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青春時代

2015年12月 2日 (水曜日)

夜行列車

わたしの家は貧乏だったから新幹線には勿体無くて乗るのが辛かった。
だからできるだけ負担を軽くと考えた。
必死で苦心をするのは誰もがするべきことだ。
普遍的なことであるべきだ。
現代社会の大勢の人々は、心のなかに豊かさの意識だけを大事に残している。
だが、いつの時代でもあの時のように苦心をする気持ちを持ち続けりことは不可欠だ。
(親の思いとこの気持にはヒステリシスがあるが)

 

大垣行き各停が東京駅から深夜11時半すぎに出た。
利用した思い出のある人は多かろう。
時代を経て人気が出て混むようになってくる。
いつも早めに東京駅で並んだ記憶がある。
三時間以上ホームに並んで待ったこともある。
満員で4人がけのボックスに5人とか6人とかで床にも人が寝ていたことがあった。

 

旅行気分になる。実際に旅行の人もいた。
京都で講義をする大学の先生にあったこともある。
様々なタイプの人たちがいて話し相手ができた。

 

思うようには眠れなかった。
長い夜を孤独に過ごすのも学生の試練だったかもしれない。

2015年11月29日 (日曜日)

食卓にミカンさり気なく置かれており

なあ ちょっと
むかしの話をしょうか

なんてわけで あれこれ書き足しながら 逆引きリンクを作ってむかしを懐かしんでいます。

写真日記(11月29日)

 

 

みかん

 

11月も終わっていきますなあ

 

下駄履き
長髪
ブックバンド
トレンチコート
グウタラ学生生活
落第恐怖
ヘルニア
古本三昧

 

そんな大学生活が始まった最初の冬は
金がなくてコタツが買えたのはクリスマス前だった。

 

昨日ストーブ出しました。

 

スルメを焼けば
お酒が進む
ブタになる

2014年2月 2日 (日曜日)

春という季節

(そっとここに記事を残しておきます)

 

 

▼夜明け前の住宅街を、新聞配達のバイクの音が走り抜けてゆきます。寒い朝、いつも同じ時刻に遠慮気味に配ってゆかれる方、ご苦労さまです。今の家に住んで二十数年、私は目覚まし時計を使うのをやめて、代わりにこのバイクの音で目を覚ます暮らしをしています。寝静まった路地に花の香りが漂う季節になりました。

▼小4から小6まで、山間部の小さな集落で新聞配達をしたことを思い出します。早起きはもちろん、寒い朝や氷雨の降る日は本当につらい仕事でした。父が一緒になって配ってくれたものです。

▼その後の東京で過ごした大学生時代はグウタラで、ジンチョウゲや梅の香る季節に落第覚悟の進級発表を見に行ったこともありました。事前にジンチョウゲを見ると落第するというジンクスがあるそうですが、結果はやはり落第。

▼「倍返し」という流行語が昨年話題になりました。私の場合は、入学の時と卒業の時とで友だちの顔ぶれが違ったので、友だちの数は「倍返し」でした。長い人生、考えようによっては幸福なことです。

▼そういうわけで、私にとって春という季節は何となく身を引き締め直す季節でもあります。──────(朝日新聞・声)落第したら友が2倍になった/2014年2月1日


 

(投稿原文)

 

夜明け前の住宅街に新聞配達のバイクの音が走り抜けてゆきます。寒い朝、いつも同じ時刻に遠慮気味に配ってゆかれる方にご苦労様と伝えたいです。

 

今の家に住んで二十数年、私は目覚まし時計を使うのはやめてしまいました。代わりに朝刊のバイクの音で目を覚ます暮らしをしています。

 

山間部の小さな集落のことでしたが、小4から小6まで新聞配達をした経験が私にはあります。早起きはもちろんのこと、寒い朝や氷雨の降る日はもっと辛いものでした。父が一緒になって配ってくれたのを思い出します。

 

未明、バイクの音を聞きながら、寝静まった路地に花の香りが漂う季節になりつつあることを思い、新聞少年時代を回想しておったのですが、東京で過ごした大学生時代はグウタラで、沈丁花や梅の香る季節に落第覚悟の進級発表を見に行ったこともありました。

 

「倍返し」という流行語が去年の話題になりました。私の場合は、入学の時と卒業の時とで友だちの顔ぶれが違ったので、友だちの数は「倍返し」でした。長い人生、考えようによっては幸福なことです。

 

進級発表の行き道で沈丁花の香りに出会うと落第をするというジンクスの話を思い出します。「サクラサク」という電報も「落第」という言葉も今や伝説的と思いますが、私にとって春という季節は寒さに身を引き締め直す季節でもあります。

2014年1月13日 (月曜日)

(平成26年)成人式のころ・雑感

きょうは成人の日です。
左にあるサイト内検索窓に「成人」と入れればこの「遺言」のブログを輪切りにできる。

 

昔のほうが─というより、満たされていないときであるとか目標をもってそこに居るときのほうが、物事をしっかりと見ている傾向がある。それのことは知っているのだが、節目ごとに反省をすると再認識をする。

 

 

【- Walk Don't Run -】  遺す言葉を増殖(追記)して時間がすぎる。
どんどんと落ちぶれてゆく日記である。

 

書きかけが放置したままメモの中に残っている。
纏まることなく消えてゆくこともあれば、下らないままで載せることもある。

 

自分がどんどん詰まらなくなっている。

 

 

1月10日、谷川浩司九段、A級陥落。連続在籍32期。日本将棋連盟会長で十七世名人の資格を持つ谷川浩司九段(51)のB級1組への陥落が決まった。

 

そんな新聞記事を見て、無敵の谷川浩司にもこういう時期が来るのだが、これからが人生の勝負なのだな、と思う。

 

 

今週末に17回忌をすると連絡が来る。

 

▼予想通り十七回忌で寒波くる

 



検索結果(10件ヒット)

 

    1. (平成26年)成人式のころ・雑感
      きょうは成人の日です。左にあるサイト内検索窓に「成人」と入れればこの「遺言」のブログを輪切り

 

    1. あけましておめでとうございます ─ つぶやく十七音・年末年始篇
      ってた。1月9日 月曜日テレビやラジオは成人式のニュースを繰り返している。成人式ねぇ。断崖絶壁のオーバーハングに立ち向かっているような状況だった進級試験を控...

 

    1. 成人の日、昔を辿ることは、ヒトの宿命だ
      筆しながらホームページへ集めていますが、成人式のニュースをやっていたので、いろんなことを思いながら、成人式とはどうあるべきなんだろうか、などと考えていました...

 

    1. キミの髪を粉雪まみれにしてみたい ─ 一月中旬篇
      約束を果たせず風花だけが舞う -10日-成人式。三十数年前、この次の日は試験でした。同期は半分も一緒には卒業出来なかった時代。▼落ちると分かった進級試験ちょ...

 

    1. 新年明けましておめでとうございます
      おめでとうございます。といっても、すでに成人式が終わって、お正月気分は完全に抜けていることと思いますが。 世界は大恐慌並みの不景気に危機感を募らせる一方、海...

 

    1. 西本智実さん  再び
      の財布に5千円は無いなあ。行きたい!娘の成人式なんてどうでもいいから、コンサート行きたい!と駄々をこねても、しかたがないか。 ...

 

    1. ジンクスが風上へ誘う沈丁花
      成人式にも出る暇もなく日夜机に向かい臨んだ試験であったが、残念ながら満足な感触は無いまま三月を迎えていたと思う。駅ま...

 

    1. 言葉 <2003年1月上旬号>
      た、私が昔に見た夢のようだ。◆日記から○成人式のニュースを見て成人式の話題のニュース報道を見た。昔の塵埃秘帖にも書いているが、私に成人式の歴史はない。進級が...

 

    1. 夢を食べる虫
      ------------夢を食べる虫--成人式の頃--成人式の頃、私はどん底にいました。一年生時にまったく勉強しなかったツケが回ってきて、三年になるための単...

 

  1. 成人式のころ <2002年1月中旬号>
    成人式のころ 銀マドも2002年に突入です。今年もよろしく。-*--- 成人式の話題をニュースでやってましたので、ふ...

2012年6月 2日 (土曜日)

ひきだし

開けることを忘れていたほどほったらかしにしてあった本棚の下のひきだしに、おとやんの直筆の手紙があった。

 

学費を振り込んだので、しっかり勉強しなさい

 

と書いてある。

 

三十四、五年前のものだ。

 

 

鉛筆書きで
旧仮名づかい。

しょっちゅう手紙を書くと
勉強の気が散るので
手紙はあまり書かないことにする。

健康に気をつけて。

 

と書き、終わっている。

公衆電話といえば、店先に赤電話があっただけの時代だ。
手紙を書く夜は、さぞや長かったのだろう。

2012年1月 9日 (月曜日)

成人の日、昔を辿ることは、ヒトの宿命だ

【- Walk Don't Run -】遺す言葉

 

というのを加筆しながらホームページへ集めていますが、成人式のニュースをやっていたので、いろんなことを思いながら、成人式とはどうあるべきなんだろうか、などと考えていました。

 

ちょうど、ちょうど去年の今頃にあれこれと拾い集めた日記があったので、引っ張り出してきて少し読みました。(拾遺集として自分のために書いていますので後ろに貼りますが)

 

*

 

「成人式は必要か?」のまえに考える。

 

成人を祝ってもらいたがる人、さらにその喜びと決意を生かして前進しようとするような進取の気性の青年を育ててゆけるような教育と社会システムを作りあげることが大切なのではないか。

 

スカばかりの人間を、ニセゆとり教育や甘やかし教育で、あるいは点数至上主義と経済最優先の考えで、育ててゆけば、この国の人(ヒト)は骨抜きばかりになってしまう。社会保障も教育も暮らしをいくら一生懸命に考えても、頭の中が空っぽで哲学なき人物を大量生産して、大衆迎合的波に呑まれていってしまう社会では、今からもいっそう社会は退化してゆく。

 

負のスパイラルを脱するには、スカとは何なのか、を考えることから始めることが必要だ。


1年前の日記、2011年1月 9日(日) ─ 成人の日ですね 

 

 

成人式のころ      [- Walk Don't Run -]

 

成人式のころ  銀マドも2002年に突入です。今年もよろしく。 -*---
成人式の話題をニュースでやってましたので、ふと思ったことを書きました。 -*---
今年も成人式の季節がやってきた。このパティオには成人する人はいないでしょ?結婚する人はいますね。それもこれもひとつの旅立ちといえます。旅立つ時に
はきちんと襟を正して心新たに一歩を踏み出すと思います。その一歩が闇の中の一歩であれ晴れ舞台の一歩であれ、心は感動に満ちていることだろうと思うので
す。 ところがどうも昨今の成人さんはそうではないらしい。... [続きを読む]

 

 

言葉  [- Walk Don't Run -]銀マド / 言葉 
▼言葉は、身の回りにあふれていて、ありふれたものだ。その数々の中からたったひとつに反応し、掘り下げて見つめてしまうことがある。我々はそんな巧みな
ことができる人間である。
年末のある日、職場で、対話をすることを失ってしまった悲しい人に出会った。どうにかしてやりたい気持ちと、蝕まれていてそこへは入ってはいけないという
戒めに似た罪悪感とで、しばらく私は考え込んでしまった。
どうしても、対話を放棄しているその人の心の奥に私は踏み込みたかった。しかし、対話を拒む人にはその人の世界があるのか... [続きを読む]

 

 

ジンクスが風上へ誘う沈丁花 [- Walk Don't Run -]

 

成人式にも出る暇もなく日夜机に向かい臨んだ試験であったが、残念ながら満足な感触は無いまま三月を迎えていたと思う。
駅までの歩き慣れた道路のどこかで、沈丁花の花がぷんといい匂いを放っているところがあった。進級発表の日に匂いを嗅ぐと期待が叶わないというジンクスが
あるのだという話を聞いて、些か気に掛けていたものの、住宅街を歩いてこの花に遭遇しないで過ぎることは難しい。
当時は、今のように「留年」という言葉があったものの「落第」という呼び方もしっかりと使われていた。 正門を入り階段を駆け上がり教養棟の進級発...
[続きを読む]

 

 

オヤジの背中   〔2002年6月中旬〕 [- Walk Don't Run -]

 

オヤジの背中  〔2002年6月中旬〕
▼(パティオのYさんのメッセージを思い浮かべながら書いています)▼生意気にも、子育てのことでコメントを書いてしまった。ろくに子育てもしないでここ
まで来た私が書いたので、まことに失礼なコメントだったかと、幾分消沈気味である。▼これからの未来がある人には、それなりの希望と情熱と信条を持って生
きて行って欲しい。子育ても然りです。それが私になかったわけではないが、ややもすると現代人には(←若者たちというとジジイみたいだしね)それが不足し
ているようにも思う。▼正高さんの... [続きを読む]

 

 

夢を食べる虫 [- Walk Don't Run -]

 

94/01/29- 夢を食べる虫--はじめに--
倉持さんに就職の話をし始めてみると、さまざまな連想が起こりました。それは内省的なものが多く、自分の歩んできた道を省みて一喜一憂をするものでした。
冷静にみるとかなり不平不満が多いようですので、つまりは私のような人生を歩んではいけないと云う示唆なのかなと苦笑いをしています。毎度愚痴ばかりを書
いては恥ずかしい限りなので気をつけて書いて行きたいと思います。こんな愚痴も諸先輩方の厳しい顔色を思い浮かべると尻ごみします。しかし、手厳しい意見
も聞ければ幸いです。特... [続きを読む]

 

2010年9月15日 (水曜日)

音楽篇 (1)-(6)

 


音楽篇(1) ─ 北山修 ─


 

 

「戦争を知らない子どもたち」という曲を、音楽室のグランドピアノの脇でギターを弾きながら歌った。それがフォークとの出会いであり、私が音楽の世界に入るきっかけでした。

 

吹奏楽部→ビックバンドジャズ→コンボ→ビックバンド→吹奏楽団→ビックバンド…

 

----

 

その始まりは、北山修だった。

 

♪海は嫌いだ悲しくなる 

 

とか

 

♪あなたに捧げた 言葉の中に
┃嘘はないけど 何か気になる
┃こんな気持ちを 違うあなたに
┃ほのかに寄せた 思い出があるの
        (「初恋の人に似ている」から)

 

とか

 

そうそう、

 

♪人は誰もただひとり 旅に出て
┃人は誰も故郷を 振り返る
┃ちょっぴり淋しくて 振り返っても
┃そこにはただ風が吹いているだけ

 

これって、音楽の教科書に載ってるそうですね。
驚きです。

 

---

 

ちょっと、「音楽篇」ということで、思い出を綴ってみるか。

 

(続)

 

| 2005-12-06 18:41 | 日記系セレクション

 

 


音楽篇(2) ─ 北山修 ─


 

 

いったい、どんな感性を持っているのだろうか。
彼の目は、街をゆく人の、素朴な動きやその心の中を、神様のように見抜いているようでした。

 

吉田拓郎の、
♪私はきょうまで生きてきました・・・・
も唄いました。

 

けれども、もうひとりの私は、詩人北山の詩を静かに読みました。

 

♪愛とあなたのために わたしは
│この世に生きているの わたしは
               (愛とあなたのために)
・・・・
♪天使が恋を覚えたら
│ただの女になるという
               (天使が恋を覚えたら)
・・・・
♪ろうそくの ほのおがゆれるよ
│この火が消えるまで あなたとお話したいの
               (ろうそくのほのお)

 

オトナになりたい。
でも、それには時間がかかる。

 

嫌いな言葉は、「悩む」
好きな言葉は、「口ずさむ」

 

好きな人ができたら「好きです」と伝え、悲しいことがあったらそのまま凹む。

 

北山修が教えてくれたちょっとオトナの恋に辿り着くにはもう少しの時間が必要だった。
そんな年ごろに、歌にまみれ、詩にまみれ、受験時代を送ったのでした。

 

♪あの時 同じ花を見て
│美しいと言った二人の
│心と心が 今はもう通わない
              (あの素晴らしい愛をもう一度)

 

私には未知の世界のドラマだった。

 

ほかに頭をよぎった歌など・・・・
-----
高石ともやの「受験生ブルース」
五つの赤い風船の「遠い世界に」
赤い鳥「翼を下さい」
チューリップ「心の旅」

 

(たぶん続く)

 

| 2005-12-07 10:08 | 日記系セレクション

 

 


音楽篇(3) ─ モーツァルト ─


 

 

アイネ・クライネ・ナハトムジークとの出会いは衝撃的だった。

 

そのころ、ちょうど父に頼んで買ってもらったステレオプレーヤー(安物品だった)にどっぷり浸かっていて、毎日、モーツァルトを聴いたものだ。
レコードを擦り切れるほど聴いたのはこの曲くらいだろう。

 

そういう訳で、高校時代は、クラシック音楽にどっぷりだったな。モーツアルトの交響曲40番、41番の良さをアツク語り合った友もいた。

 

クラブは、吹奏楽部と音楽鑑賞部でした。吹奏楽部で「ワシントン広場の夜は更けて」をやりながら、一方でベートーベンと出会い、第九に痺れたのもこのころだった。

 

楽器を吹くことから、次第にジャズに傾き始め、ベートーベンとの混在の中で「モーツァルトは綺麗すぎて嫌いだ」と言うようになってゆく。(また戻ってきますので心配なく)

 

大学に行ったら音楽関連のクラブに入ろうと思っていたもんな。グリークラブもいいなあとか、気が多かったのも事実だったが。

 

今はチャイコフスキーやほかにもたくさん好きな人がいますが、高校時代は、前期がモーツァルト、卒業から大学時代はベートーベンひと筋でした。

 

(たぶん続く)
| 2005-12-15 23:03 | 日記系セレクション

 

 


音楽篇(4) ─ 阿久悠 ─


 

 

私は阿久悠さんの大ファンです。

 

大学受験の下見と称して東京へ無計画に出かけたのは高3の秋だったな。広島カープが阪急ブレーブスと日本シリーズをしていたような記憶がある。早稲田祭とかに行ったんですが、記憶が途切れ途切れだ。クラスメイト4人で行きました。

 

名古屋から新幹線に乗ったら、A、B、C席の友人たちと離されて座ったD席でしたが、ふと見ると隣の席に同年代の女性が…。そのころは女の子に声を掛けるというようなことなど、一切できないウブな私でしたが、その子と少し話をしました。

 

名古屋市にある南山大学の付属の高校ってのがあるのかどうか知らないけれど、どうやらそこの3年生らしく、彼女も来年4月から東京で女子大生になるために奮闘中だという。長い髪の上品で可愛い子でした。

 

よーし。これはチャンス。4月になったら「プロポーズ大作戦」(※)に出ようじゃないか。
(※番組名は、ご存知の方は少ないと思います)

 

まあ、そのときの隣の席の女の子が当時のアイドル「岩崎宏美」と横顔の雰囲気がそっくりでしたので、岩崎宏美のファンでもあります。

 

阿久悠作品ですと、この年は、

 

○ 北の宿から 

 

がヒットした年でして、レコード大賞もとったのかな。

 

岩崎宏美ファンとしましては(単純だな)、僕も東京に行って華やかな学生生活を送るのだと、日夜、受験勉強に励んでいたのでした。

 

○ 二重奏(デュエット) 
○ ロマンス
○ センチメンタル
○ ファンタジー
○ 未来
○ ドリーム
         すべて、作曲 筒美京平

 

阿久悠さんのファンでもありますが、さらに京平さんの大ファンでもありました。

 

これから数年間の歌謡曲については、任せてください。大好きです。

 

大学受験は、早稲田にも理科大にもふられて、東村山のわびしい寮生活に入ることになり、「プロポーズ大作戦」への夢は儚く消えてしまったのでした。(昭和50年から51年)

 

| 2005-12-31 19:00 | 日記系セレクション

 

 


音楽篇(5) ─ 青春 ─


 

 

大晦日に音楽篇(4)を書いてから、ひと月以上が過ぎる。

 

忘れていたわけではない。次から次へと甦る「あのころ」を纏めきれないのです。アキラメタ。

 

> 君は何を今待ち続けるの
> 街の片隅でひざを抱えて
> 届かないあの手紙 別れた夢

 

青い三角定規がそんな歌をうたっていたころがあった。
その歌の本当の意味など分からないまま、ギターを抱き口ずさんだ時代があった。

 

あのころ、人生最大の壁と思っていた受験という試練に挑む日々の合間に、同じく競い合いながらも心を本当に許しあえる友がいた。
(※ あんなの、人生において何の壁でもなかったということにはずっと後になって気づくのです…)

 

中村雅俊が青春ドラマの主役を演じ、そんな世界へともう一歩で自分たちも辿り着くのだ、という夢を持ちつづけた。

 

> 夢の坂道は木の葉もようの石畳
> まばゆく白い長い壁
> 足跡も影も残さないで
> たどりつけない山の中へ
> 続いているものなのです

 

下駄を鳴らして街を歩き、気分転換と言って多摩川上水のほとりの並木道や小平霊園を駆け回った。南武線の鉄塔の向こうに夕日が沈むのを眺めては、早稲田の杜にそびえる理工学部の研究棟に未来を馳せた。

 

1年間の萩山寮の暮らしを終えて江古田にある能生館という下宿に、文学部に進んだ島田君の紹介で私は転がり込んだ。法学部の先輩が4人、商学部の先輩が1人という顔ぶれで、そのみなさんと一緒に(私だけが)のほほんな学生生活を始めたのだった。

 

> 青春時代が夢なんて
> 後からほのぼの思うもの
> 青春時代の真ん中は
> 道に迷っているばかり

 

阿久悠は、こんな名言を何処でどうやって思いつくのだろう。
青春という言葉は、あのころは嫌いだった。

 

フォークソング、ジャズ、クラシックという音楽ジャンルを行ったり来たりしながら、筒美京平という作曲家に染まってゆく。

 

70年代の歌謡曲と筒美京平に明け暮れて、朝から晩まで部屋では音楽がなり続けているという大学時代を過ごします。

 

事情があって能生館を2年で出ることになるのですが、江古田を気に入っていた私はこの場所に住み続け、たまに西武線、地下鉄に乗りたくなって大学に出かけるものの、大学界隈の古本屋で文庫本を抱きかかえるほど買い込み、江古田駅裏の焼き鳥屋さんで持ち帰りに数本買って、風呂もカーテンも無いアパートでビールを飲むというようなグウタラな暮らしをしていた。

 

アパートは桜台3丁目という高台にあった。あのころは地下鉄など無く駅まで20分ほど歩くところだった。その代わりに、アパートの廊下の突き当たりから富士山が夕日に赤く染まっているのを見ることができた。

 

恋人もいない、静かな暮らしだったなあ。

 

─ ─ ─ ─
江古田のことは、以下がもう少し詳しいです。

 

 

 

 

 

| 2006-02-12 12:31 | 日記系セレクション

 

 


音楽篇(6) ─ 別れ─


 

 

木綿のハンカチーフは、太田裕美。
春一番は、キャンディーズ。
なごり雪は、イルカ。

 

春は別れの季節なのだ。
娘たちはどんな歌をうたって友と別れたのだろうかね。

 

前回・音楽篇(5)はコチラ です。

 

【ドラマ】
昔、「卒業写真」という短い物語を考えたことがあった。

 

グウタラな大学生活をおくているオトコが主人公。まじめな友人に誘われて、そいつが就職先に決めた会社の年度末のバイトに呼ばれて出かける。
ところが、バイトの帰り道でばったり出会った学友たちと飲みに行き、給料としてもらった日当を全部飲んでしまう。
(このへんがリアルだが)
御茶ノ水駅で意識朦朧とうなだれているところをに通りかかった電車には、4年前に「もう会えないかも知れないね、私は東京には行かないよ」と言って別れてきたオンナの子が乗っていた。

 

オトコは、酔い潰れていてそのことに気づかない。
オンナは、ドアが閉まる瞬間にその子の姿をベンチに見つける。
ドアは閉まる。
過ぎる時間。移りゆく日々…

 

(オトコに会わせたい。)
でも、オトコはあと1ヶ月で東京を離れるんだ。
オンナは、オトコが好きだった。でも、会わないと決めたのには理由があって、4年間我慢をしたのだった。しかし、あの駅でのオトコの姿で崩れてゆく。
ひとこと、別れだけでも告げに目の前に現れる瞬間でドラマを終えよう。

 

音楽は、「卒業写真」がいいなあ。

 

学生時代に、そんなドラマを考えていたんですよ。子どもでした。
「別れは、美学だ」みたいな…。

 

─ ─ ─ ─

 

【日記】

 

啓蟄だった昨日、出勤途上で鼻血が出まして、職場の治療室に駆け込みました。
大人しくしていると数時間は停止しているものの、夕方に再び出て、恐る恐る家まで帰ってきました。

 

青色申告の届けも完了して、さあ「オフィスねこさん」の始まりの日でもありました。

 

きょうは、近所の耳鼻咽喉科に行ってきました。
原因となる心配はなく、止血剤をもらってきました。

 

─ ─ ─ ─
【きょうの買い物】

 

○関野吉晴著
グレートジャーニー地球を這う ユーラシア~アフリカ篇
筑摩書房 \950

 

○遠藤周作著
女の一生(上・下) \705,\667

 

| 2006-03-07 18:05 | 日記系セレクション

2009年3月11日 (水曜日)

鮎川先生〔2002年十月上旬号〕

鮎川先生〔2002年10月上旬号〕

 

秋になるとどことなく物寂しい風が吹く。それはノスタルジックでありセンチメンタルでもある。

 

私の高校時代の数学の恩師だった鮎川先生は、いかにも数学の先生といった感じであったが、高3だった当時の私には得体の知れない先生だった。

 

あとから思い起こしてみれば、いかにも大学の教授ふうで、講義に来ても馴染みの話をするわけでもない。黒板に学術的なジョークを交えて授業をして、私のような極悪劣等生を眼中に入れてかどうかが不明のまま、淡々と教壇での一時間を過ごしお帰りになったように思う。

 

この鮎川先生の偉大さに気づくことになったのはずっと後のことであるが、その予兆はいくつかあった。

 

まず予備校で出会った名も知れぬ先生と言ったら叱られるか。こちらは無意識だったが「石谷茂」先生だったのであった。かの先生の講義は、必死に人を押しのけようとしてもがいている学生(予備校生)どもを前に、数学の楽しさを説いておられた。受験の数学ではなく、問題を解決してゆく手段としての数学であった。これで受験に通るなら儲けモノというわけだ。

 

そのあと大学で、否が応でも数学と言うか数理科学の世界に首を突っ込まなくてはならなくなったのだが、情報工学第3研究室の守屋先生や防衛医大の医用電子工学講座の関谷先生のお世話になり、数理学の世界に引き込まれていった。

 

数理学って何にも面白くないのですが、私にはこの「学理」が肌に合って、視点を据えるのに様々な影響を受けたものだと、今になって思う。。

 

鮎川先生の数学は、たかが高校生の数学と侮ったものではなく、モノを解析する眼で問題を見つめているのだということに、5年も6年も後になって気がついた。鮎川先生は難関な受験問題もスラスラと説いて生徒に見せてくださった。果たして予習をしていたのだろうか。いずれにしろ、それが東大の問題でも、大きな山を崩すようにひとつひとつを解説をしてくださっている間に問題が崩れていた。そのことが凄いことだったのだとやはり数年後に気が付いたけど、そのときには先生は他界されていた。

 

先生は、解けない私(クラスメートは33人で、私は32番、ただし1人は休学中)を決して責めたりなさらなかった。問題を解く論理の話をなさった。

 

何年かあとに京都大学のある先生(森先生だったかも知れません)が、「問題を解ける人が(京大では)合格とすると限らない」、とおっしゃっていたのを記憶する。

 

学者に必要な資質は、解けない問題を、深い森に例えるなら、森をどこまでも彷徨って目的地にたどり着いた人ではなく、辿り付けなかったけど彷徨っていたその彷徨った過程を生かすことにある。ダメでも構わない、答えに結びつかない答案でも、論理立てて立派に解析できることが大事で、そういう人を合格とする (京大大学院)のだとおっしゃってられた。

 

私の答案が立派とは思わないが、満点をとれないヤツにも一筋の明かりが届く話であるではないか。

 

数学とはもしかしたらそういうモノなんだ。人のレベルに応じてそれなりに価値の出るものかもしれない。だとしたら私の数学的思考も、もしかしたら少しは使い物になるのかもしれない。そう思ったとたん、数理科学の書籍がマンガよりも面白く見えてきたのを思い出す。

 

この時点で鮎川先生の講義にもう1度出席できたら、私の人生は変わっていたかもしれない。そう思った。

 

あのときに優秀だったクラスの奴らはみんな小中学校や高校の教師になっているのだが、どうもヤツらは理系を逃げてしまって、文系が多いのだ。やはり、出来が悪かった私のようなヤツのほうが、先生の願いに叶っていたのかもしれない。

 

ちょうどここまで書いて、放置していたら、ノーベル賞の小柴先生のニュースが朝から飛び込んできた。物理学バンザイ!

 

何と言うか、最も苦手で、センスも悪かった物理学や数学が、いつまでたっても愛着深いことで、鮎川先生に感謝します。クソの役にも立たない学理に情熱を注ぐことに美学を感じませんか?感涙です。

 

でも、娘は期末試験で数学が落第点。今日は追試だったそうです。この親父にしてこの娘あり。どんなに忙しくても試験が迫っていても、図書館で5冊も6冊も本を借りてきて、中毒のように貪っております。娘よ、父のように苦手な数理学を専攻するなよ、と言いたい・・・ようで、薦めたいようで。。。

 

2008年6月28日 (土曜日)

苦い思い出

2005年6月26日 (日曜日)の日記に 『銀のマドラー〔回想篇〕』として、「黄色い麦わら帽子」というのを書いている

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あれは いつのことだったのか
小麦色の肌の
クラスメイトの女の子と
バスの乗り場で手を振って別れた

 

夏休みが終わるころ
教室の席がとなりの彼女に
電話を入れた
遊びに行っていいかい?

 

電車とバスを乗り継いで
灯台のある
小さな漁村に私は着いた
バスの停留所で迎えた彼女は
黄色い麦わら帽子だった

 

強烈な印象
16才の夏

 

バス停から灯台まで歩いた
真っ青な海と水平線を見おろした
町の一点を指さし
--- 青い屋根が見えるでしょあれが私の家よ
と教えてくれた

 

真夏の日差しを気にせずに
小さな漁村の狭い路地を
歩き回った帰りに
バス停まで見送ってくれた

 

それから数年して
彼女に手紙を書いた
名古屋の或る銀行に
彼女は勤めているという
涙が出るほど嬉しかったです
と書いた返事をくれた

 

東京の下宿に戻る時に
駅で待ち合わせた

 

でも 彼女は来なかった

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初登場は「別れの風景」シリーズで 「夏の終り(黄色い麦わら帽子)」(99/09/15)というタイトルだった

 


 

先日、ふとしたことから30年ほど昔の下宿生活のことが夕食の話題になりました。

あのころは、そういえば「レジ袋」というものは流通し始めたばかりで、世の中には殆ど無く、スーパーで買ったものは四角い紙袋に詰めて持って帰ってきたものだった。だから、ゴミ出しの日にはその紙袋にゴミを入れたものだった。そんな話から始まりました。

それもそのはずよ、コンビニなんてものも、ポツリポツリとしか見かけなかったし、大体、夜中に町をふらふらと歩き回ったりもしなかったでしょう。明かりも今ほど夜中まで煌々と点けていなかったかも。

ゴミの量も少なかったような気がする。むやみやたらにプラスチックやアルミの容器なんて使われていませんでした。エアコンだって、大学生の下宿にはありませんでした。ビールだって瓶ビールが主流だったしね。

しみじみと話し始めれば次々と昔懐かしいものは出てきました。そんなものを掘り起こしながら、そのネタをツマミに缶ビールの栓を抜くのもいかがなものかと自省しながら、もう一杯だけいただきました。ビールのおいしい季節になりました。

[編集後記]

 


 

夕食の会話の中で次々と苦い学生時代を思い出してゆく
ひとつのシーンがあり「儚い出会い・別れ」であった
(麦藁帽子も無くなった物のひとつ・・・という話題)

梅雨らしい天候が続いている

そろそろ大学もレポートや試験の季節
娘の日記(ミクシー)を見ていても
少しずつ切迫感が募っているのがわかる

 

🎋 試験

苦い思い出がいくつもある。

大学時代は、母校で最も歴史があり誇り高い電気通信工学科というところに居た

しかし、サボリ魔で、ちっとも講義には顔を出さず
梅雨の合間にひょっこりと顔を出して掲示板を見ると
「レポートは締め切りました」とか「試験は最終講義で実施したため、前期は実施しません」
と書いてあるのに何度も遭遇した

七夕のころ
こういう事件のことばかりを思い出しては、昔を懐かしんでいる

娘にもその話を何度もした
幸いにも、娘にはサボリ魔は遺伝しなかったようだ

 

こんな作品も残る

🔖 たなばたや浴衣のすそのその奥へ  ねこ作

さて、「火の一句」考えよう。今年は載るぞ。

 

2008年3月 7日 (金曜日)

ジンクスが風上へ誘う沈丁花

成人式にも出る暇もなく日夜机に向かい臨んだ試験であったが、残念ながら満足な感触は無いまま三月を迎えていたと思う。

 

駅までの歩き慣れた道路のどこかで、沈丁花の花がぷんといい匂いを放っているところがあった。進級発表の日に匂いを嗅ぐと期待が叶わないというジンクスがあるのだという話を聞いて、些か気に掛けていたものの、住宅街を歩いてこの花に遭遇しないで過ぎることは難しい。

 

当時は、今のように「留年」という言葉があったものの「落第」という呼び方もしっかりと使われていた。

 

正門を入り階段を駆け上がり教養棟の進級発表の掲示板を見たときに自分の名前が(というか番号だったはずだが)無かったときには、多かれ少なかれ予想はしていたものの、足が震えるような感覚と目の前が渦巻くような衝撃を受けた。

 

まあ、落第というお仕置きを食らったのだが、学友は二倍に増えたし、肩の力も抜けた。思い切り古本屋通いもさせてもらったことだし。そう思うとそこで吹っ切れて、卒業までの後半戦は、結構自分でもアッパレなほどに専門過程に打ち込んだものだ。

 

1970年代。
学生は、今の若者のように豊かで満足に満ちた暮らしをしてはおらず、勉強にも生活にも不満があった。送り出す方の家庭にもそんなに生活に余裕があったわけではない。「勉強をやりたくて進学した」大学であったが、ウッカリしていると「無理に勉強する必要も無いし遊びに大学に行くくらいなら早く就職しろ」という父の苦言が飛んだ。(実は今でも)寝言に魘されるほどであったのだが、それを押し切って東京にしがみついた。

 

--

 

その二年前、下宿を決めたあとで文学部のS君と昼間からビールを買って穴八幡付近を彷徨いながら合格の乾杯をしたのを思い出す。

 

S君は、仙台で四年浪人をして、七年ほどかかって卒業していった同僚だ。そういう青春もあったのだな、俺たち。

 

沈丁花の花が咲く季節になると、あの頃、愛用の下駄を引っ張り出して颯爽と街へ出かけるときの清々しさを思い出す。恋人なんてぜーんぜん欲しくなかったなー。青春は輝かしいもので、夢は儚きもの、です。

 

穴八幡

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