フォトギャラリー(令和3)

フォトギャラリー(令和2)

  • 大晦日
    - Walk Don't Run - 夕焼けの向こうまで─枯葉の舞う道をあなたと二人で/銀マド【自画像篇】

フォトギャラリー(令和1)

  • Img_0968
    令和元年の足跡(写真300枚余り) - Walk Don't Run -銀マド 夕焼けの向こうまで─枯葉の舞う道をあなたと二人で/銀マド【自画像篇】

写真日記(平成31年版)

  • 天皇退位の日
    Days31 - Walk Don't Run -銀マド 夕焼けの向こうまで─枯葉の舞う道をあなたと二人で/銀マド【自画像篇】

写真日記(平成29年版)

  • 年越しそば
    Days29 - Walk Don't Run -銀マド 夕焼けの向こうまで─枯葉の舞う道をあなたと二人で/銀マド【自画像篇】

写真日記(平成28年版)

  • 越乃寒梅
    平成28年の
    日々の写真に
    コメントを
    綴ります - Walk Don't Run -銀マド 夕焼けの向こうまで─枯葉の舞う道をあなたと二人で/銀マド【自画像篇】

京都日記(平成27年7月篇)

  • 鱧のお弁当
    京都日記
    平成27年7月篇 - Walk Don't Run -銀マド 夕焼けの向こうまで─枯葉の舞う道をあなたと二人で/銀マド【自画像篇】

京都日記(平成27年春篇)

  • 焼き鳥
    京都日記
    平成27年版の
    春の日記です - Walk Don't Run -銀マド 夕焼けの向こうまで─枯葉の舞う道をあなたと二人で/銀マド【自画像篇】

写真日記(平成27年版)

  • 伊達巻
    平成27年の
    日々の写真に
    コメントを
    綴ります

日々是好日写真記

  • ハーモニカ
    860枚 平成18年から平成26年まで(写真日記) - Walk Don't Run -銀マド 夕焼けの向こうまで─枯葉の舞う道をあなたと二人で/銀マド【自画像篇】
無料ブログはココログ

人物(逝く)

2020年2月14日 (金曜日)

2月11日 野村克也逝く

野村克也さんが2月11日に亡くなった

 

衝撃が走ると同時にそういう時期が来たかという冷静で落ち着いた心もあった

 

野村克也を知らない人も多いことだろう

 

選手生活が長いだけに現役時代でも引退の頃の後ろ姿は盗塁を刺すための送球がセカンドまで届かない時もしばしばあった。

 

それほどに弱ってきても選手として監督として名選手の看板を背負うのは俺しかいなだろうという勢いで野球をしている熱意のある人の姿だった

 

もちろん選手全盛時代は強肩であったことはいうまでもない

 

田淵だってそうだったのだが、キャッチャーとして補給を受けてそのまま座った状態からセカンドに投げて盗塁をシャットアウトしたほどの人だ

 

そりゃ見ていて痺れるというのはああいうのをいうのだ

 

あのい勇ましく格好良かった頃も華やかにテレビに映してやりたかった

 

「月見草」と自分を比喩する言葉には憎たらしくひねくれても見えるところもあるが、あの時代背景を知っていれば、あの不運な時代であってもあそこまで知れ渡った凄さというのは現代の人気者の諸氏には真似ができないものではないだろうか

 

どこにそんな根性があったのだろうか、優しい顔と話しっぷりからは想像もできない

 

 

選手を引退をしてからも監督としての切り替えが素晴らしい

 

有能な人というのは自分が立派で格好よくて目立って記録をたくさん残す以外にも自分の弟子を育てる才能を発揮してこそ使命を果たしているとも言えるのだから野村克也の功績は大きい

 

数々の言葉が残っている

 

それを一つ一つ整理していくと湯水のように出てくるわけであるが、それらが全て野球だけに通じるものではなく、人生訓として(指導者に求められる条件としても)通じている恐ろしく重くて意味の深いものが数多い

 

数々の場面や経験を経てひとつひとつを言葉にしている

 

つまりそれらの言葉の発生には場面がある

 

ある状況に置かれた時に野村克也にマイクが向く、そしてそこで野村克也は答えるのだ

 

その名言がズキンと響く

 


 

数多い言葉、どれをとっても 身に沁みるものばかり

 

今の時代 理屈を言うと嫌われる風潮もありますが、理を持って丁寧に分析をしている姿を知ると尊敬が念が溢れて来ます

 

「勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし」

 

ニコニコとしながら話す内面には熱い情熱がこもっていたのを痛切に感じます

 

 

 

2018年2月21日 (水曜日)

金子兜太さん 逝く

金子兜太さん 逝く

 

むかしを探して
もう一度振り返ってみたい


秘伝ブログ ▶️
金子兜太さん 逝く 雨水篇 (裏窓から)


1
    1. いつもと同じ春、いつもと違う春 ─ 啓蟄篇
      まず」の暮らしが動き出しているようです。金子兜太さんは「他界」のなかで、逝ってしまう人はもう一つの世界に移ってゆくだけで魂までもが消滅するわけではないのだとお...

 

    1. 金子兜太 他界
      金子兜太 他界2015年2月20日 (金)図書館で借りたのでさらりと読んでホイと返却してしまった。読み終わったあと、し...

 

    1. 春はじりじり
      に立たんが少しは手伝っているかな。雨水。金子兜太を読み始めました。さっぱりした作品です。引っ越しの荷物運びなどの予定で休暇にしていたのですが、割と暇だったので...

 

    1. 温い日寒い日 ─ 雨水篇
      書館に予約を入れておいた本が届きました。金子兜太さんの「他界」です。少し前に金子兜太さんの語る 兜太 ─ わが俳句人生 金子兜太を読んで以来、カリスマ的に手が...

 

    1. 語る 兜太  ─  わが俳句人生 金子兜太
       金子兜太さんという人は、朝日俳壇の選者もやっていて、テレビで何度か見たことがあり、ラジオでも話を聞いたことがある。95...

 

    1. 金子兜太 わが俳句人生 語る兜太
      BOOKs(読書日記)から金子兜太さんの魅力と凄さはいったいどこから湧き出てくるのだろうか。そう思うと、むかしを掘り起こして、自らが描く姿にお目...

 

  1. 枯野
     よく眠る夢の枯野が青むまで  金子兜太私は夢をほとんど見ない。眠ったら朝までまっしぐらで、眠っているときの歓びはない。したがって、どんな寒い朝でも起...

 

金子兜太 他界

 

金子兜太 語る兜太

2018年1月20日 (土曜日)

あれが最期 大寒篇 (裏窓から)

平成10年(1998年)
1月の暦を調べると20日が大寒です

 

そして21日が母の誕生日で67歳を迎えて

 

22日に父が亡くなります

 

父は66歳でした

 

3月20日で67歳になるはずだった

 

 

 

気象記録データを調べると

 

市内の観測所で測定した最低気温が

 

22日に2.3℃、23日に3.0℃、24日2.6℃

 

となっている

 

 

 

とても寒い北風が吹き荒れ

 

葬儀の時にも寒さが容赦無く襲い掛かり

 

私はそのあと2週間ほど激しい風邪ひきと前例にない声枯れに襲われたと記憶している

 

 

 

私の弟も(あれから20年たち)86歳になる母も

 

あのときのことや葬儀のこと、そのあとのことを話すと一致して同じことを言う

 

 

 

しかし、気象データは2℃以上あって、二、三日前の寒波よりも温たいことになる

 

 

 

記憶がいい加減で曖昧なのか、色褪せるのか、それとも人が死んでしまうようなことがあると身体がまた違った反応を示すのか

 

 

 

私の父は数年来に経験がないほどの寒い日であった1月22日の正午前に亡くなったと大勢が記憶していることは事実である

 

 

 

その1週間ほど前から周りの人はそろそろを覚悟したり、まさかまだやろうという感触を持ってみたりしていたそうだ

 

 

 

本人はふだん通りの日常を過ごしていたのだろうと思う

 

 

 

車で1時間ほどに住む私のところには何の連絡もないし心配事を伝える電話もなかった

 

 

 

私の方も別段に憂うことも心当たりもないので、冬が終わって春が来て、きっとのらりくらりといつまでもこのままでいてくれるだろうと考えていたのだった

 

 

 

のちに私は自分の日記にあの頃の様子を母が話してくれたのを書き残している

 

 

 

近づくところ

 

 

 

「なあ、うちのお父さんが逝くときには、

 

どんなふうやった?」

 

「そうやなぁー」と、

 

母は目を細めて話し始めた。

 

 

 

高血圧で、脳みその中のあちらこちらで

 

血が滲んでいたのだろうか。

 

 

 

「その日の二三日前には

 

既に意識がぼーっとしてたなあ。

 

ビールが飲みたいと言うので、

 

こんな状態で飲ましてはならんと思い、

 

お茶をやったら、

 

『ビールと違うやないか、まずいなあ』

 

と言うてやったわ」

 

「どこかが痛かったとか、

 

そういうことはなかったのか」

 

と尋ねると

 

「そんなに苦しがることはなかったな。

 

布団に入ってスースーと眠っていて、

 

(父の実姉と三人で布団に入って)、

 

向こうから姉さんが身体を暖めて、

 

わたしがこちらから暖めていたんやけど……、

 

姉さんが『なあ、仁(じん:父の名前)、

 

冷たくなっていくわ。あかんな、もう』

 

と言うて……あれが最期や」

 

 

 

🍀

 

 

 

さすがにここまで書いて

 

私もペンが揺れるわ

 

 

 

少し休憩

2017年12月29日 (金曜日)

逝く人や伝えたきこと問い返せず

 

 

 

を書いてきました。


 

12月23日  葉室麟 66歳
12月8日 野村沙知代 元プロ野球監督野村克也の妻 85歳
12月6日 辰濃和男 「天声人語」87歳
12月2日  はしだのりひこ 72歳
11月6日 中村鋭一さん 87歳
10月26日 篠沢秀夫さん 84歳
10月25日 遠藤賢司さん 70歳
10月5日 三條正人さん 66歳
8月28日 羽田孜さん 82歳
7月24日 山川啓介さん 72歳
7月21日 平尾昌晃さん 79歳
7月18日 日野原重明さん 105歳
7月11日 砂川啓介さん 80歳
7月6日 安西愛子さん 100歳
7月1日 上田利治さん 80歳
6月22日  小林麻央 タレント 34歳
6月13日  野際陽子 女優 81歳
4月23日 三遊亭円歌さん(享年88)
4月12日 ペギー葉山さん 83歳
4月6日 京唄子 漫才師 89歳
4月5日 大岡信 86歳 詩人
3月14日 渡瀬恒彦 日本の俳優 多臓器不全で死去 72歳
3月1日 かまやつひろし シンガーソングライター 膵臓がん 78歳
2月13日 鈴木清順 93歳
2月3日 三浦朱門さん 85歳
1月25日 藤村俊二 俳優 82歳
1月21日 松方弘樹 俳優 脳リンパ腫 74歳
1月3日 神山繁 俳優 87歳

 

 

 

コウケンテツ さんの
「ガーリックライス」
美味しかったので
またやりたいですね

 

この日は「牛のしょうが焼き風」に挑んでみましたが
細かいところを手抜きして省略しますから
少し物足りなくなったかな

 

 

牛のしょうが焼き風

 

ワイン買いました

 

お昼は生ラーメン

2017年7月 9日 (日曜日)

この世をいとおしい、去りとうない、と思うて逝かねば、残された者が行き暮れよう 小暑篇

もう三年ちかくもむかしのことになるのだと考えれば
感慨深く思うと同時に三年間とはいとも儚いときの流れだと痛み入る

 

二十年ちかくまえに父を失い
何が切っ掛けでというわけでもなく
「孔子」(井上靖)を座右に置くようになる

 

そこから何を知り得たわけでもなく
わけをのみ込んだわけでもなかろうが
「逝く者は斯くの如きか、昼夜を舎かず」
しみじみと噛み締めること常々とし
残された人生を
如何に悔いなく生きるべきかと
考え続けてきた

 

自分の人生を振り返っては
しくじったことあるいはなし遂げことなどを顧みて
二度と苦汁の思いを噛むようなことは避けて生きるべきなのだ
と自分に言い聞かせてきた

 

たとえ我に失策がなかろうとも反省はせねばならない

 

何事においても
それは人生の設計にでも例外なく
物事の成就は戦術よりも戦略が大事だと言い続けてきたし
大局を見下ろす俯瞰的な視線が欠かせないと
思い続けて来た

 

そう言いながらのこの三年
甘くはなかった

 

🍀

 

およそ三年まえ
平成26年10月30日 木曜日のわたしの日記の中に
葉室麟「蜩ノ記」の読後感想を書き
物語からある「言葉」を抜き出している

 

秋谷と慶泉和尚との会話から
─ もはや、この世に未練はござりません
─ まだ覚悟が足らぬようじゃ。未練がないと申すは、この世に残る者の心を気遣うてはおらぬと言っておるに等しい。この世をいとおしい、去りとうない、と思うて逝かねば、残された者が行き暮れよう

 

その語録を書きとめた日記を
ぱらりぱらりと読む

 

🍀

 

歳月人を待たず

 

わたしたちは老いてしまう時間は早いものだから
一時たりとも時を無駄にせず弛まぬ努力を怠ってはいけない

 

という教えを胸にしてきた

 

若くして病魔に屈せざるをえなかった
小林麻央さん死亡がニュースで流れて
残された小さな子どもたちへの思いも伝えられた
彼女を悼む大勢の人々が悔しい思いでコメントを寄せているなかに
中山祐次郎さんという医者の記事があった

 

それは
「いつ死んでも後悔するように生きる」
として
突然死を迎えることになったときに
もし後悔しないなら
それはどこかが本気ではないのだという

 

自分の使命に向かい一生懸命
目いっぱい熱狂して夢中で取り組んでいたら
それが中断したら
無念で無念でならないはずだという

 

命を賭けて生きていき
死ぬ間際までも
目標に向かい続けておれば
無念であるはずだ

 

人生はそのように生きることが大切だといっている

 

🍀

 

わたしの母は八十六歳であるものの
現在も直接死と向かいあうような病気はなく
理系のわたしよりも数字の計算は速く
記憶力に衰えもないようだ

 

何も思い残すことはないようなことをたびたび話しながらも
死ぬ間際は一週間ほどは寝込んでおりたいとまで言い
その一週間に数々の人に会って最期の挨拶を交わしたいと願っているらしい

 

息子なので
わかるような気がすることがある

 

あらゆることを何ひとつ胸に秘めることなく
何から何までを日常の家族の団らんで話してきたわたしたち家族であるがゆえに
言葉にはしなくとも伝わってくるのだ

 

母は
「この世をいとおしい、去りとうない」
とは一切言わない

 

しかし、実は思うているのではないか
そんな予感がするのである

 

「この世をいとおしい、去りとうない、と思うて逝かねば、残された者が行き暮れよう」
という小説の中の言葉が
やけに重い

2015年5月19日 (火曜日)

過去への落し物

ここまで忘れていたのだから困っていないだろうということが過去への落し物みたいな気持ちです。

 

---

 

NさんがSNSへのパスワードを
うっかり忘れてしまったときの
その後のコメントで
「過去への落し物みたいな気持ち」
と書いておられて、

 

わたしはその言葉のことで考え込んでしまう。
彼女が言いたかった真の心の内とは何なのかがぼんやりだったので、
もう少し正体を突き止められないかと思うほど迷路に入っていく。

 

だからすぐには返事めいたことも書けずに
この一節をメモに書き置いたまま睨み続けた。

 

睨んでみては諦めて
感情を冷ましてみては
もう一度睨んで考えた。

 

落し物ってなんだろう
自分の手から離れた瞬間に
もう棄てられてしまうかもしれない宿命があったのかな

 

それはないでしょ
落としたくて手から離れたわけじゃない。

 

でも
手から離れた瞬間に
自由になれたと考えれば
どうだろう。

 

人生の完全燃焼ストーリーのシナリオから
落し物のように遊離して
私は今の人生を歩んでいる。

 

落し物って
あいつら
いつか誰かに拾って欲しいと思っているのだろうか。


濃密な文章で反時代的な私小説を書いた
直木賞作家の車谷長吉さんが17日、死去した。

うーん。残念。
たくさんの直木賞の中でも「赤目四十八瀧心中未遂」は特に素晴らしい作品です。
おもいきり真面目に感想も書いている。
もう一回読もうと思う。

 

---
車谷長吉 「赤目四十八瀧心中未遂」

  • 上手に生きてゆけない男が、身体が震え上がるような女性(アヤちゃん)に出会い、名門の出であることを密か……

----

車谷長吉 赤目四十八滝心中未遂

BOOKs(読書日記)

2015年3月24日 (火曜日)

進化するものしないもの

新・写真日記(27)

豚汁

 

小松菜・おあげ

 

鯛


ゆうべは、叔父の訃報が飛び込んであたふたとする夜を過ごす。

 

ムスメさんは引越し後の生活が始まって超オンボロ(旧式)のお風呂と付き合う暮らしを始めている。あまりのポンコツ旧式過ぎる風呂に辟易しているのかどうかその辺りは不明だが、旦那さんが「この家の湯舟には浸からん」と宣言しているらしい。ほんまかウソかはわからんし、理由もボロいからか狭いからか汚いからかもワカランけど、そんな話がツマ経由で耳に入ってくる。(母と娘というのは仲良く話をするらしい)

 

先の日記にも書いてみたが、技術は進化するので、古い技術を知っている我々にすればなんてことのない只の不便であり、意識を巻き戻せば少し辛抱することで暮らせることだってたくさんある。

 

技術の進化を否定するつもりはないが、過去の不便を実体験するのは、未来を生きてゆくときに役立と思うのだが。

 

交換手に話しかける電話、ダイヤルの電話、赤電話、ピンク電話、100円電話、カード電話、コードレス電話、携帯電話と、電話ひとつとってもこれだけ変化をしている。

 

生まれたときから、携帯電話があり、電子レンジがあり、トースターがあり、自動炊飯器がある。お風呂は温度を設定すれば自動でお湯を張り指定の量で止まる。蛇口をひねればお湯が出て、部屋の温度は常に快適に設定されている。

 

外に出て電車の乗ってもクルマを運転しても、役所やお店での手続きにおいても、過去を思い出すのが不可能なほどに技術は進化をしている。

 

暮らしの制度においても然りであろう。あらゆる補助金や保障制度、保険システムは充実して後戻りを許さない。

 

これらは一種の既得権としてわたしたちに、あまりにも当たり前の権利として存在するのだ。これらの何割かを返上しなくては、次の世紀には万人が幸せといえる暮らしはこないだろう。しかし、誰も返上はしないだろうから、困っているのだ。

 

30年も昔に食べていた食事と同じようなものを食べなから、進化というものを考えた。

 

自分は快適に暮らし、他人に迷惑をかけなければいいのだ、というあたかも完成されたような社会システムだけで世の中が進化する事はありえない。

2013年2月26日 (火曜日)

手がかり - 死んでゆく覚悟 

雨水が過ぎて日一日と日の暮れが遅くなるのを感じながら、なかなか温かさが満ちてこないのをじれったく感じている。

 

寒い日の朝など、布団から出るのを躊躇いながら、父はどんな寒い朝であっても布団から出るのを嫌そうなそぶりすらせず、弱音も吐かずに飛び出していったのを思い出す。

 

そんなことばかりが記憶にあって、肝心なことを憶えていないというもの物事の常であるのだろうか。

 

+
+

 

60歳をやがて迎えるとしごろになって、寒い日の手仕事の最中に指が悴んで凍りつくのではないかと思うような日が増えた。これは明らかに年齢のせいで、指先の血管が細くなっているのか、血圧に変化が出てきているのか、身体の細胞が指の先に至るまで劣化し始めているからなのであろうか、と考えることが多い。

 

生理学的事実は不明であっても、このような変化は素直に受け取って、年齢に応じた暮らしをしなくてはなるまい。

 

父が寒い朝に布団を飛び出して、ものの数分後には小屋で片付けやら農作業の準備やらをしていたのを思い出すと、あの人は指が痺れるとか手が悴むとかいうようなことはなかったのだろうかと思ってしまう。

 

しかし、そんなことは人間である以上あり得るわけがなく、寒いときは寒さにふるえ、暑いときは汗を流していたはずだ。私も同じように高血圧であるから、体質にそれほど違いはあるまい。

 

+
+

 

60歳を迎えるころ、果たして父は死というものをどのように考えていたのだろうか。そのことについて二人で語り合ったことは一度もないし、飯や酒の席でさえも触れたことなどなかった。祖父はやはり70歳になる前に逝ってしまっているので、自分も残り10年以内と察していたのだろうか。

 

死んでしまってからの歴史を逆戻りすることは簡単で、67歳の誕生日を迎えるまでに逝くわけであるが、まさか10年以内をそこまで現実的にとらえていたわけでもあるまい。
死んでゆく覚悟を何歳くらいで心したのだろうか。死というものをどのように捉えていたのだろうか。そういうことを、今自分がその年齢になってみて初めて考える。

 

これだけはやっておきたい。そういうようなことはなかったのだろうか。あったなら、いったいどういうことを思い描いていたのだろうか。

 

手がかりがまったくないことがこの上なく残念で仕方がない。


【- Walk Don't Run -】遺す言葉

2013年1月25日 (金曜日)

冬は寒くなくてはならないのだった 大寒篇

まつすぐに十一月の始まれり  鷹羽狩行

 

 

冬は寒く長く、確かに辛い季節ではあるが、11月にその覚悟を決めたからには、終わるまでやり通す意思も必要だ。寒いと言って投げていてもいられない。私のいつもの口癖で大好きな言葉で言えば「縄文時代から予測できた」ことに不平不満を言ってはいけないのだ。まっすぐに11月を始めるからには、強くて揺るぎない意思と決意と展望があったのだから。

 

 

私たちは怒りや不平を日常として生きている側面があって、それが励みになりプラスの思考ができて羽ばたけるのであろう。大寒を迎える1月20日は、連続的に寒がり屋さんを苦しめた寒さも少し揺るんでいた。今年は穏やかな朝だったと日記には書きとめている。

 

 

大寒を迎えることはそれは父の命日を控えてということであり、寒さの中で声も枯れて出なくなった1998年(平成10年)のあの葬儀のことを思い出す。なだらかで優しい山並みも大寒波の到来で白く雪化粧をしていた。嘗てこんな景色になった日があり、父が喜んでか珍しがってか、カメラを出してきて写真に撮っていたのを思い出す。それほどまでにこの山に雪が積もる景色は珍しかったのだが、父の葬儀の日は,峠を越えてくる人が難儀をするほどの雪となった。

 

 

21日が母の誕生日なので墓参りをかねて家を訪ねた。誕生日の贈り物などしないのだが、ドーナッツを三つほど買って帰って仏前に供えた。私たちが結婚をしてからの間に葬儀にたった(都合で参列できなかった人も含む)人のことを私が尋ねてクイズのように回想しながら並べ替えてみると、母は考え込むこともなくスラスラと答えて行く。私は1問も正解を出せなかったかも知れないのに、自分の答えが正解ですとばかりに教えてくれた。

 

 

房子さん、きしさん、逸夫さん、忠知さん、父、静代さん、さだえさん、としさん、幸一さん、常夫さん、三生さん。

 

 

もう結婚式に出席した数よりも多くなってしまった。このあとに連なるのは紛れもなく母の名前であり私の名前なのだ。そう考えると、こうして大寒を過ごすことの大事さが見えてきて、この寒さが不可欠であり、父を語り継ぐためには再び冬を迎えたら寒い冬でなくてはならないのだと思った。

2010年12月18日 (土曜日)

ふつうの日記 - ヒゲ剃り

ヒゲ剃りが壊れて暫く経つけど、二十年ほど前のブラウンを復活させて使っている。
他人より剃る箇所が半分かも知れないが、手間は同じよ。

 

このヒゲ剃りもかなり弱ってきた。
新しいのが欲しい。

 

--

 

父が逝く前に、新品を買ってやってそれが実家に放置されて有ると母が言う。
新品を買うと今度はわたしが逝く番になりそうなので、お古を使おうかな。

その他のカテゴリー

Anthology 小さな旅 Anthology 旅の軌跡 BOOKs【読書室】 『随想』すぎゆく季節に考える 【- Walk Don't Run -】 【イマージュ】 【シュール】 手紙 【令和元年 M's 外伝】 【深夜の自画像】(江古田) 【花も嵐もIII】終楽章 【花も嵐もII】追憶篇 【花も嵐もI】 GSX篇 【裏窓から 巻頭】 【裏窓から】 【裏窓から】メルマガ 【裏窓から】B面 【裏表紙の落書き(雑文)】 【銀のマドラー】 Select 【銀のマドラー】B面 【銀マド・名作選】 【随想帖 一、】 【随想帖 二、】 【随想帖 秘】 【随想帖 想】 【随想帖 音】 【雷山無言 一、】初版 【雷山無言 二、】余録 【雷山無言 日々】 【雷山無言】ホンモノ 〔📌語録選〕 〔㊙️自選集〕 ご案内 つぶやき つぶやき→ため息 つぶやき(人生) わたしの・横顔を ア・ラカルト(ジョーク) クロス🔗 ノン・セクション(宛先なし) ノン・セクション(考) バイクの話を集めてみる バイク旅を考える ボイス・オピニオン 予告篇 人物(逝く) 人生を考える 人(福田みどり) 備忘(一月) 備忘(七月) 備忘(三月) 備忘(九月) 備忘(二月) 備忘(八月) 備忘(十一月) 備忘(十二月) 備忘(十月) 光化学の『裏窓から』 前略草々 十七音 のおと 十七音エトセトラ 十七音(つぶやく) 十七音(ときめき) 十七音(アラカルト) 十七音(メモ句) 十七音(七夕) 十七音(三月) 十七音(侘助) 十七音(冬) 十七音(吟行) 十七音(夏) 十七音(好き) 十七音(投稿) 十七音(春) 十七音(月) 十七音(母) 十七音(沈丁花) 十七音(海) 十七音(父) 十七音(秋) 十七音(空) 十七音(節季) 十七音(花) 十七音(落書き) 十七音(記念日) 十七音(酒) 十七音(離別) 十七音(雨) 十七音(雪) 十七音(風) 十七音(鬼) 増殖する『新・裏窓から』 増殖する(秘)伝 夢を食べる虫 家族 家族(お出かけ) 恩返し 昔の話をしよう 未分類 (コロナ) 未分類(ストレス) 未分類(ハプニング) 未分類(備忘) 父の背中 物語は進まない 瞬く(カメラⅡ) 瞬く(カメラ) 瞬く(ギャラリー) 瞬く(春) 瞬く(未分類) 瞬く(車窓から) 第四コーナー / Do 第四コーナー / ゆるりと生きる 第四コーナー / 暇つぶし 第四コーナー / 食べる暮らしぶり 純粋社会批判 終焉 裏窓から(サドンデス) 言葉を残したい 豊かさと満足度 雑記(夢) 青春時代 鶴さん・秘伝 (番外)いつも空を (追憶) 居酒屋・鶴さん

カテゴリー

歩きの日記

  • 三野瀬駅
    あるく - Walk Don't Run -銀マド 夕焼けの向こうまで─枯葉の舞う道をあなたと二人で/銀マド【自画像篇】

オートバイとともに(BIKEs)

  • 平成24年(2012年)最後の春(閏日)のKLE
    かつて
    バイク・ツーリスト
    だったころ

Walk Don't Run

ノート

2021年7月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
フォト