大晦日 所感。不便を見つめる・・・・
朝日新聞、高橋論説顧問が12月31日の朝刊で荘子を参照している。
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荘子:反機械論
天地篇第十二
子貢が旅をしていたときのこと。老人がひとり、畑仕事をしていた。手仕事で、見るからに能率が悪そうだった。子貢は言った。
「ハネツルベをお使いにならないのですか。ハネツルベを使えば、流れるように水を汲めて、一日に百畝(うね)も水をかけられますよ」
「わしは師匠から習った。『機械』を使う者は必ず『機事』がある。『機事』がある者は必ず『機心』がある。『機心』が胸のなかに存在すると、純白な心がなくなる。純白な心がなくなると、精神の本性が定まらない。精神の本性が定まらなければ、道に載せてもらえない。わしはハネツルベを知らない訳ではないが、恥ずかしいから使わないのだよ」
参考先;加藤徹 KATO,Toru (Japan)
http://www.geocities.jp/cato1963/index.html
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▼昨晩は、昨日までと変わって木枯らしがきつく吹き荒れた。寒波が来ているのか、雪が降っているところもあろうな、と思いながらうつらうつらした。言葉にならないで苦心していることが、少しずつイメージとして頭の中を通り過ぎては消えてゆく。
不便さが必要なのだ。不便を承知することが大事なのだ。そんなことを考えていた。
29日の日記、師走、所感で
Q2) エコに気を使って冬を乗り切るアイデアは?
と書いた。
快適で、幸せであれば良いのか。その心の思うところは、まさに荘子がいう「機心」であったのではないか。
▼情報処理科学から情報工学へ、サイエンスからテクノロジーを学びながらそして仕事で使いながら、今までここまでやってこれたのだが、昨今の情報技術社会には一矢を投じるべきだ、とも言い続けてきた。進化するべき矛先が間違っている。哲学なき暴走だとも言ってきた。
私たちは、便利、快適、イコール幸せという図式を作ってきたのだが、その裏には中流意識、富めることの麻薬性、それに伴う虚栄像がついてまわる。
(省エネを実践するのに、カッコよくしなくてはならないと考える人が多い。だからエコバックなのだ。)
▼そこまで書かなくても、と言って職制のチェックで保留になってきたことがいくつもある。
そのいくつかに
・テレビ事業は夜の10時ころには放送終了。国民は寝なさい。
・某放送局は即座に深夜の放送を中止すべきだ。
・朝の5時に起きてウォーキングなり体操なりをして健康増進に努める。
・ガソリンの高騰は、過去の歴史を見ても最大級であるにもかかわらず、ノホホンとしている神経のボケ具合に気づきなさい。
・昔、オイルショックの時には、テレビ放送も自粛していたのに、今はその影すらない。
・「環境と経済の両立」なんて、大義名分のマヤカシに国民は真剣に疑問を持つべきである。
▼エコに気を使うとか使わないとかに関係なく、人は少し不便を味わい、知恵を絞ることを甦らせねばならない。温温とした環境の下で、新しい解決手段など浮かばない。
前述の質問には大勢の人が「厚着をして乗り切る」と答えている。
しかし、包含している課題は果てしなく奥が深いのだ、ということを認識しなくてはならない。
▼もうひとつ。
テレビを消して…ラジオを聴こうでも良いし、目を閉じて考えようでも良い。
視覚に飛び込んでくるお笑いを見ていて、ヒトはお笑いの本質を忘れると同時に考える能力を失ってゆく危機を迎えると感じた。
落語でも文化講演会でもいい。目を閉じて聴いてみることを忘れてしまっては、やはり、失うモノが大きい。
見栄や虚栄を棄てて、不便を承知で今に挑まねば未来はない。そう断言してもよい時代を迎えている。
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