「ポツンと一軒家」番組を考える - 清明号
ポツンと一軒家という番組を見ている感想を
ちょうど 三月末くらいから四月初旬に考えていた
モヤモヤとしたものを
なんとか まとめてしまいたい・・
。。。。
- 🌱はじめに
この番組は 高齢者の視聴率が非常に高いそうだ
さっそく見てみると納得がいく
今やテレビのゴールデンタイムは 番宣のために変化しつつある
映画館で本編の前に流れる予告編というのがあるが
その予告編を本編にすり替えたようにゴールデンタイムのテレビ番組は成り立っている
ポツンと一軒家もゴールデンタイムの番組であるゆえ例外ではない
だが番組企画の矜持のようなものがあるのか
番組では年寄りを取材して話を聞き 視聴者に驚きと清々しさを与えている
難しい話題を投げかけようなこともせず 年寄りに面倒なことも質問しない
若い年齢層に偏った映像や話題をまとめあげているわけではない
タイトルの通りの一軒家をスタッフが訪ねて様子をレポートするだけで
無理を言えば レポートをするテレビ局のスタッフが「田舎無知」すぎるだけだ - 🌱コメンテーターが田舎を無知すぎる
ところが
この番組のコメンテータの解説やコメントが 大マヌケで
それがおかしいし 時には 一軒家の住人に失礼なのだ
田舎というものを知っていることは知っているのだろうが
解説できるほどの体験や知識を持っていないのだから
如何にも(知識人ぶっているようにも見える)
・・なコメントは とても見苦しい
田舎出身の側からから番組の中での解説を見たら
知ったかぶり に見えるか 見栄張りに見えるか
見ようによっては ええ加減な印象も強い - 🌱パネラーの社会的な見識が甘い
つまりは パネラーは
田舎を知らないのだから 知らないと言えばいいのだ
ポツンと一軒家があるような鄙びた田舎とは
「交通の便利が悪い」「人がほとんど住んでいない」
「物価が安い」「 自然が多い」
などの月並み情報や知識をもとに
色々と感想やら 場面の解説をしているだけに過ぎない
したがって
経験に基づかない軽薄で浅いコメントになる - 🌱田舎で頑張っている人は立派な人が多い
番組は非常に企画も面白く
視聴者の求める面白さや驚き 興味を惹きつけてゆく
都会が当たり前の側から見ると 田舎蔑視・面白半分
の番組になりはしないかと心配をもするのだが
取材を受ける登場人物が次々と魅力的で 人間味のある人で
田舎にはこんな人ばかりが溢れているのだと勘違いをされはしないか
少し心配になることもある
頑張っている田舎人は 生きる信念がしっかりしているし 自信もある
もちろん必要性もあるのだが 田舎で暮らすことに純粋に向き合っているのだ - 🌱資金に恵まれている人も確かに多い
田舎でしかできない産業や事業を手掛けている人もいる
安定しておそらく年金などにもゆとりがありそうな人もある
昔から定住して着て生活スタイルの確立していそうな人もある
こんな田舎で資産に恵まれずに暮らすのは不安が大きいということを考えると
貧乏だからとか都会の暮らしに困ったので田舎に移り住むというケースは稀であろうか - 🌱幸せな面をアピールしている放送(真相は?)
確かにゆとりがあるから田舎に定住を決め込める
少々のことでは揺るがない
もしもの時にも最低の手が打てるだけの根拠を持っているなども想像できる - 🌱人に言えない苦労や悩みなどにも着目したい
優雅な田舎暮らしであるのかというと その点は断定できない
幸せに暮らすことと優雅に暮らすことは別のものだから
暮らし水準の数値が高くなくても幸せは得られよう
しかし 田舎には田舎の苦労があって 何かを代償にするか
都会にはあって田舎にはないもを 犠牲にしてまで暮らしているのだろう - 🌱苦労や悩みをもっと取り上げてもよかろう
不便であることもその一つであり
豊かな物資に恵まれて 不自由感を持たずに暮らすことは無理だろう
つまり 不便で工夫をする暮らしを自分で受け入れている
それを悩みとしないから苦労の話を着てもケラケラと笑ってしまいになるのだ
実はそこには計り知れない苦労やある時には諦めも伴いそうだ - 🌱日常のため息にも耳を傾けたい
テレビでは弱音は聞けない
先にも書いたように 弱音という概念が存在しないのかもしれない
しかし 都会人を切り取ってそのままクビをすえ替えたら弱音の連続になるのではなかろうか - 🌱田舎の人の尊厳のようなものを重視するべき
田舎には立派なものが残されている
それは何か
ヒトが本来から持っている一人で生きてゆこうとする源のようなもの
それは自然の中で息づくもので
決して便利な物質にかこまれて暮らせない中から生まれてくるもの
現代文明の生んだ便利さへの反発のようなものもあるかもしれない
そこに命をかけているところが素晴らしいのではないか - 🌱廃れてた理由を考えてみる
みんなが田舎を捨てたというか 諦めたのが原因で田舎が寂れた
メリットを都市部に求めて 流行りの服や美味しい食べ物 快適な暮らしや家を得ようとした
本当は田舎もいいなと思い続けている人も多いはずですけど - 🌱反省点を考え未来に提言できないか
田舎を過疎に追いやると歯止めが効かなくなるのは見えています
たとえ寂れても田舎を生かしておきたいと考えるならば歯止めをかけねばならない
そのためには痛みや苦痛を誰かが背負わねばならないのですが
まずは田舎の良さを生かした暮らしを提案するところから始める
そういう意味では「ポツンと」は提言を投げかけてはいます
けれども 番組としての収益もあるのでクソ堅苦しいテーマは持ちたくないでしょうね - 🌱社会の仕組みの歪みを見つめて考える
自分たちだけが合わせであればいいという生き方を食い止める
ネット社会というものがあらゆるところで影響を発揮しているので
これを利用して新しい情報や物流の動きを作るなど
新しい時代に対応した田舎の姿を提言してゆくことが必要でしょう - 🌱田舎文化を取り戻す必要性は?
田舎には 昔ながらの文化や風習や習慣があります
それを生かしておきたいのですが
憧れで田舎に流入する人が増えれば 都会の文化に侵略されることにもなりかねません
田舎を守れる人が必要になります - 🌱これからの田舎はどうあるべきか
新しい田舎の姿を構想して見る必要があります
都会のようにIT化された社会を使いこなしている
自然の中で 少しの不便を貴重として生きている人たち
どんな暮らしが想像できるか
みんなで考える必要がある
ポツンと一軒家を見て
新しい田舎のあり方の構想を練って
廃れていかない田舎を考えるというのは面白いです - 🌱一面だけを見て勝手な時だけ田舎はいいなあという安易さ
今のところ 番組では
都会から見た田舎の感想と驚きを出して
バラエティーとして笑っているだけで楽しんでいる
一通りの田舎が登場し終わればそれで終わりとなるか
新しい方向を見つけて展開するのか
都会の人は田舎に対する認識が甘いか変更しているか 酷く言えば無知である
教養としても不足しているのではないかというレベルのコメンテータの発言が出るのを見て
これが現実なのであると認識するしかない
都会に住んでいれば田舎の知識が不要であるのは自明で
アフリカの途上国の文化を日本国民の多くが知ろうともしないのと同じようなものだろう
認識をもう少し立派なものに勉強して直してもらって
問題意識の持ち処ろもしっかりさせて
メディアとしてかっこいい番組が出て来てほしい - 🌱田舎をちやほやするようなお遊び番組は失礼
現在のように単に田舎を見て笑うだけの番組では
放送メディアというものが非常に文化レベルの高いものであるだけに
ちょっと 物足りなく感じる
別にかっこよく振舞うこともないが
視聴者をあっと言わせるような知的なものを望むのだ
真剣に作っていると思うが
そこで見つけた驚くべき文化や暮らしを
はいどうぞと都会にぶっちゃけるだけでは
現代社会の若者を始め 都会に住む人には 課題が伝わらない - 🌱不平等感を感じるのは何故か
都会が田舎を見て
へーといって驚いて笑っているだけであるから
都会中心の現代社会に対する反発が募るし
そんなメディアに担ぎ出されて田舎の人がちやほやされているように見える
その姿が気の毒だ
例えば出演料が有名人のように高額だったとしても
そんなお金は欲しくないだろう
田舎を有名にして注目を浴びたいわけでもない
便利になってほしいのでもない
ゼニカネ(銭金)で多くのことを判断して合理性を導く社会を基準にしているところと
人の暮らしそのものとその地域性や自然との関わりあるいは人間との交流を出発点としている社会とを
同じステージで比較はできない
もちろん優劣などもない - 🌱都会の良さと田舎の持ち味を生かした社会
そういった人間味を出発点とした味わいを全く失うことなく
不便でもいいと覆っている人たちが求めるものは何かを見つめ
経済社会の産物となってしまったメディアが
本来 大勢の大衆に咲くだって伝えようとしていた企画に立ち返って
メデイアが伝えるものがどうあるかを考え
新しい何かが生まれることが望見たい - 🌱課題を直視して考える
番組の視聴率であるとか収益は確かに大事なことであるが
大勢の田舎の人たちが投げかけていること
見せてくれる暮らしぶり
素朴に語る生き方を
しっかりと捉えて
かつて誇ろうとした弱者や少数の人たちへの眼差しを
現代メディア流の新しい形にして投げかけていってもらいたい
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