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【深夜の自画像】(江古田)

2019年2月25日 (月曜日)

あの時のそれだけですけどサクラソウ

学生時代に

そうです

行き帰りのお店で
総菜屋さんやったと思いますが

お店のショーウインドウ&カウンターの上に
可愛い花がありました

お店の店員さんも可愛かったので
買い物ついでに声かけたんです

-この花はなんて名前?
-プリムラ・・・

(ヨクシラナイので黙ってしまった)

そういった会話でしたね

メールアド聞き出すのが神わざと言われる僕でも
あのころは電話&メールなんてなかったからね

来る日も来る日も
話を少しして帰ってくるだけでした

あの時のそれだけですけどサクラソウ

オシマイ

江古田のことはコチラが詳しい

写真日記から

 

 

 みたらし( 白木屋) 
餃子 生姜焼き

2016年8月 8日 (月曜日)

だだちゃ豆 先輩の訛りを思い出してビールうまい

▶  だだ茶豆先輩の訛り思い出しながらビールを飲む
  (増殖版)

 

先輩は山形県米沢市の興譲館というところの出身で

 

仙台で浪人を経て東京に出てきた人でして
ビールが好きで
隣の部屋で夕食後に一段落勉強を終えると
毎晩 しゅぽんと音を立てて栓を抜くのです

 

訛りがあり素敵な口調で色々と為になる話をしてくれました
江古田の下宿での時間は人生の基礎となった掛け替えのない時間でした

 

 

写真日記から

 

だだ茶豆(山形産)

2015年12月 2日 (水曜日)

ビール2本 - 能生館の思い出

下宿に商学部の黒金先輩という人がいた。

 

黒金さんは米沢興譲館出身で、浪人時代を仙台で過ごしており、そのときの仲間で「北山会」というのを作っていた。その会に萩山寮時代の島田くんがいて「黒金というのが下宿しているから君に勧めるよ」と紹介してくれたのが能生館であった。

 

島田は、飯坂温泉の電気屋の息子なんだが、弟に島田ラジオ店を任せて仙台で2浪、萩山で1浪、そしてわたしが1年の時にも1浪して、合計4浪で文学部に入った。

 

島田くんの世話になったときには、この二人がお酒大好き仲間だと気づかなかった。

 

 

あの頃(1977年)、ビールは195円ほどで、黒金先輩は毎晩ビールを飲んだ。
学校から帰ってくるときに江古田の駅前にある十一屋でビールを2本買って帰る。
下宿の廊下をカランカランと音を立てて部屋に滑り込んでゆく。

 

このころは風呂屋が150円ほど、駅前のメシ屋でラーメンを食うと300円以内だった。

 

わたしも黒金先輩の真似をしてビールを2本毎日飲むようになった。

 

だが、先輩は勉強家でビールを飲みながらではあるものの大学生とは思えないほど日常の時間を勉強に費やしていた人で、のちに山形の銀行に就職し、随分と偉くなったと聞いている。(休日は「なべの会」で奥武蔵や秩父の山を駆けずり回っていた)

 

真似をしなくてもいいところばかりを真似したアホなやつだったのだ、わたしは。

2015年11月30日 (月曜日)

満員電車と暑い地下鉄の話

むかしの話をしょうか
の続きを書く

冷房がない通勤列車

最初に「冷房がない通勤列車」と書いてみたが「満員電車がキライだった」が正しい。そして「暑い地下鉄」はその一例だ。

まだ冷房を備えた電車は珍しかった。

西武池袋線の江古田駅を7時45分ころはまだ朝の通勤ラッシュ時刻であるが、1時間に6本ほどやって来る各停の中に、1本だけが冷房車に当たるというくらいのレベルではなかったか。

地下鉄ではトンネル冷房というものが実施されつつあった。丸ノ内線はボロかったので、設備が充実するのも遅かった。
地下通路やホームは涼しかった記憶があるものの、まだまだ列車の中は地獄のように暑かった。
冷房をする装置がパワーや効率面で現代ほどには進化していなかったのだろう。

世の中のあらゆるものが現代のように大量の電力を消費するようには設計されていなかったのだ。


 写真日記(11月29日)

 

サッポロ一番みそラーメン焼きそば

 

シュークリームを買ってきてもらう

 

アニバーサリーで

 

2015年11月28日 (土曜日)

江古田のことはコチラが詳しい

むかしの話をしょうか

をリストアップしようとすると
能生館のことを真っ先に思い出す。

むかしのこの記事をぜひ読んで欲しい。

2012年1月28日 (土曜日)

南国屋さん

▼正月の肉ためたまま一月尽

 

1月も早いもので、もう25日を回ってしまった。

 

寒い夜を迎えると
また昔の下宿を思い出してしまう。
四畳半裸電球の下宿の部屋で
窓を開けると路地の向こうの同じボロ下宿に
年の似た女の子がいて、

 

結構青春ドラマみたいに、
窓を開けるたびに顔を合わせた。

 

私のことなど意識せず
裸で平気で、気にせず歩きまわったりして、
気さくなお隣さんだった。

 

その部屋は、南国屋さんという食堂の二階だった。
でも、彼女の名前は、吉川くんではなかったが。

 

ほかでも書いたが(※江古田(1)でも触れていたが)、猫をたくさん飼っているおばあちゃんが食堂を経営している。
普通の民家に暖簾を出すだけで、
南国屋と書いてなければ、雑貨屋でも散髪屋でもおかしくない。

 

 

ガラガラと戸を開けて入る。
猫が出入りするので、少し開いていることが多かったかもしれない。

 

なかは土間である。
もうそんな下宿屋は都会にはないだろうな。

2009年3月 8日 (日曜日)

江古田(5)〔2004年9月初旬号〕

江古田(5)〔2004年9月初旬号〕

 

江古田駅の裏で降りて・・・いや待てよ、どっちが裏口なんだろうか。

 

武蔵野音大側で下りて西に歩いて踏み切りのある大通りも横切って歩いてくると「愛情ラーメン」という飯屋があった。

 

190円で焼き飯とラーメンが食えたので学食で食う300円ほどする定食より安上がりで重宝した。この頃、同じ駅裏にあった松屋が300円で牛丼を売り出していて、そちらも時々利用したが、値段と満腹度から愛情ラーメンは何度も利用した。

 

武蔵野音大や日大芸術学部や武蔵大学があったからだろう、駅前には割安感のある飯屋が多かった。天ぷらや焼き魚など、普通の定食屋では味わえないようなモノも置いている飯屋もあった。

 

華やかではなかったが、江古田が気に入ってゆく理由である。

 

9月18日(2004年)

« 江古田(4) 〔2004年7月下旬号〕

江古田(4) 〔2004年7月下旬号〕

江古田(4) 〔2004年7月下旬号〕

 

四畳半という言葉は死語かもしれない。裸電球のぶら下がった部屋だった。戸板を開けて部屋に入る。もちろん鍵などは無い。廊下沿いに窓があって、その反対側に1メートルほどの小さな窓が、道路に面してあるだけで、タダの四畳半に押入れがあるだけの部屋だった。

 

廊下を人が歩くとペタペタと煩い。しかしスリッパを履かないと靴下が汚れるのである。トイレや洗面所は廊下の突き当たりに1セットあり共同だ。しかし、朝や夕方に混雑した試しもないし、トイレにしても誰かの後で臭い思いをしたこともなかった。というか、そういう思いがあまりにも当たり前で苦にならなかったので記憶に無いのかもしれない。

 

ある日、友人が私の部屋に遊びに来た。夜遅くまで話していたので、さぞかし騒々しかったに違いないが苦情も無かった。そういう社会なのだ、この下宿は。

 

話が脱線したので戻します。その友人と向かい合わせで畳に胡坐をかきビールを飲んでいたのだが、その彼がふとしたことでコップを倒してしまった。そのこぼれたビールが彼のいた所から部屋を一直線に縦断して流れたことがあった。

 

つまり、部屋が大きく傾いているので、コップを倒すと高いところから低いところに向かってビールが一直線に流れたのであった。それほど部屋は傾いていた。

 

私はそんなオンボロな下宿が好きだった。

« 江古田(3) 〔2004年7月中旬号〕

続く

江古田(3) 〔2004年7月中旬号〕

江古田(3) 〔2004年7月中旬号〕

 

その家族と私たち下宿人は「コ」の字型の棟に同居をしていた。家族の皆さんが2階の向こう側、私たち下宿生がこちら側。家族の部屋の1階部分が食堂と居間で、下宿人の1階は数人の人が寄って何か作業をしている会社の皆さんがいた。「コ」の字の縦の部分の1階は玄関と武蔵野音大の岡戸さんの部屋で、2階は子どもたちの部屋だった。

 

下宿人の2階は、道路側から辻さん、私、黒金さん、大塚さん、爪生さん、林さんの順だった。黒金さん以外は皆さんが法学部だったので、夜にあれこれと部屋に集まって駄弁るときは勉強させてもらいました。

 

辻さんと大塚さん、爪生さんは東大法学部を目指していたスゴイ人で、1次試験には現役、浪人、早稲田1年と3度ともパスするが、2次は厳しい壁に阻まれていたらしい。毎日、寝息の聞こえるような間合いで生活するのだから、大体どんな生活かは想像できるのだが、それほどガリガリ勉強する様子でもなく普通に机に向かったり息抜きしたりしていた。なのに1次に通るなんてやっぱしスゴイ。

 

広大福山高校、山口高校、韮崎高校、米沢興譲館、札幌南高校と、よくもまあこんな名門ばかりをそろえたものだ。そんな連中のなかに飛び込んできた私だが、飛び込むだけで賢くなるならいいけど、やっぱし劣等感から抜け出れない日々でもあった。

« 江古田(2)〔2004年7月初旬号〕

続く

江古田(2)〔2004年7月初旬号〕

江古田(2)〔2004年7月初旬号〕

 

私がこの下宿に住みこむことになったきっかけは、文学部に進んだ島田君の紹介だった。島田君は仙台市で3年間の浪人生活を経て、4年目の浪人生活を最後と覚悟して東村山へやってきて、私と同じ寮に住むことになった。その1年間の話は長くなるのでまたの機会に譲ることにして・・・。

 

江古田の下宿には、島田君の仙台時代の親友であった黒金さんという、早稲田大学の商学部にかよう人がいて、島田君の紹介もあるが、私が下宿の新米として入れてもらうときには、この黒金さんの知人の紹介ならOKでしょう、ということで受け入れてもらえた。

 

家主さんは安藤さんといって、下宿屋の名前は「能生館」といった。おじさんが新潟の出身なんだって聞いてもその頃の私は何も考えておらず、この名前は新潟県の能生町から取ったものだと初めて気付いたのが社会人になって旅の途中に能生を通ったときだった。

 

安藤さんの家族は、真の親のような気持ちで面倒を見てくださっただけに、私はグウタラ下宿生だったので、おじさんやおばさんに申し訳ないかったなとしきりに反省をしたものだ。

 

「ねえ、お父さん、東京が焼け野原になってもこの能生館は燃えずに残ったらしいですものね。昭和3年に建ったんだからたいしたものよねぇ」と沁みじみと安藤さんのおばさんが話していたのを憶えている。おばさんは当時、40歳くらいだっただろうか。高校生の男の子と中学の女の子、そして少し歳が離れて小学生の男の子の母で、私たちの下宿人の夕飯も作ってくださる、私たちにとっても母のような人だった。

« 江古田(1) 〔2004年6月中旬号〕

続く

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