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2007年12月31日 (月曜日)

大晦日 所感。不便を見つめる・・・・

朝日新聞、高橋論説顧問が12月31日の朝刊で荘子を参照している。

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荘子:反機械論

天地篇第十二

子貢が旅をしていたときのこと。老人がひとり、畑仕事をしていた。手仕事で、見るからに能率が悪そうだった。子貢は言った。

「ハネツルベをお使いにならないのですか。ハネツルベを使えば、流れるように水を汲めて、一日に百畝(うね)も水をかけられますよ」

「わしは師匠から習った。『機械』を使う者は必ず『機事』がある。『機事』がある者は必ず『機心』がある。『機心』が胸のなかに存在すると、純白な心がなくなる。純白な心がなくなると、精神の本性が定まらない。精神の本性が定まらなければ、道に載せてもらえない。わしはハネツルベを知らない訳ではないが、恥ずかしいから使わないのだよ」

参考先;加藤徹 KATO,Toru (Japan)
http://www.geocities.jp/cato1963/index.html


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▼昨晩は、昨日までと変わって木枯らしがきつく吹き荒れた。寒波が来ているのか、雪が降っているところもあろうな、と思いながらうつらうつらした。言葉にならないで苦心していることが、少しずつイメージとして頭の中を通り過ぎては消えてゆく。

不便さが必要なのだ。不便を承知することが大事なのだ。そんなことを考えていた。

29日の日記、師走、所感で
 Q2) エコに気を使って冬を乗り切るアイデアは?
と書いた。
快適で、幸せであれば良いのか。その心の思うところは、まさに荘子がいう「機心」であったのではないか。

▼情報処理科学から情報工学へ、サイエンスからテクノロジーを学びながらそして仕事で使いながら、今までここまでやってこれたのだが、昨今の情報技術社会には一矢を投じるべきだ、とも言い続けてきた。進化するべき矛先が間違っている。哲学なき暴走だとも言ってきた。

私たちは、便利、快適、イコール幸せという図式を作ってきたのだが、その裏には中流意識、富めることの麻薬性、それに伴う虚栄像がついてまわる。
(省エネを実践するのに、カッコよくしなくてはならないと考える人が多い。だからエコバックなのだ。)

▼そこまで書かなくても、と言って職制のチェックで保留になってきたことがいくつもある。
そのいくつかに
・テレビ事業は夜の10時ころには放送終了。国民は寝なさい。
・某放送局は即座に深夜の放送を中止すべきだ。
・朝の5時に起きてウォーキングなり体操なりをして健康増進に努める。
・ガソリンの高騰は、過去の歴史を見ても最大級であるにもかかわらず、ノホホンとしている神経のボケ具合に気づきなさい。
・昔、オイルショックの時には、テレビ放送も自粛していたのに、今はその影すらない。
・「環境と経済の両立」なんて、大義名分のマヤカシに国民は真剣に疑問を持つべきである。

▼エコに気を使うとか使わないとかに関係なく、人は少し不便を味わい、知恵を絞ることを甦らせねばならない。温温とした環境の下で、新しい解決手段など浮かばない。

前述の質問には大勢の人が「厚着をして乗り切る」と答えている。
しかし、包含している課題は果てしなく奥が深いのだ、ということを認識しなくてはならない。

▼もうひとつ。
テレビを消して…ラジオを聴こうでも良いし、目を閉じて考えようでも良い。
視覚に飛び込んでくるお笑いを見ていて、ヒトはお笑いの本質を忘れると同時に考える能力を失ってゆく危機を迎えると感じた。
落語でも文化講演会でもいい。目を閉じて聴いてみることを忘れてしまっては、やはり、失うモノが大きい。

見栄や虚栄を棄てて、不便を承知で今に挑まねば未来はない。そう断言してもよい時代を迎えている。

2007年8月 1日 (水曜日)

研ぎ澄ます

そういえば、駅の待合室から伝言板が姿を消してしまっている。

区切り線を引いた黒板と白墨が、人ごみの溢れる駅の片隅に置いてあったのを憶えているだろうか。待ち合わせで想いの叶わなかった人がそこに伝言を書き残すのだ。

ケータイ電話を誰もが持つ時代に伝言板は不要なのだろう。個人情報だって書きこめるので、或る意味では厄介モノなのかもしれない。


もしかしたらあと五分待てばやって来て巡り会えたかもしれないのに「先に行く、次の駅で待っている」と書き残す。「しばらく待ちましたが、時間なので出発します。今度、お目にかかったときに」というようなケースもあろう。そこにはドラマがあり悲哀があったはずだ。

止むを得ず先に列車に乗る人は、限りなく想いを巡らす。もしも、あと一分待てば…その人は現れたのかもしれないのに、置いてゆかねばならないのかもしれない。

いや、もう逢えないような別れが用意されていたのかもしれない。

一足先に汽車に乗っても、想いも人もあとから追いかける。

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ケータイ電話や公衆電話を悪害視するわけでないが、リアルタイムに応答を得たり送出することばかりが合理的で理想的なことであるとはいえないのではないか、と常々思っている。

現代人は、相手の心理やその場の雰囲気を読むことに、その予測能力や神経を使う。会議の進行に気を使い、帰宅すれば家庭を取り巻く社会や友人関係にも神経をすり減らす。

その反面、平気で待ち合わせに遅れたり、ケータイ電話一本で仕事をキャンセルする。

お世話になったお礼を伝える、年季の挨拶をするなど、本来であれば細心の神経を使わねばならないことに対し、電話一本でおざなりに始末しているのを見かけることがある。

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先日から「研ぎ澄ます」という言葉が気に掛かっている。

現代人は、あらゆるところで神経を使い、思い悩み、気持ちを「研ぐ」ことに鍛錬を惜しまない。しかし、本来、人は、人の心を探るというセンシング機能を、利害や損得を推測すためだけに注ぎ込んでいたわけではなかったはずだ。

一目見て余計で無駄だと判断したモノを次々と切り捨て、あたかも自分の精神も、生活も、実の姿も、研ぎ澄まされてゆく…錯覚に陥っている。

伝言板の白墨の文字を見つめながら、書いて立ち去った人の心を想像するような人の姿は今やどこにもない。こんな余裕を喪失してしまった現代人は、自らの力で研ぎ澄まされたモノに出会う機会にも恵まれなくなってゆく。
数式の上で誤差率を消滅(キャンセル)させたシナリオに振り回され続け、汗を拭き拭き動き回る。

2007年7月24日 (火曜日)

ほろ苦い

▼夏休みの思い出はこの歳になってなおさらほろ苦いモノになっている。苦味というのはビールのようにひと味付けるのには最適で、ややもすると、癖になる魔力さえ持っていながら、しかし、味そのものを論じれば決して美味いものとはいえないだろう。ほろ苦いモノを指折り数えると、淡いものから濃いものまで、今となってはどうでもいいことから、そうでないものまで、様々なことが次々と浮かぶ。

 

▼7月末から8月いっぱいまで休暇を取ってバイクで旅に出たことがあった。自分では「東北激走4800km」と名付けて、大きな思い出になっている。また或るときは、初恋のような感動だった、と後になって振り返った旅もあった。旅は、あらゆる面でほろ苦い。

 

▼貧乏な学生時代の夏休みは、日頃から古本屋で買い込んで積読になっている何十冊もの本を片っ端から読んだ。バイトにも行かず、実家の和室に寝転がってゴロゴロとしながら読書をした。中学高校時代まで遡れば、一学期に顔を合わせてキャンキャンと騒いでいたクラスメートの女の子に9月まで会えなくなると思い沈み込む日々を送った。

 

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▼梅雨の合間に広がった大空を小さな鳥が高く高く飛んで夕焼けのほうへとゆくのを見上げながら、鳥になりたいという夢を持ったことのある自分を思い出して、もしかしたらそれは間違いだったかもしれないと、ふと、考えた。
何故なら、あの鳥はいったい何処を目指して何処まで飛び続けるのか、飛ぶことは苦しいことではないのだろうか、変化のない景色を見下ろし飛び続けることが面白いのだろうか、などと想像してしまったからだ。

 

▼多かれ少なかれ、私たちは自由というものを与えられ、同時に束縛も受ける。この相反する力学の均衡がヒトの気持ちを向上させてくれることは自明で、自由の中に放たれること夢見て、それは大空を自由に舞う鳥のような姿だと考えて夢を追い闘志を燃やすのだろう。

 

▼鳥たちが自由に飛ぶのを見ていると、確かに疲れ果てれば地上に降りてくればいいと思う。ところが、よくよく考えると、一旦降りてしまえば餌の在り処も見えなくなり、また飛ばねばならない。果たして鳥たちは飛ばねばならない宿命を背負いながら幸福なのだろうか。

 

▼昔、無人島哲学論(ねこ著)の中で、「スズメは何故電線から落ちないのか。それは、落ちそうになったら跳べばいいのだから」と書いたことがある。だが、スズメは飛ぶために生まれた鳥ではない。電線に止まるために生まれた鳥なのかもしれない。

 

▼飛べないブタは只のブタ。紅の豚の中に隠されたオトコのロマンへの夢というのは、我々が何かを実現するために、一方で苦し紛れに握りつぶしてきた人生の犠牲というモノに感じるほろ苦さであった。だからこそ、夢は果てしなく、或るときは儚くある。ロマンとはそういうモノだ。

 

▼苦味とは何だろうと考えて、空想が拡散してしまったが、要するにこれまでの人生で自由を獲得しようとしてきた自分の行動や思想を、自ら否定しようとしているかなと思う。それは、つまり、NEXTをどうするのかという問題提起であり、その問題解決の手段の中にもあのほろ苦さを混ぜこめるような人生でありたいと考えているのだ。

 

▼先日、娘が二十歳になった祝いにビールでもと思って薦めると、苦いので飲みたくないと言う。では、私たちがあのビールの苦味をウマイと感じたのはいつのことだったのか。苦いビールを、初めてウマイと感じた瞬間の自分はどんな顔をしてたのだろうか。あのときまで時間を巻き戻せば、飛べるわけもない空を見上げて、再びでっかい夢を持てるようになれるだろうか。

 

2007年4月16日 (月曜日)

進化というもの

自分自身のことを思うと、やはり進化に乏しい。
しかし、人生の足跡が、ただまっすぐではなく、いくつかの曲線で織り成されているのだとすると、その関数は見事なほどに美的であるはずだ。

2007年1月 2日 (火曜日)

年頭雑感 「新戦略」辻信一さん

新年 明けましておめでとうございます。
どうぞ、今年もよろしくお願いします。

 

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去年の3月に辻信一さんの回想をちょっとお借りした。


政治学者のダグラス・ラミスの著作を回想して辻信一氏がこんなことを
書いていました。

 

都心に雪が積もった日、彼(ラミス)とある言語学者は会話を交わしてい
た。ビルの窓から見ると、眼下の公園に職場へと向かう人たちの足跡が
ついている。定規で引かれたようにまっすぐだ。ラミスは言う。雪国で
見る野生動物の足跡は必ず曲がっている。
ウサギやネズミがあのようなまっすぐな足跡を残すのは、捕食者に追わ
れているときだけだ。それを聞いた言語学者が呟く。
「だったらあの人達を追いかけているのは何だろう」。
                  (時、金、そしてメトロノーム)

 

3月3日は桃の節句。桃といえば子供のころにお伽噺で聞かされた「桃太
郎」や三国志演義で有名な「桃園の誓い」などを思い浮べます。
この物語の時代の人々は、きっと、「定規で引かれたようにまっすぐ」
には歩かなかったのだろうな、と思いました。
いえいえ、私たちが大切なものを見失ったのはそんな昔のことではなく、
つい先ごろのことなのかもしれません。

(中略)

マネーや時間という麻薬のようになモノサシから少し目を逸らすことで、
「環境」というキーワードの向こうに存在する違った世界が見えてくる
ような気がします。時代を超えて語り継がれてゆく、かけがえのない示
唆のようなものが、そこに存在するのではないでしょうか。


 

自分のこの文章を読みながら、一向によい方向へと舵を切らない政治にある種の無力を感じる一方で、無力や諦め感に侵されてはいけないのだとも思った。

もう少し、「新戦略」でがんばろう!

 

。。。。

 

元旦の朝日新聞・社説は、「戦後ニッポンを侮るな 憲法60年の年明けに」という表題で

キリマンジャロのような高山から、しだいに雪が消えつつある。
氷河はあちこちで「元氷河」になり、北極や南極の氷も崩れている。
このまま進むと世界の陸地がどんどん海になり、陸上の水は減っていく。
ニューオーリンズを襲った恐怖のハリケーンなど、最近の異常気象も、
海水の温度上昇と無縁ではない。大気中に増える二酸化炭素(CO2)
を何とか抑えなければ、地球の温暖化はやまず、やがて取り返しのつか
ないことになる。

と書き出し、米国の元副大統領アル・ゴア氏が伝道師のように世界を歩き、地球の危機に警鐘を鳴らしている記録映画「不都合な真実」に触れている。

 

。。。。

 

私は政治家でないので余りなことは書けませんが、原因は「人間にあります」というテロップが印象的です。

国民よ、もっと、しっかりしなさい。

2006年8月15日 (火曜日)

二人の田中氏

▽先日、葡萄を食べながら子どものころを思い出していたのですが、夏休みといえば家の前の畑で収穫した葡萄や桃、すいか、瓜、枇杷、とうもろこし、などが食べ放題でしたが、ところがその葡萄にしても桃にしても、いまどきに店で買ってくるものと比較すると各段にマズかったように思います。ほんの二十余年の間にすっかりと甘くなり、さらに美味しくなってしまったなと思うのです。

▽人々の暮らしも様変わりしました。良きモノ、悪しきモノの盛衰をとやかく言うわけでもありませんが、いと儚きことであるなあと思いながら、甘くて美味しい葡萄をパクパクと食べていました。

▽いつの間にか、渋くて甘くもない果物を避けて、よりいっそう美味しいモノを求めるようになった現代人の心に間違いはないと思うものの、一種の麻薬のような誘惑がそこにはありまして、この麻薬のようなモノにしわじわとやられていってしまっているのではないでしょうか。まあ、その結果、失ってゆくものがあるわけです。


▽二人の田中氏。まず、三重県議会議員だった田中氏の言葉から
┃ 暴行事件については
┃ 「力の強い者に果敢に挑戦するのが自分の信条だったが、
┃ 言っていることとやっていることが乖離(かいり)していた」
┃ と自嘲(じちょう)気味に振り返り、
┃ 「4期連続当選し、会派の代表になり、
┃ 若くして議長も経験したことで、
┃ 人の意見を聞かないようになってしまっていた」。

▽もうひとりの田中氏について、朝日新聞の社説(8月8日)から
┃ 田中氏の敗北 大人の知事になれずに
┃ 長野県知事選で、3期目に挑んだ田中康夫氏(50)が敗れた。
┃ ことし6月、「鳴りやまぬ『目覚まし時計』をもう止めましょう」
┃ という意見広告が地元紙などに載った。
┃ 6年前、作家の田中氏を知事選に担ぎ出した元銀行頭取が出した。
┃ 「利権集団との長年の癒着を徹底的に断ち切ったのは見事」と、
┃ 民主主義の目覚まし時計としての田中氏を評価しつつも、
┃ 出直し選後は身勝手な言動が目立ち、改革も停滞したと批判した。
┃ 当初の田中氏の取り組みは斬新だった。
┃ だが、いかんせん、組織プレーができなかった。

▽ここで 「力の強い者に果敢に挑戦するのが自分の信条だったが、言っていることとやっていることが乖離していた」いう語録が残されたわけですが、ここでも諸行無常を感じるわけで、この言葉は我々の周りのあらゆるモノに一般論理として当てはまるような気がするのです。

▽彼も権力という麻薬に犯されてしまったひとりだったのではないでしょうか。二人の田中氏。持ち味に深みがあり、社会を引っ張っていく牽引力、人物としての求心力も持ち合わせていると思います。甦って再び活躍する日を待つのか、はてまた、新しい時代の人に任せるのか。

2006年5月 4日 (木曜日)

群がる人、急ぐ人…

お茶が新芽を吹き出して、擽るように緑が揺れる。今の季節は、郊外を走ると目に優しい風景が多く、茶畑もそのひとつで、機械的に整然と引かれた線ではなく、自然が織り成す直線と曲線がこれほどまでに見ている人の気持ちを和らげてくれるものなのかと、感心する。

社会の事象にしても同じことが言えて、理屈を通して理路整然としたものばかりが美しいのではなく、どちらでもない曖昧なものや優劣の論理などを抜きにして取り上げねばならないことというものがあるのだ。

自然体というものの奥深さとその大きさに改めて驚き、有り難味を感じながら、そよ風に吹かれていると、不自然の世界に戻るのが嫌になる。

5月には休日を連ねて旅に出ることが慣例だった昔は、この自然に自分を戻してやる作業が意外と大事だったのかもしれない。しかし、戻さねばならないほど病んでいることも望ましくないし、旅というものを癒しに利用しなくてはならない自分自身も情けなかった。

─ ─ ─ ─ ─

お茶の畑のほかに、麦畑、れんげ畑も広がる。この土地に生まれ住めることに喜びを感じる。
蓮華の花を枕に戯れた子どものころは、それが本当に子どもたちの遊びだったし、「麦ふみ」という農作業労働に汗を流すことが生活の一部でありながら楽しいひとときでもあった。

今や、れんげ畑の中で駆けずり回る子どもの姿はどれだけ探しても見当たらない。水を張った田んぼで屈んで作業をするのは年寄りばかりだ。「山村を走ってみても、こいのぼりが少なくなった…」と日記に書き続けて十年ほど過ぎる。

紀州道という自動車専用道路が開通して、山と山を繋ぐように大きな橋梁が架かっている。そのコンクリートの上に渋滞で動かなくなった自動車が点々と並ぶ。

人はどうして群がろうとするのだろう。排気ガスを出し、自然を踏みにじり、金をまき散らす。そういう社会現象は相乗的なもので、もはや止めようが無い。
人と同じ尺度で、同じステージに乗って、同じようにふるまうことを無意識に選択している。しかも、いつでも、急いでいる。

一体、何に怯えているのだろう。どこに向かって走ろうとしているのだろう。
見つめ直すことが必要なんだとわかっていながら、駆けている。それが、不思議だし、また歯痒い。
─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ 【5月初旬号】

2006年1月 2日 (月曜日)

年の初めに考える(2)─文化力─

なるほどね。文化力ですか。社長。

eデモに関わって、様々なことを感じて、その発想の素晴らしさやコンセプトに間違いは無かったと確信しています。

そして最後に私の心にしこりのようになって焼きついたものは、「読書力」「文化力」が著しく欠乏していたんだ、この地には…ってことでした。

歴史上の昔はそうでもなく、様々な古典文化を生んでいる地であるのに、県民性が自己形成にまで及んで自らの内面から成長を破壊しているのですよ。


会議室は事実上の閉鎖。それはやむなし。「誰でも参加できる」…なんですが、「誰にでも参加をして欲しいとは限らない」のです。「文化力」の無い人と「読書力」の無い人がやってきたら、包丁の使い方も知らない人に包丁を持たせるようなものだったんですよ。自分も包丁を振り回そうとしたかもしれないんだが…。


文化というものは自分たちが作るのだと大声で叫んで生み出すものではなく、主流からはみ出した落ちこぼれの集まりやそれに似た精神を持った連中が、無意識に作り出したほうが味わい深いものになり、かつ普遍性をも備えることができる。

これは、【ねこさん】の独り言です。

彗星のようなヒト。表れないかな… 
おっと、モロ、県民性を表出した発言で。

2005年12月29日 (木曜日)

続・地球温暖化防止の話

ちょっとした努力で、それもいつかは当たり前のことになってきます。
第1話:https://bike-tourist.air-nifty.com/hiroka/2005/12/post_05ac.html
─・・─・・─・・─・・─・・─・・─・・─・・─・・─・・─
【まずは身近なところから】 10ポイント

 

・買い物袋は、エコバックなどを使う(レジ袋削減)
・待機電力削減に努める(不要なコンセントは抜く)
・暖房温度は19℃
・断熱材を上手に使う(カーテン、雨戸の利用)
・洗顔、歯磨きのときに水を出しっぱなしにしていませんか?
・暖房便座はけっこう電気を食うんですよ。見直しませんか?
・暖房便座のふたは、必ず閉める
・ゆっくり走ろう、経済速度
・空気圧は高めでいいよ、2.5kg/cm2くらいがオススメ
・通勤のときなどに努めて歩こう

 

─・・─・・─・・─・・─・・─・・─・・─・・─・・─・・─
【みんなで努力をすれば、簡単にできます】 5ポイント

 

・お風呂のシャワーを見直そう(無駄に流さないでガス&電気の節約)
・お風呂は続けて入ろう(夫婦は一緒に入ろう・ラブラブ)
・無駄なテレビは消しましょう。時計代わりにしてません?
・エアコンを控えよう、窓を開けてみよう
・トランクなどに無駄な荷物を積んだままにしてませんか?

 

─・・─・・─・・─・・─・・─・・─・・─・・─・・─・・─
【工夫をすれば、できます】 5ポイント

 

・天気ポットや電子ジャーの保温はバカになりません。工夫を!
・冷蔵庫の開け閉めを減らそう。詰めすぎも減らそう
・電気をこまめに消しましょう。不要な電気はつけない
・ちょっとそこまでお出かけのときの車は控えよう。自転車、徒歩で
・車は乗り合いで使おう

 

─・・─・・─・・─・・─・・─・・─・・─・・─・・─・・─
いかがでした?

2005年12月23日 (金曜日)

男とオンナ

先日、ある人の日記にコメントを書いた。
それを読み返しながら全然コメントになっていないことを思い、しかしまたそれは自分へのコメントであるのだとも思った。

 

─・─・─・─・─・─・─・─・─・─・─・─

 

僕はおそらく、あなたの友だちの中で一番年が大きいかも。
30歳のときにできた子がもうすぐ大学生です。
その間に、いろんなことがありました。
救急車のお世話になるような事件もあったし、殺しあうような場面もあった。
別のオンナとそんなことになり、そんなこともあんなことあった。
ののしりあい、しかし、いたわりあうこともある。
今でもオンナのことが忘れられないことをよめはんは知り尽くし、古傷を舐めあう。

 

男と女を語れば、あなたと私じゃ経験も違うので、思うことも違うだろう。
しかし、一度じっくりと話を聞かせてもらえる時間が欲しいものだなと思ったね。

 

世の中には善良な人物が溢れているわけでもないし、そのことに気づき始めるのが遅いくらい私はウブだった。
人に惚れるということ、愛するということに、並々ならぬ入れ込みを持つ私が、あなたの日記を読んでも、悲し涙を流さなかったのは何故だろうか。

 

天使が恋をおぼえたらただのオンナになるという♪ (作詞:北山修)
天使に戻ろう、そう言ってみようと思ったのかもしれない。

 

─・─・─・─・─・─・─・─・─・─・─・─

 

寒波がやってきた。私の住む町に雪は積もらなかったが、少し北の町は雪景色の中だ。

 

雪の町に向かってゆく電車の中から、真っ白な雪をいただいた屋根を見てぼんやりしていた。真っ赤な朝日が昇ってくるのが見える。

 

もしもこの町のどこかに大好きな人が住んでいたら、私はどんな思いで電車に乗っているのだろう。

 

夕日が沈む赤と、朝日の赤は同じ赤なのに、何処が違うのか、人は見分けることができる。どうしてそんなことができるのだろうか。

 

電車のアナウンス。人の声。
そこには雑音がいっぱいあるのだけれど、私の頭の中は静寂に包まれ、遠い昔のひとつの物語を思い出していたのかもしれない。

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