料をもらっている人がいて

 

もの凄い仕事を成し遂げている人が先輩にいるのだと知ったときに

ぼくの人生は目標を持ってぼく自身で変えていかねばならないのだと刺激を受けた

 

♠︎

 

そこまでは良かったが

あとは失策の連続だった

 

♠︎

 

大きな間違いは

高給取りになるために出世をしようと

押し並べてそういう方向で

間違って考えてしまったことだろう

 

職場で出世をして

お給料が増えることを目標にするのは

一つの小さな目標としてそれでいい

 

家庭も潤うし生活も充実する

家族は幸せになるのだし申し分はない

 

しかし

 

自分に相応の職務を遂行し

組織を発展させて

社会に貢献し

生産性のあることを結実させて

世の中に恩返しをして役に立つことをして

次の世代に道筋を受け継いでゆくこと

 

というところまでを

きちんと見据えていなかったところに

浅はかさがあったのだった

 


写真日記(5月中旬号)

 

積み木が届きました

 

タラを食べる

 

旬のお刺身

 

 

豆ごはん

2016年2月10日 (水曜日)

近づく

時々刻々と父の逝った年齢に私の年齢が近づくのを何ともなしに目を細めて母は語り続ける。

 

およそ19年も余分に生きてきてしまった自分の過去と未来が交錯するなかで自分と66歳になるまで連れ添うてきた人が突如と消えてしまった日のことはある意味では夢のようでありながらも息子が愈々その歳に近づくとなると言葉に出来ないものがあるのだろう。

 

過去を掘り起こす言葉が語りの中にどこまでも続く

2015年12月13日 (日曜日)

おとやん の手紙

Walk Don't Run

 

Photo_4

 

Photo_3


おとやんの手紙


おとやんの手紙


おとやん と呼ぶ

 

おやじ、オヤジ というふうに呼ぶのを本や雑誌、新聞などで聞くが
私のところでは自分の父親のことを「オヤジ」とは呼ばない、言わない。
そんな言葉は辞書にないので、例えば「おやじの背中」なんてのはあれはどこぞよその地方の人の気取った言葉でしかない。

 

おとやん

 

そう呼ぶのが正しい。
しかし、友人などとの会話でアナタのお父さんをさして「おやっさん」ということはある。

 

そのおとやんは「為せば成る」という言葉が好きだった。トントンと思いだせないが、「一を聞いて十を知れ」「聞くは一時の恥 聞かぬは一生の恥」「黙って見て学べ」「面倒くさいということは何もない(言い訳だ コツコツやれ)」というようなことは、日常の口癖のように言ったものだ。

 

確かに、自分の日常の暮らしのなかで、数々の不可能を知恵と工夫で可能にしてきた人であったかもしれない。


手紙が引き出しの中に残ってた。

2015年6月22日 (月曜日)

父の日や父に似ているムスメ哉

写真日記(平成27年版)

 

クチナシ

 

父の日ビール


子どもと親は似るもんだなと思う

 

なぜって

 

父の日のプレゼントが
届いたといって
写真に撮って送ったら

 

ムスメといったら
そうやったな 何を送ったか忘れとったわ
と電話でツマに言ったらしい

 

わたしもきっと
同じようなことをしたら
同じような返事をするだろう

 

本当は覚えているのに
とぼけるのだ

 

親子ってのは
そんなふうに似ている

 

・─

 

続きは【秘伝】でそのうち書く

 

2015年2月 7日 (土曜日)

結婚式

新・写真日記(27)

 

結婚式(お食事)

 

結婚式(お食事)


7日の午後は結婚式で、お昼前に家を出て「魚魚丸」で軽くお昼を食べてから式場へと向かう。

 

この寿司屋さんは回転寿司形式であるのだが、きちんと握っているし丁寧に魚を捌いている。寿司飯も旨い。回転寿司の良さを踏まえたきちんとした寿司屋だった。100円程度の回転寿司が流行ることを非難するつもりはないが、寿司を食う人の味覚が枯れていくのを心配するだけに、このような寿司屋にも頑張って欲しい。

 

 

式の準備時間では男の人は暇である。時間が過ぎるのを座禅のような気持ちで送るひとときを遊びながら、一時間ほど前に式のリハーサルというものをするので呼ばれて、行けばそこには二人とわたしだけ。本番さながらのリハーサルに少しウルッとくる。そのせいで本番には平気な顔をしていて、大勢の期待がかかった「父の号泣」シーンはあっけなくスカとなって、わたしとしても些か残念な気持ちもある。本当は人一倍すぐ泣く人であるだけに知っておいてもらうべきであったのだが。

 

披露宴は楽しかった。

 

食事も美味しかったしお酒も鱈腹いただいた。新婦の父はおとなしくしてなさいと注意を受けていたのだが、喋って走って撮る父をしていた。

 

燕尾服に羽根も付いていたのかもしれない。

 

 

始まりからお料理の写真を丹念に撮っていたのだが、グビグビといただき始めると走り回ってばかりだったので、写真はそれほど残っていない。

2015年1月21日 (水曜日)

ひの菜 ─ 大寒篇

平成27年写真日記から

 

ひの菜

 

ハッサク

 

お菓子をもろた

 


▼歳を食うきのうは大寒ひの菜食う 

 

ひの菜は旨い。

 

毎年のことだが、この寒い季節には父の葬式に容赦なく吹きつけた凩への憎しみを思い出す。

 

もちろん、憎しみと言っても激しい憎悪の念ではない。葬式を行う最中もしぐれ雪が舞い冷たい風が山から吹きつけた。消えることなく燃え続ける焚き火を囲んでわたしは次から次へと事の次第を済ませてゆかねばならないで、忙しいも憎いも、それこそ哀しいも辛いも、何もなかったわけである。

 

何も憎むものなどなかったことにしてもあの冷たい風だけには参った。結局のところ風邪をこじらせて1週間寝込む結果になった。

 

まさか、逝ってしまうのが突然やってくるとは想像もしていなかっただけに、哀しみは随分とあとからやってきた。出来のよい息子ならオヤジの逝くときくらい察しがついて仕事のことなど放り投げて来るところなのだろう。わたしはアホな息子であった。おとうも察しがついていたことだろう。

 

 

わたしの場合は真面目といえば真面目であるが、あとから考えて馬鹿がつくような真面目さだったなと大きな後悔をした。詰まるところ、会社という実態のない亡霊のようなモノに見事に魔術をかけられ、飼い犬のように使われ都合のいいように行動や思考を抑制されていたのだと、冷静になって考えれば気づく。

 

仕事をいい加減にしろというわけではない。家族の一大事に何を根拠に仕事などに誠意のようなものを見せていたのか。自分に腹が立って仕方がなかった。会社という巨像はのちに美しい理由を大義名分に掲げて10万人の社員のうちの3万人近くを人員整理をするのだ。パーな会社であったのだが、その喘ぎに今なら笑い飛ばしてやるだけだが、あのときはそれさえもできずにいた自分も悔しい。

 

パーな奴らの話をすれば紙面が腐る。やめよう。

 

 

父は死んでしまう数年前にハッサクと夏みかんを畑に隣どおしに並べて植えた。その木が屋根を越すほどに大きくなって、実がなると軽トラックで貰いに来てくれる人があるほどまでになった。

 

今年のハッサクは旨い。食ってみてすぐに分かる。旨いと嬉しい。

 

ハハがひの菜を漬けて「持っていくか」というので何の遠慮もなくもらう。もう今年にもらうひの菜が最後かもしれないと思いながらもらってくる。

 

いなり寿司、味ご飯、味噌汁、お雑煮、ひの菜、その他にも漬け物の数々。それらの味を受け継げなかったものが多すぎる。

 

 

2014年12月17日 (水曜日)

脱輪騒動で考える ── 無言の偉大さ

12月14日の夜に小さな事件がありました。きっと何年もしたら忘れてしまうことと思います。それでもかまわないような事件でした。

 

ムスメさんが仕事から帰ってすぐに近所に住むニッチャンとお喋りをするために出かけたのですが、その帰りに彼女を送り届けたあと、田んぼ道で脱輪をしました。電話をかけてきて、母が出ました。「えーーーーーー」って驚いてすぐさま歩いても10分ほどのところですが車で出かけました。

 

寒い夜です。田んぼの道は真っ暗です。踏み出した足の先がどんなになっているかわからないほどの暗さで、たぶん都会にはこんな暗いところはないでしょう。

 

真っ暗な田んぼのなかにクルマは右前輪を溝に落として傾いていました。

 

JAFのお世話になるのですが、

 

(詳細省略)

 

おでん

 

そういえばわたしも若いときにクルマをぶつけて、クルマのフロント部分が大破して、10万円以上(推測)の大修理となったことがあります。免許をとっていい気になって、駅からの帰り道に、ラリー気分でダートを走って水たまりに突っ込んだら、ハンドルを取られて大きく滑って道路脇の障害物に衝突したわけです。

 

シートベルトの義務もない頃ですが一丁前に締めていたのでしょう。怪我がなくて何よりでした。

 

父は、その事故のことで何も小言を言いませんでした。修理費にいくら掛かったかとか、(暫くは謹慎しろとか)危ないから気をつけて乗れとか、なんでそんな事故になったのかと追求もせず悔やみもせず惜しみもしなかった。

 

その道は、わたしが高校2年のときにも、オートバイでクルマと接触をして右足の向こう脛部分を40数針縫うという事故を起こしたところだったのに、数年後のこのお馬鹿な破損事故でも苦言は一言もなかった。

 

 

JAFが来るまでの暫くの間にわたしは、ムスメに、嫌味ったらしく説教とも言えないような小言ともいえないような話をしました。

 

話をしながら、父の無言を思い出し、その偉大さを感じていたのでした。

2014年3月13日 (木曜日)

朝ドラ

▼3月11日の通勤列車のぼんやりの中で、NHK朝ドラのことを思い出している。父のことだが、メモは「そういえば」で始まっていた。

 

▼そういえば、テレビを見ている姿など見かけたことのない父であったが、朝ドラを見てから、または昼休みに飯に帰ってきたついでにドラマを見てから、再び職場に戻っていく姿を見かけたことがあった。

 

▼私が家でゴロゴロしていた頃のことのだから、それは学生時代のことで、春休みとか夏休みであったのかもしれない。父は40歳半ばだったことになろうか。

 

▼父はテレビを見ない人ではなく、ひとりでドラマを見ることもあったのだなと今頃になってふと思い出した。

 

▼日曜美術館を見ている姿と、朝ドラを見る姿。父とテレビとが結びつく僅かな思い出である。

 

◎追記

 

▼居間で、母と弟と私と三人がテレビを見ているときに、例えば冬ならば一緒に炬燵に入りミカンなどを食べながらドラマをみたような記憶はない。8時だよ全員集合をみたような覚えもない。

 

▼子どものころに夢をみたように「一緒にお酒を」飲んだような記憶もない。

 

▼だからといって、私の子どもに父とそういう時間を作って思い出の足しにしなさい、と言うこともしないでおく。背中を見せてればいいのかなと、近頃はそう考えている。

2013年10月 9日 (水曜日)

ふるさとの柿はどちらも豊作で

庭にて、柿

 

私が中学生だったときに父が日曜大工で我が家の庭の一角に2階建ての離れを建てた。1階にはシャッター付きのガレージと6畳間、トイレ、井戸があった。2階には4畳半と8畳間があってベランダもついていた。もはや日曜大工というレベルではなかったのだが、40年ほどみんなに愛されて、このたび、取り壊して更地にしてしまった。

 

その一角に大きな柿の木があった。たーちゃんの柿と家族で呼んでいた。おそらく、叔父さん(たーちゃん)が就職したころに植えた柿ではなかろうか。

 

その叔父はいま脳梗塞で倒れてリハビリ療養中である。

 

数知れずこの地に帰り、遠き時間に思いを馳せ、止めどなく生家を想い続けたふる里の柿の木に、その叔父の名前をつけて父(自分の兄)が呼んでいたことは本人も知らないだろう。それを知る人は、今では母と私くらいになってしまった。

 

人が年を経て滅びていくことは人類の宿命であるから仕方のないことだ。しかし、忘れられてゆくことをすべて認めるのは辛い。

 

それと何よりも、豊かさに満足した多くの人(社会)が(自分たちの幸せばかりが大切で)、忘れてはいけないものを分別する力を失ってしまっていることが悲しく寂しい。忘れてからでは取り返しがつかない。

 

歳月人を待たず。

 

ふる里に残った柿は残すところ1本である。次は誰の番だろうか。

 

--

 

(砂女さんの歌から)
盗む子も啄む鳥も絶ゆ柿の如く実れる重きししむら

2013年1月21日 (月曜日)

あのころは逃げ道が用意されていた

体罰のことで社会が騒がしい。桜宮高校のバスケットボール部の生徒が体罰を受けて、その後自殺をしていた事件だ。事件の真相は何らかの形で解明され歴史に刻まれて行くだろうから、私はここで所感も書かなければ言及もしない。

 

 

だが、こういう事件を報道で知れば、様々なことを考えさせられる。

 

 

ヒトは他のほとんどの動物たちと違って言葉を喋り手を使うことができる。使える以上はそれが武器になってしまうこともあり得る。つまり、言葉による脅迫、そして、手による暴力は十分に相手を制圧するための武器になることができる。

 

ヒトは自分たちの持った優れた能力が手に負えなくなってきているのではないか、人間という動物として淘汰が始まっているのかもしれないとも思えてくる。

 

 

言葉を操り、2本足で歩き、文明を築き上げるという他の動物からかけ離れた能力を持った以上、これをヒトから奪い取ることは、相当に崇高な神の教えやお告げでもない限り、不可能だろう見て間違いない。つまり、その言葉よる暴力も手による体罰も、その概念は消すことができないのだと思う。

 

**

 

 

私は小学校4年生のときに父にひどく叱られたことを思い出している。

 

 

今は健康ですが、小学4年のときに腎臓の病気(たぶん腎炎だったと思います)を患いまして、2学期に丸ごと入院していました。顔がむくみ、オシッコにタンパクと血が混じるので真っ赤でした。安静にしていることと塩分の摂取を控えることが治療となります。

 

 

併し私は気ままなふつうの悪ガキでしたので、病院の中で大人しくしていることはなく、歩き回ります。従って一向に良くならない訳です。何度も注意を受けてそれでも治らない私を父は厳しく叱ったのでしょう。人生の記憶の中で父に何かで怒りを表して叱られたことは1,2度しかないのではないかという記憶の中の1回です。

 

 

当然、母が何度も大人しくしていないと治らないことを話しているはずですが、無視したわけでもなく、じっとしているなんて我慢ならないのが普通でしょうから歩き回りました。いっこうに良くならないので父が怒った訳です。

 

 

病院の中庭の木に括り付けられて、棒でバシバシと叩かれました。キリストみたいに姿だったのでしょうか。そのときの棒が何だったのかは私には不明ですが、後になって尋ねなかったので今後も不明です。母が言うには父は泣きながら叩いていたそうで、それくらいしかわかりません。今想像するには、中庭に落ちていた木の枝かなにかであったのではないかと思います。木の物指しなんていうような甘っちょろいものではなかった。よく足の骨が折れなかったものだと感心しますが。まあ、そんな風にしたおかげで私の足は腫れ上がり、歩けなくなっていましたので、安静にしているしかなくなりました。

 

 

このころは、親の言うことを聞かないと裏口から放り出されて鍵を閉められました。農家の家には入り口がたくさんあり、鍵の掛けられないような戸もたくさんありますので、鍵に意味はなかったのですが、そのピシャリと閉めるところに大きな恐さがあった。

 

 

親のほうも、その辺から入ってくることは承知の上で閉め出すのですから、ちょっと喜劇的でもあるのですが、まるで猫をオモテに放り出すように投げ出されます。子どもはそのような目にふだんから何度も遭っていますので、親に叱られることには慣れています。

 

 

ところがあの晩の父の叱り方には怖さがあった。小学校4年生ですから、病気を罹って安静にしていなければならない理屈などはわかる訳がない。訳もわからず叱られたような面も少しはあったのではないでしょうか。

 

 

父も身体が弱く、腎臓も人ほど強くはなく,若いときに私と同じように少し入院をしたことがあったのだと後で聞きました。自分の弱さを子どもに引き継ぎたくない気持ちがあったのでしょうか、36歳だった父は、このまま足がしばらく動かなくすれば否応なく身体は良くなると思ったのかもしれない。論理的にではなく、親の感情としてそう思ったかも、と想像します。

 

 

私はそれから少し親の言うことを聞く子どもになって,病気も慢性化することもなく全快して健康でおります。中学高校時代には水泳も禁じられ、マラソンも程度に応じて許してもらえただけした。大人になっても、風邪を引いて寝込んでもオシッコに血が混じらないか(親は)心配をし続けていましたが、大きな病気になることもなくここまで来れております。

 

 

体罰だとか苛めだとか自殺だとか。そういう行為には目標があってのこと。目標をつかまえて、そのための手段に、それらが正しかったのかどうかと考えて、さらに、必ず同時にもうひとつの道、それは逃げ道でも大いに結構ですので考えておくことが不可欠と思います。

 

 

私を叩き続けたあのときの父は、何が逃げ道だったのでしょうかね。

父の命日の前の晩にそんなことを考えておりました。

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