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【深夜の自画像】

2015年12月13日 (日曜日)

おとやん の手紙

Walk Don't Run

 

Photo_4

 

Photo_3


おとやんの手紙


おとやんの手紙


おとやん と呼ぶ

 

おやじ、オヤジ というふうに呼ぶのを本や雑誌、新聞などで聞くが
私のところでは自分の父親のことを「オヤジ」とは呼ばない、言わない。
そんな言葉は辞書にないので、例えば「おやじの背中」なんてのはあれはどこぞよその地方の人の気取った言葉でしかない。

 

おとやん

 

そう呼ぶのが正しい。
しかし、友人などとの会話でアナタのお父さんをさして「おやっさん」ということはある。

 

そのおとやんは「為せば成る」という言葉が好きだった。トントンと思いだせないが、「一を聞いて十を知れ」「聞くは一時の恥 聞かぬは一生の恥」「黙って見て学べ」「面倒くさいということは何もない(言い訳だ コツコツやれ)」というようなことは、日常の口癖のように言ったものだ。

 

確かに、自分の日常の暮らしのなかで、数々の不可能を知恵と工夫で可能にしてきた人であったかもしれない。


手紙が引き出しの中に残ってた。

2015年12月 2日 (水曜日)

ビール2本 - 能生館の思い出

下宿に商学部の黒金先輩という人がいた。

 

黒金さんは米沢興譲館出身で、浪人時代を仙台で過ごしており、そのときの仲間で「北山会」というのを作っていた。その会に萩山寮時代の島田くんがいて「黒金というのが下宿しているから君に勧めるよ」と紹介してくれたのが能生館であった。

 

島田は、飯坂温泉の電気屋の息子なんだが、弟に島田ラジオ店を任せて仙台で2浪、萩山で1浪、そしてわたしが1年の時にも1浪して、合計4浪で文学部に入った。

 

島田くんの世話になったときには、この二人がお酒大好き仲間だと気づかなかった。

 

 

あの頃(1977年)、ビールは195円ほどで、黒金先輩は毎晩ビールを飲んだ。
学校から帰ってくるときに江古田の駅前にある十一屋でビールを2本買って帰る。
下宿の廊下をカランカランと音を立てて部屋に滑り込んでゆく。

 

このころは風呂屋が150円ほど、駅前のメシ屋でラーメンを食うと300円以内だった。

 

わたしも黒金先輩の真似をしてビールを2本毎日飲むようになった。

 

だが、先輩は勉強家でビールを飲みながらではあるものの大学生とは思えないほど日常の時間を勉強に費やしていた人で、のちに山形の銀行に就職し、随分と偉くなったと聞いている。(休日は「なべの会」で奥武蔵や秩父の山を駆けずり回っていた)

 

真似をしなくてもいいところばかりを真似したアホなやつだったのだ、わたしは。

夜行列車

わたしの家は貧乏だったから新幹線には勿体無くて乗るのが辛かった。
だからできるだけ負担を軽くと考えた。
必死で苦心をするのは誰もがするべきことだ。
普遍的なことであるべきだ。
現代社会の大勢の人々は、心のなかに豊かさの意識だけを大事に残している。
だが、いつの時代でもあの時のように苦心をする気持ちを持ち続けりことは不可欠だ。
(親の思いとこの気持にはヒステリシスがあるが)

 

大垣行き各停が東京駅から深夜11時半すぎに出た。
利用した思い出のある人は多かろう。
時代を経て人気が出て混むようになってくる。
いつも早めに東京駅で並んだ記憶がある。
三時間以上ホームに並んで待ったこともある。
満員で4人がけのボックスに5人とか6人とかで床にも人が寝ていたことがあった。

 

旅行気分になる。実際に旅行の人もいた。
京都で講義をする大学の先生にあったこともある。
様々なタイプの人たちがいて話し相手ができた。

 

思うようには眠れなかった。
長い夜を孤独に過ごすのも学生の試練だったかもしれない。

2015年11月30日 (月曜日)

満員電車と暑い地下鉄の話

むかしの話をしょうか
の続きを書く

冷房がない通勤列車

最初に「冷房がない通勤列車」と書いてみたが「満員電車がキライだった」が正しい。そして「暑い地下鉄」はその一例だ。

まだ冷房を備えた電車は珍しかった。

西武池袋線の江古田駅を7時45分ころはまだ朝の通勤ラッシュ時刻であるが、1時間に6本ほどやって来る各停の中に、1本だけが冷房車に当たるというくらいのレベルではなかったか。

地下鉄ではトンネル冷房というものが実施されつつあった。丸ノ内線はボロかったので、設備が充実するのも遅かった。
地下通路やホームは涼しかった記憶があるものの、まだまだ列車の中は地獄のように暑かった。
冷房をする装置がパワーや効率面で現代ほどには進化していなかったのだろう。

世の中のあらゆるものが現代のように大量の電力を消費するようには設計されていなかったのだ。


 写真日記(11月29日)

 

サッポロ一番みそラーメン焼きそば

 

シュークリームを買ってきてもらう

 

アニバーサリーで

 

2015年11月29日 (日曜日)

食卓にミカンさり気なく置かれており

なあ ちょっと
むかしの話をしょうか

なんてわけで あれこれ書き足しながら 逆引きリンクを作ってむかしを懐かしんでいます。

写真日記(11月29日)

 

 

みかん

 

11月も終わっていきますなあ

 

下駄履き
長髪
ブックバンド
トレンチコート
グウタラ学生生活
落第恐怖
ヘルニア
古本三昧

 

そんな大学生活が始まった最初の冬は
金がなくてコタツが買えたのはクリスマス前だった。

 

昨日ストーブ出しました。

 

スルメを焼けば
お酒が進む
ブタになる

2015年11月28日 (土曜日)

江古田のことはコチラが詳しい

むかしの話をしょうか

をリストアップしようとすると
能生館のことを真っ先に思い出す。

むかしのこの記事をぜひ読んで欲しい。

2015年7月 7日 (火曜日)

逃げ道

くみさんがFBで「人生の〈逃げ場〉 会社だけの生活に行き詰まっている人へ」(朝日新書)上田紀行というについて触れていた、この本をぽちっと注文してしまったくらい心身ともに読む気も起きないくらい疲れてる、という

 

読めるところまで回復したころには多分もうそこまで行き詰まってないんだろうう

 

🌱

 

自分を振り返ってみる

 

仕事が開発部門だったので潜在的プレシャーが大きかったか

多くの製品に関わってきたのは思い出ではある

 

人それぞれでプレッシャーの感じ方は違う

あのころはバイクに乗っていて連休には1週間以上も俗世界を離れたり週末はかなり身勝手な休息をしていた

 

仕事を辞めてしまえばプレッシャーはない

髪が減っていく速度が急激に遅くなっている

 

別の社会に変わってみて知ったことがある

プレッシャーの少ない社会が世の中に在るのだということだ

もしもそんな会社に二十四歳から入っていたら・・・違った人生だっただろうか

 

 

私は仕事をやめてバイクをやめて旅をやめた

人間は圧力の感じ方や影響の受け取り方に差が大きく在るものの私の辞書から「ストレス発散」という言葉が消滅してしまう

 

ストレスから解放されて初めて、その次にの打ち手が大事だと感じた

これはアブナイことだ

 

人は緊張するから生きている

 

緊張って誰のためのものか

それは自分のためにあるのだ

外部から緊張させられていると感じたら負けや

 

🌱

 

人生には「嫌い」と「好き」は都合のいいような割合では存在しない

「向いていない仕事」が相応しくなかった仕事ではない

嫌々ながら飯を食って子どもを就学させたのだから◎としたい

 

自分の夢の仕事をして成功できるなんて限られた人が実現できることで夢である

 

だから、人生をあれこれと語って見れば気付くだろうが、たぶん、成功した人の話はそれほど参考にならない

たんなる自慢話のことも多い

 

「どん底」を見た人の話には耳を傾けてもいいだろう

しばしば腹立たしい時もあろうが、上手に聞けば参考になる

順風満帆でなかった人のほう色々と悩んでいるぶん味がある

 

人生は順風に流されてゆくものではない

どんなことがあっても自分で設計をする

 

溺れていても、流れは自分が作る

そう思うことが大事だ

 

どん底で考えたことには大きな意義があった

 

🌱

 

子どもは親の背中を見ている

どういうふうに捉えるかの味付けは背中を見せっぱなしではなくて親がする

 

背中が大事なのか

真正面からの姿が大事なのか

そこで語る言葉の重みに価値があるのか

 

どっしりと重いものが親の肩に乗っている

あの頃は確かに重かった

しかしそれほど重くも感じず、楽しかったとも言える

 

子どもは木を育てるように大きく逞しくなってくれた

 

 

2009年3月 8日 (日曜日)

江古田(5)〔2004年9月初旬号〕

江古田(5)〔2004年9月初旬号〕

 

江古田駅の裏で降りて・・・いや待てよ、どっちが裏口なんだろうか。

 

武蔵野音大側で下りて西に歩いて踏み切りのある大通りも横切って歩いてくると「愛情ラーメン」という飯屋があった。

 

190円で焼き飯とラーメンが食えたので学食で食う300円ほどする定食より安上がりで重宝した。この頃、同じ駅裏にあった松屋が300円で牛丼を売り出していて、そちらも時々利用したが、値段と満腹度から愛情ラーメンは何度も利用した。

 

武蔵野音大や日大芸術学部や武蔵大学があったからだろう、駅前には割安感のある飯屋が多かった。天ぷらや焼き魚など、普通の定食屋では味わえないようなモノも置いている飯屋もあった。

 

華やかではなかったが、江古田が気に入ってゆく理由である。

 

9月18日(2004年)

« 江古田(4) 〔2004年7月下旬号〕

江古田(4) 〔2004年7月下旬号〕

江古田(4) 〔2004年7月下旬号〕

 

四畳半という言葉は死語かもしれない。裸電球のぶら下がった部屋だった。戸板を開けて部屋に入る。もちろん鍵などは無い。廊下沿いに窓があって、その反対側に1メートルほどの小さな窓が、道路に面してあるだけで、タダの四畳半に押入れがあるだけの部屋だった。

 

廊下を人が歩くとペタペタと煩い。しかしスリッパを履かないと靴下が汚れるのである。トイレや洗面所は廊下の突き当たりに1セットあり共同だ。しかし、朝や夕方に混雑した試しもないし、トイレにしても誰かの後で臭い思いをしたこともなかった。というか、そういう思いがあまりにも当たり前で苦にならなかったので記憶に無いのかもしれない。

 

ある日、友人が私の部屋に遊びに来た。夜遅くまで話していたので、さぞかし騒々しかったに違いないが苦情も無かった。そういう社会なのだ、この下宿は。

 

話が脱線したので戻します。その友人と向かい合わせで畳に胡坐をかきビールを飲んでいたのだが、その彼がふとしたことでコップを倒してしまった。そのこぼれたビールが彼のいた所から部屋を一直線に縦断して流れたことがあった。

 

つまり、部屋が大きく傾いているので、コップを倒すと高いところから低いところに向かってビールが一直線に流れたのであった。それほど部屋は傾いていた。

 

私はそんなオンボロな下宿が好きだった。

« 江古田(3) 〔2004年7月中旬号〕

続く

江古田(3) 〔2004年7月中旬号〕

江古田(3) 〔2004年7月中旬号〕

 

その家族と私たち下宿人は「コ」の字型の棟に同居をしていた。家族の皆さんが2階の向こう側、私たち下宿生がこちら側。家族の部屋の1階部分が食堂と居間で、下宿人の1階は数人の人が寄って何か作業をしている会社の皆さんがいた。「コ」の字の縦の部分の1階は玄関と武蔵野音大の岡戸さんの部屋で、2階は子どもたちの部屋だった。

 

下宿人の2階は、道路側から辻さん、私、黒金さん、大塚さん、爪生さん、林さんの順だった。黒金さん以外は皆さんが法学部だったので、夜にあれこれと部屋に集まって駄弁るときは勉強させてもらいました。

 

辻さんと大塚さん、爪生さんは東大法学部を目指していたスゴイ人で、1次試験には現役、浪人、早稲田1年と3度ともパスするが、2次は厳しい壁に阻まれていたらしい。毎日、寝息の聞こえるような間合いで生活するのだから、大体どんな生活かは想像できるのだが、それほどガリガリ勉強する様子でもなく普通に机に向かったり息抜きしたりしていた。なのに1次に通るなんてやっぱしスゴイ。

 

広大福山高校、山口高校、韮崎高校、米沢興譲館、札幌南高校と、よくもまあこんな名門ばかりをそろえたものだ。そんな連中のなかに飛び込んできた私だが、飛び込むだけで賢くなるならいいけど、やっぱし劣等感から抜け出れない日々でもあった。

« 江古田(2)〔2004年7月初旬号〕

続く

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