年の瀬に考える 〔2003年12月下旬号〕
年の瀬に考える 〔2003年12月下旬号〕
いよいよ今年もあと数日で終わる。様々な感慨がこみあげてくる。2003年(平成15年)も喜怒哀楽の繰り返しの年であり、幸せであったことに感謝をする。
失業を経験しなければ、私はこれほど人さまに感謝をするような人間にはなれなかっただろうと思うことがある。優しさや哀しさというものは、そのことを命令して実行できるものではない。優しさには心の温かさが必要であり、心は自らの意思で優しく変化してゆくものである。哀しさは、哀しもうという意思だけではどうにもならず、感情の奥底から湧き出でてくるものであるのだ。したがって、私が喜怒哀楽を深深と感じ、皆様に感謝できるようになったことは大いなる進化であった。
だから、世界中の皆さんが失業しなさいとは言わないが、今ほどに社会が枯れ果ててしまい、個人主義、自由主義経済の名目が大手を振るうもとで、倫理や哲学を軽く考え、快適で住みやすければそれでいいという錯覚に、人々は陥っていまいか。
環境活動を創造するという仕事に現在携わっているが、社会の中の何が適切に機能せず、社会システムのどの部分が不活性なのかを見直そうとするとき、人々の気持ちが冷めてしまって、生きてゆくことへの戦略やポリシーを感じ取れないことがある。つまり、どうにかなる、私には関係ない、こっちのほうが楽しくて快適で得する、という概念ばかりが目立つ。
おまえら、誰にも感謝せずに生きるということは犯罪に等しいぞ、と言いたくなる。十年後、二十年後の社会を想像してみよう。そのときに、果たしてこれらの悩みは解決できているのだろうか。もしも解決できていれば、それはどんな手法なのだろうか。その手法を先取りしたい。そんな夢のようなことを思う一方、その夢を今すぐに実現するのが当面の私のテーマなのだ。
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