回想記録帖
🔗から
📌前略。Y子さん
その一節を夕べ夢の中で思い出して
Y子さん探しに行かなあかん
会いたいなー
と夢の中で思いながら
これは『夢』なのだと言い聞かせていた
📌 わたしの代わりに泣くさくら
私の代わりに誰が泣いてくれるのだろうか
哀しみは そんなたやすいものではないはずだ
そう何度も胸に手を当てて
拳を握りしめて 思ったものだ
**
🔗から
📌前略。Y子さん
その一節を夕べ夢の中で思い出して
Y子さん探しに行かなあかん
会いたいなー
と夢の中で思いながら
これは『夢』なのだと言い聞かせていた
📌 わたしの代わりに泣くさくら
私の代わりに誰が泣いてくれるのだろうか
哀しみは そんなたやすいものではないはずだ
そう何度も胸に手を当てて
拳を握りしめて 思ったものだ
**
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カテゴリーを少しずつ改訂しています
令和3年6月17日
十七音カテゴリ 改訂中
令和3年6月10日
新設の「十七音」カテゴリー
令和3年6月2日
令和3年5月末
五月十六日 最後日のブログを転記しておく
画像をブログに入れようとしたら満杯ではいりませんでした
いよいよこのブログも終わりですね
終焉
ライブドア『ちょっとつぶやいてみる 』にある画像を貼っておきます
父の日が近い
もう二十三回忌は済ませた
十八歳で東京に行き フラフラと京都に戻ってきて
のちに車で一時間くらいのところに家を構えるけど
父には 月に一度も会わないくらいで
十年余りを過ごしている間に
静かに定年を迎え やはりその後も
そこで生きていて暮らしているのが当たり前のように過ごした
気づかない時間に高血圧に伴う病気が進行し
なんども救急車に世話になったりしながらも
好きなことをやっているようだったので そこにいて当たり前として時間は経っていった
。。
死ぬ間際も 不調であっても連絡もなく 死亡の知らせを職場で受け取った
祖父と同じ年齢の六十七歳であった
いい気なもんだ
自分だけでここまで生きてきたかのような顔をして
将来のことや世話になった人への恩返しのことなど
これっぽっちも考えて生きてこなかったことに気づくのはそのあとのことだった
。。
父の日はおろか 還暦も誕生日も
お祝いなど何もしなかった
そのことが 私の最大の『油断』であったのだと身に沁みてくる
梅雨入りのころ(父の日)と命日のころ(大寒)は
思い出さなくて良いものまで思い出してしまう
。。
子どものころは 蛇の目傘だった
小学校の置き傘はクラス全員が蛇の目の傘で
畳んだ上から白いマジックで名前が書いてあった
教室の後ろの壁に綺麗に整列して並べてあった
そういう昔の風景が蘇る時に父親の姿がふわっと蘇る
記憶というのは 単独では脳裏に残るものではなく
父親と一緒に松茸や山芋を掘りに山の中を歩いてゆく姿などが映像のように浮かんでくる
🎬
先日 巡回して時々拝読する方の日記に
「大人になった子供にとっては親はそれほど必要でないけれど、親は子供のことがいつまでたっても心配でならない」
と書いてられた
まさに私が そして多くの人々がそう思っているであろうことを代弁して文字にしてられて感動した
8ミリビデオがあるが ムスメは自分の赤ん坊の時代の動画にそれほど激しく見向かおうとしない
それは即ち自分が元気であり ムスコがやんちゃながらもすくすくと大きくなっているからであろう
いつか振り返る時があったとしたらそれは世代を超えて孫が大人になったときなのだろうか
その頃に再生する機器があるかどうか どうやって再生しようかなど すでに私の悩むことではなくなった
豊かなものが溢れている時代である
そこに存在して当たり前となってしまったものが もしもこの世にないならば・・と想像するのは難しい
なんでも夢見たものは実現できる
父が生きていて父の日に何かを贈るとするならば・・と考えると
何にも思い浮かばないのだ
無くしたものは蘇らない
失ったものは返らない
消えたものは記憶にある
思い出せるのは自分の脳みそだけであるし
欲しいものはおよそ店に並んで買うことができる
母の日に書いたのであるが
贈るものなど何もない
そこに行って『むかし話』を聞くことくらいしかできないのではないか
🎬 梅雨入りも間近か
十五日
三時間近く公園にいて
楽器を吹いていました
雨が時々ぱらぱらとしてました
けれども
元気な子どもが滑り台にやってきます
ドクダミ
花を咲かせていました
そろそろ摘まなあかんな
去年のお茶も飲みきってないけど
五月上旬号
GW も終わって五月上旬も終わってゆく
コロナにおいては何の変化もないので書くこともなかろうと済ましてはいけない
蔓延防止対策が引き続き実施され
非常事態宣言は月末まで延長である
・
そんなことはわかりきっているし
予想もついていたではないか
だが そんな発言をするのは 容易いことだ
国民として何か打ち手がないのかと気を揉むところであろう
無能な政治家や総理を選択しないために
社会システムを見直して
意識して政治を考えなばならない
そんなことは昔からわかっているが
国民みんな幸せで豊かだ・・というちゃらんぽらんな感覚が
おおよそ染み通っているから 問題解決は難しい
・
写真から
・
四月二十日号
書棚にある本を捨てる前に
残しておきたいものを
リストアップしようと思いたつ
四月下旬に突入です
コロナ情勢でも書いておくと
あとで役立つかなあ
時間ができたらゆっくり振り返ろう
。。。
🌱 田植えの終わった田んぼと並んでいる麦畑の中を
夕焼けに向かって散歩する
🌱 お昼にチキンカツ弁当とか
🌱 夜は久しぶりにオムライスとか
🌱 スプリングバレー豊潤を買ってみました
・・
を考え始めたけどまとまらなくて・・・
・・・
何故に電気通信工学科を選んだのかとか
誰かに話したことがあったかな 誰も尋ねないから誰にも言わないか
南極観測隊みたいなのに憧れたようなこととか
また富士山の頂上にレーダーが設置されるニュースを子供の雑誌で読んだのか
科学技術で何かを解明してゆく姿に惹かれた結果
通信技術が一番近道と考えたのかもしれない
子供の頃に大人の世界を知ることは
田舎の農家の坊主には宇宙に行く夢を探るのも変わりがなくて
誰が助言をできるわけでもなかったし
おバカなこう高校の先生たちは受験というものの技のことなどは
考えもしない時代だったから
受験雑誌を見て夢を膨らませて 自己流でひたすら勉強をしただけだったなあ
全国の田舎の受験生は都会の事件性とは違って
みんなそんなレベルだったのではなかろうかねえ
死ぬ前に誰かにそんな話をしてもよかろうが
うんうんと頷きながら聞いてくれるような人は一人もいない
。。。
四月も中旬になりました
何もしない日が続くので
何かを考えてみるのも必要ではないかと思ったりしている
など
でもそんなことを今更買いても仕方あるまい
誰も読まないに決まっているではないか
暇つぶしでしかないのか
ということで
この記事のタグは「暇つぶし」とするか
。。。
朝日新聞の210210320 Be(土曜版)にアンケートの声が採用されたということで
千円の図書カードをいただきました(本日の郵便で届いた)
春キャベツが特別に旨い
塩味だけでいただく
毎度おなじみきつねうどん▶️Excite
秋ちゃんに筍をもらったというのでもらいに言って来ました▶️Excite
いいカツオが見つかったので▶️Excite
・・
ハナミズキが咲いた
ムスメの結婚記念に植樹した木です
去年あたりからはっきりと花をつけるようになった
増殖版
<<筍のご飯と鰹のタタキ ・ゼンカイジャー・親子丼には 真っ黄色の沢庵漬けがよく似合う>>
。。。
・・
ポツンと一軒家という番組を見ている感想を
ちょうど 三月末くらいから四月初旬に考えていた
モヤモヤとしたものを
なんとか まとめてしまいたい・・
。。。。
四月はじめに考える
少し立ち止まって考えて見よう
これから書きます
👇 も同時進行で
。。。
・・
好きな言葉ではないが 隠居である
隠居に追い払われてしまったのを
悔しいと思う人あれば
ありがたい人もあろう
最近のつぶやき抄録
22日(月)
🍇窓辺から櫻がみえる二人掛け
🍇春の田や光抱きこむ夜さりかな
。。
24日(水)
🍇サクラサク電文遠き物語
。。
23日(火)
🍇コロナにかかるのもインフルエンザにかかるのもそれほど変わりがないんだと思っている人が意外と多いようですね
。。
25日(木)
🍇土砂降りに傘差し出して見得を切る
🍇雨が好き恋人の好きな言葉を繰り返しながらドラマが終わる
🍇シナリオを丸めて棄ててまた拾う
🍇春嵐切っても切れない縁がある
春嵐 でつぶやきを振り返ってみた
2021年03月25日(木)
🍇春嵐切っても切れない縁がある
2015年02月28日(土)
🍇春嵐いつかの恋の物語
2014年03月30日(日)
🍇春嵐荒れて今年の忌を流す
2013年04月04日(木)
🍇春嵐、幾つサヨナラをしただろう
2013年03月14日(木)
🍇春嵐それでも雨戸をあける音 #jhaiku
🍇春嵐あの子の髪のハネ想う
2012年04月22日(日)
🍇春嵐や別れる人の髪濡らし
嵐のように雨が降ったのだろうか。
花を散らしたのだろうか。
サクラは 散りたくないと
願っていたのだろうか
2012年04月04日(水)
🍇春嵐あなたは素知らぬふりをして
言葉が通り過ぎるだけの日々が続く
。。
🤔 啓蟄が過ぎても時に変化はなく
🍓 春うらら
うららかな日が続く
朝は八時を過ぎても布団の中でゆったりとしている日々
🍓 まわり舞台
人生はまわり舞台のようなものだ
そう気付くのは最後の弁当幕が回り始める頃なのだろう
自分はまわり舞台の上にいたのだと気付く
🍓 隠居生活
なんとも忌々しい呼び方ではないか
好きにはなれないから 書きたくもないのだが
事実であることも間違いではなく
それなら悔しいので書きまくってやろうじゃないかと反発している
隠居の暮らしに見えるが
院政の暮らしではないところが忌々しいのだろうと思う
🍓 春の嵐
不定期であるが雨の降る日がやってくる
卒業式の次の日に鎌倉へ出かけた記憶が曖昧になって来ていて
あの時の天気は雨降りだったことだけが鮮烈に残る
🍓 春浅き
小学校の校歌が「春浅き雲出の岸辺・・・」と
歌ったのを思い出していた
山や川はいつになってもなくなることはなかろう
思い出は私が死んだら消滅する
🍓 桜だより
開花情報が新聞に載り始めると
千鳥ヶ淵の桜のことを思い出す
入学式や卒業式の頃に桜が咲いていたのかどうか
記憶など曖昧である
若いうちはそんなものだ
もう一度入学式をしたら
間違いなく桜の花のことは克明に記憶するだろう
🍓 春の異動
ムスメさん夫婦は今期異動となりまして
ところてんのように押し出されてムスメさんは
初めての着任地へと異動することになる
通勤には大きな変化はなく
孫ちん1号2号も今まで通りである
🌸 六趣
地獄 餓鬼 畜生 修羅 人間 天上 をいう
輪廻して定まらないのだという思想を信仰するわけではないものの
人の祖先がそういうことを考えたことのその時の姿勢が大事なのだろう
こういった哲学から遠ざかってゆく現代(人)の思想は
一つの長い歴史の流れの一面であるにしても
人間的に不可欠なものをおろそかにしている大きな時代なのであろうなあ
・・
そんなことを漠然と考えながら
役に立たない隠居暮らしが続く
月ヶ瀬の梅も北野天満宮の梅も
じっくりとみてもそう変わりはない
花というものの普遍性を思うと
人というものの潜在性を振り返って苦笑うことになる
三十九年前に皇居の北で卒業をしてそれぞれの地に跳んで行った仲間たち
あるときは同志でありあるときはライバルであった
人生の一瞬に並んで過ごしただけではないか
もう僕のことなど忘れているだろう
しかし
そういう奴に限ってこちらはやけにいろいろなことを思い出すものだ
二月中旬は何も出来事はないのに
写真はいろいろあるねえ
。。
バレンタインはチョコを食べる日
けれどもチョコは食べなかった・・
でも 二、三日前に前にゴディバを買いに行ってきましたよ
。。
バレンタインで
世の中がお祭り騒ぎをするのには閉口気味なのですが
そんなことで小言を言うような年齢でもなくなってきましたので
楽しく「終活」 をしております
。。
スーパーに行ったら
駅弁フェアーをしていました
峠の茶屋の釜飯があったので
二人であうんにうなずきあって買ってきました
懐かしい旅の時代もあったなと振り返りながら食べました
。。
高菜チャーハンに凝ってまして
ご飯は炊きたてで
おじゃこは答志島のもので
美味しくいただいています
。。
スーパーに行ってカツオの短冊が見つかれば
良さそうなものだったら買ってきます
刺身よりこのごろはタタキにして食べています
ニンニクはうちの畑で収穫したものです
パスタが好きで
毎日スパゲッティを食べても飽きません
黒毛和牛のミンチを買ってきます
ミートスパ
お店で食べる方がトータルの値段は安いかも
・・
きのう(13日)は日記を沢山消した日だった
あってもなくても変化など起こらない日記であろう
私だけが思い出して記憶を確かめるだけのもの
他の誰が読んでも役にも立たない
何も新しいものを生み出す原動力にもならない
まして 鑑賞するようなものでもない
。。
だから
もう一度だけさらりと読んで捨てることにした
もしも
身体の一部の不要なものを切り取ったとしても痛みは残るだろうから
傷が騒めく夜であったのかもしれない
じきに傷は癒えるだろう
新しい骨肉がモリモリと生まれてほしい
。。
。。
こうして書いている日記も
やがては同じ運命をたどるのだと思う
それでも
ここにこれを書く意味はあるのだろう
時間を刻むという大きな役割
近所に港屋コーヒーが開店したので
行きたくて仕方がなかったわけで
散歩ついでに寄って来ました
ワッフル(食べさし)
モーニングサービスに行きたいのですが
毎日朝寝してますからいけません
前回にした高菜チャーハンに何か足りない
なんだろうかと考えて おじゃこを入れることにしました
大成功です
孫ちんのところに遊びに行って
前にあるファミマにアイスを買いに行く
しばらく食べないと食べたくなるのが 唐揚げですね
腰が治ったので実家に顔を出して帰りに
いつもと違うスーパーに寄ると
目新しいものを買ってしまう
高菜チャーハンが食べたかったのですが
少し物足りなかったのは高菜しか入れなかったから
キツネと卵とじを入れて
二月のはじめに考える
。。
うーん今何を考えていただろうか
サドンデスのことか
残された僕の持ち物のことか、本、写真、日記、アルバム
アカウントのことか
処分する手間がかかるので任せる人に申し訳ないなあということか
遺産は何一つ残らないから全く気にかからないけど
死んでしまえばもう何もできないのやなあと思うと綺麗にしておきたいと思うのでしょう
でも、遺品を燃やしてしまうのは かわいそうよね
せめて一年間くらいは 故人を偲ぶ部屋を作って振り返ってほしいものですねえ
死ぬ前にこのブログもそういうものに変えてしまうという方向があるか
。。。
作りました
ビンチョウマグロ、ブリは 短冊で買うてきて
他に カニカマ、かんぴょう、かまぼこ、卵焼き
たこうつきました
🍇立春や胸さわぎする 不整脈
🍇立春に胸さわぎする 新予感
🍇立春やヨーイドンのドンでゆく
🍇節分や あなたが鬼でぼくも鬼
🍇節分や 勝っても負けてもキミは鬼
🍇晩酌に豆食うている鬼の果て
🍇春が来て何がうれしや花いちもんめ
・
一日二百歩ほどしか歩きませんが体重は横ばいですから無理に歩くこともなかろうって思っています
サドンデスを想定したエンディングノートを書こうと思って考え始めたけど思うようにまとまらないので死んだら終わりやし一瞬で消えたらええから考えるのは面倒やなとも思えてくる
書きかけ・・
一、
ストレスという言葉はいかにも昔から存在したのだが
近年になって 意味するところが少し変わってきたのではないか
つまり
十年二十年の間にストレスの正体が変化したのではなかろうか
二、
そんなもの変わるわけなかろう といえばそれで正解
身近なことを振り返ると
受験、試験、レポート、小遣い、友達関係など のストレスを抱えていた四十年昔とは違い
人間関係、空気が読めない不安、離婚、転職、多忙、収入、飲酒、仕事のミス、外見、空気が読めない
といった社会の中でのつながりで起こってくるものが目立つ
自分一人では解決でないようなものが増えてきている
時代は変わっているのだから 当然であろうと言えるが
三、
「今の人たちは可哀想」で済まされない時代のようです
もはや時代から置いてきぼりにされた私としては そのストレス仲間に入れない寂しがある一方で
「そんなことで悩むなんてな 何だかな〜」っていう感触もある
最近ニュースで見かけるのがそんな話です
ところがこんなことでストレスを感じる時代になっているのだ
どうやら 「我儘しましょう」といって済ませるわけにはいかないようです
四、
精神科学の進化したとも思えないけど
お医者さんの話をすれば 精神科の先生の登場する機会は増えました
精神科も儲けが取れるような医学分野に変化してきたわけです
儲かると大きな顔するようになるし 業界も進化するから・・
五、
だから必死で何とかしようとしている
六、
社会が変わらなければ 病人が急激に減少はしません
そうなんです 社会が変わったからストレスが増えてきた
そこに行き着くのなんて初めからわかっていた
でもね
現代人たちよ
あんたら自分でストレスな社会を作っておるんとちゃうのか
と言いたい面もあるのよ
(書きかけ・考え中)
二十日が大寒
二十一日に母の誕生日(九十歳)を祝い あくる日に父の命日(二十三回忌)を迎えた
一、
次は母の番だ
突然死は嫌やと言うている
一週間ほど生きて世話になった人に挨拶をしたいとなんども言うている
二、
身の回りで亡くなって行く人があるたびに自分が死んでしまうときのことを想像する
罰当たりな死に方をするかどうかは胸に手を当てればわかることだ
しかし
死んでしまってからの後始末と言い残すこと(伝えたいこと)を考えると簡単には済まない
・
「サドンデス」については検索に言葉を入れれば過去の考察がいくつか出る
六十歳を過ぎれば澄ました顔をしながらこう言ったものと付き合う必要が出てくる
三、
身の回りにあったものを始末するために断捨離と言う言葉が生まれたのか
僕はそんなことをするつもりは無いので残された人に任せる
行政手続き生命保険の手続きなどが真っ先に思い浮かぶ
無責任ですけどお任せしてひと足お先にあの世に行くことになろう
悔やんでくれる人も一人か二人程度であろうし
最後まで迷惑をかける奴と言われても十年過ぎれば放免されよう
歴史に残るようなものも何一つ残せなかったわけだし
四、
具体的な事務処理も想定する
メール、日記、ブログ、書籍、楽器、小物・・・
慌てて捨てることもなかろうと思っている
ブログには言いたいことをたくさん書いたので読んでほしい
書籍も捨ててしまうのは簡単であるが残しているということは 死後も一度くらいは誰かに目を通してもらいたいと考えたのだろう
語り継ぎたい内容もあるし引き継いでほしい感動もある
しかし
死んでしまえばもしも伝わらなかったとしてもそれで終わり
伝わらなかったことを悔やむ人は死んでいない
伝わらなかった損害は多分何一つないだろう
「新しい海には新しい水夫が漕ぎだすのだ」と何度となく書いたのが的確な見方であろう
五、
だったら 「サドンデス」でええやんか
六、
続く
⛄ 大寒
今年も大寒を迎えた
ピリッと冷えた感じです
けれども朝寝しているからわからないが
寒かったようです
無理に早くから起きる必要もなかろう
暖房費もかかるし(と貧乏色が出てしまう)
一月に入ってたちまちのうちに日が過ぎて大寒を迎えた
密かに待ち遠しくしていたのかもしれない
何が待ち遠しいわけでもないが
父の命日(22日)が来るというのでそわそわしているのかもしれないし
いえいえ気を引き締めようと
幾つになっても父親には頭が上がらないままの一生なのだろう
あの日も大寒波だったのだと毎年思い起こしている
わかっているのにそのことを日記に書く
こういった反省も必要であろう
今の時代 個々の人たちは自ら豊かで筋書き通りの道を歩んでいる
然るべきに自分を自分で築き上げた錯覚(感覚)を持っ多人々が多い
何事にも反省の念を持つこと
感謝の恩を感じて生きてゆくこと
このような考えば 誰にも強要されることではない
誰かに指示されないから したがって 消滅しかかっている
⛄人生の幕が降りる
そんな言葉が手にした本のどこかに書かれていて
読むのをやめてあれこれと思いつくことを考えていた
「人生の幕が降りる」と言うけれど
観客席には誰一人いないのだ
もしかしたら家族や知人はいるのだろうか
けれども 誰も帰ろうとしない
ではアンコールを待っているのだろうか
そんなことはありえない
そもそもアンコールなんてあるわけない
私の人生
はじまりからアンコールのようなもの
⛄ もしも条件が整っていたら
昔の旅を振り返る
もしも現代のように条件が十分に整っていたならば
自分が走ってきたようなツーリングには
行かなかったような気がする
満たされていない条件を突き抜けて旅をすることに
愉しみと喜びがあったのだ
今のような旅の世界にはもう戻ることはないと思う
⛄ コロナの制限
時間制限が夜の八時までであるならそれまでに遊べばいいという考え
これには驚いた
日常のあらゆる事柄が制限というもので規制されている生活をしていると自分で考えてものを編み出すという人の機能が本能として備えた機能を退化させてしまうのだろう
決まりがないから守るもをのを失ってしまったのか
コメントのしようがないほどでまさに開いた口が塞がらない
こういうことにあらゆる場面で出会うのが現代社会の特徴なのだろうか
⛄ 六十七歳の誕生日
二十三年前の大寒を過ぎて二ヶ月後に六十七歳の誕生日を迎えようとしていた
その目前に死んでしまった父に私が似ているのではないか
そう思う
当たり前だ
二十三年間自問をしては自答を繰り返してきている
腰痛の話
腰が突然痛くなって どっちに寝返りを打っても 痛くて眠れなかったのですが(18日夜)19日はなんとか椅子に座っていると痛みが和らいでおりまして 夜には 痛み止めを飲んで寝ました
けれども 20日の朝には薬の効果が切れてか 再び痛く 洗面で前かがみになったり 椅子に座っていて立ち上がる時などには杖が欲しいほど痛いです
じっと真っ直ぐに立っているだけでしたら なんとか どうもない様子ですが 屈伸などの動作をすると痛い
トイレで座っても前のめりにはなれず お尻にも痛くて手が回らず届かない(どうして拭こうか悩む) 気張ることもできません
ネットで調べてみると大腰筋、腸骨筋というところの記事が見つかりました
ここをを痛めたらしく この筋肉はストレッチなどで普段から鍛えた方がいいようです
これまでにも ウォーキングしている期間中でも 痛くなることがありました
刺激しないようにしていれば 自然に治っていったのですが 今回は爆発した感じです
人の行動の変化が感染を拡大する
これが明確になりながら人々はなかなか素直に対策を受け入れようとしない
様々な評論や分析結果がいかにも・尤もらしく分散されてくる
それを聞くたびに何かが抜けていると感じている
しかしながらその欠点を明確に指摘できずにやきもきしてしまっている人も多かろう
人が群がる→ウイルスが伝達する→感染する
という論理で悪者にされて拡散の根源のように目の敵された飲食業界・その他の人々や集団・組織は気の毒だ
目に見えないから反論ができないし間違いの指摘も難しい
ある発生事象に対し定性的に傾向をつかんで相関性のあるデータを並べられたらそう簡単に覆せない
相関データから方向性を打ち出した事実にも負けない理屈が暴走を始める
最初の推論の曖昧さや論理の重みの偏りを無視して恐ろしい暴走を続けている
それが「密」や「換気」の理論であり「マスクの必要性」「消毒の実践」となっている
疑問を持つ人があっても変人扱いにされしまい 少数の意見を一々相手にはしない
結果が良さそうなので突っ走るしかないということであろう
シナリオは 非常事態宣言→罹患者数現象を確認してグラフが低いレベルまで落ちて水平になるのを見て拍手をする
どうしてモヤモヤした気持ちが残るのだろうか
その理由は誰もがそれぞれに感じているのだが これを表出させると槍玉に挙げられる(イジメにあう)だろうから誰も言い出せない
蝋梅(ロウバイ)の蕾が膨らんだ日
どこかウキウキしていた
毎年 よそのロウバイよりも咲くのが遅く
やきもきするのだが今年は早かった
そのあくる日・木曜日(14日)
王将で焼き飯弁当と天津飯弁当を
(お弁当にすると唐揚げ2ぎょうざ3が付く)
買うて持ってムスメの家を訪ねる
昨晩(13日)には白菜がたくさんあったので
八宝菜をして食べたばっかしなのに
中華が大好きなのだ
。。。
ロウバイ
もう直ぐ咲きます
🌸 ロウバイや黙っていても春は来る
🌸 ロウバイや言いたいことはオレがきく
言いたいことは山ほどあるが 凩の途絶えるのを待つ
🔗 蝋梅
。。。
どうなんでしょうね
社会の雰囲気は
戦争中の
まさに昭和二十年の一月頃と同じような状況ですよね
コロナという弾丸が飛び交うのに
撃たれるかもしれないのに街を歩く人
三月末は東京大空襲ですね
・・と
メールを書いたりつぶやいたりしている
日曜日はうどんを食べて
月曜日は成人の日で家にいて
火曜日もうどんを食べて
なかにし礼の
人生に起承転結はあるか
という言葉にぐっと考えてみたりしている
🌻 🌻 🌻
起承転結なんてものはあるはずない
無数の動機が鬩ぎ合う「ジタバタ劇」があるだけだという
この人の人生がこういう言葉に重みをつける
土曜日(九日)におかんを定期検診で医者の連れて行った
それ以外は何も変わったことなどない
。。
北陸地方など北国では大雪が災害を招いている
お気の毒である
遠くからお見舞いをするしかないのだが
雪が想定以上に降った時に備えて
じっと我慢をするというのも正解の一つだろう
ヒトは活動をしてより良い暮らしを得て来たのだから
それが巻き上げる事故や想定外が起こっても
吸収できるような器を備えるべきではないのか
という暗示でもあろう
だからと言って発展することを拒んではいけないのだろうが
ちょっと人類は『欲ボケ』しているように思うのだ
都合が悪いとすぐに『ストレス』云々というて騒ぐし
。。
緊急事態宣言が都会の方では出ている
人騒がせなことになっているのを 静かな街にまで撒き散らすようなことはやめてもらいたい
様々な利得を求めてそこで生きているのであるなら そこで招いた厄介ごとも自己解決をしてほしい
強者の倫理を感じる
。。
・
運動不足解消のために
実際にはその辺を一時間ほど歩くと途中でおしっこをしたくなって立ちションをすることになるので公園へ行きました
七草や餅食い尽くし餅は無し
小寒は昨日のことや日が差して ぬくとうなってきてごきげんさん
マックスで海鮮丼を買ってきてもらって食べます
うどんばっかしやと飽きますからね やっぱし
。。。
最近 テレビを見ることがあって 驚いたことがあります
ゴールデンタイムとかにCMを見てますと
トイレとかウンコとかオムツなど
いわゆる汚いとか不快なものの宣伝が流れるんですね
他にも昔ならこんな時間にやっていなかったようなCM多い
(トイレ洗剤や衛生用品や・・)
平気で放送している
そういう時代
そのレベルの視聴者の時代なんやな
。。。
▼ 手紙ひとつ書き忘れているぽっかりと
年賀はかなり減らすことができました
あとは自然になくなるのを待つか
・
以下のようなことをブログに書いていたのだが
もう少し
今年の決意のようなものを考えてみるかなと
思ってもいます
でも
なかなか ハングリーさを失ってしまっているからな
小寒です
いよいよ寒さもこれから
昨日は仕事始めでした(勤務してれば)
冬になるとちょうど朝の七時ころのこと
ディーゼルカーがやってくる前に
朝の駅のホームから東の空を見ていると
海の向こうのセントレアから
南方向に飛び立ったジェットが
真っ白の一本の雲のを引きながら
南の上空へと
急上昇していくのが見えまして
朝焼けに空は赤く染まり
ジェットは輝いて遥か遠くへと消えて行きます
冬の朝の清々しい景色の思い出です
。。。
人の乗り降りは少ないですから
毎朝会う人とは挨拶をします
中学の入学の時に
お母さんと一緒に
並んで汽車に乗ってきた女学生の子も
六年後の冬の寒い日の朝に
-- とうとう大学生やね どこにいくの?
-- 東京の獣医学部に行きます
とそんな会話をして
毎朝名前も知らなかったけど
挨拶をしてきた人とお別れをしました
小学校を上がって
ぶかぶかの制服を着せてもらっていた子が
立派なお嬢さんになって行きまして
あれからもう何年も過ぎていますから
今頃は卒業していることでしょう
仕事に行っている頃
寒かった朝の駅のことを思い出していたら
懐かしい人のことを
ふっと思い出したのでした
。。。
小寒のころからいよいよ
冷え込みも本格的です
もう仕事には行ってませんので
早起きもしなければ
寒い思いもしません
また仕事をしたいなと思うけど
そんなに早起きをして
コートの襟を立てて
坂道をのぼってゆく毎日に
戻れるだろうか
そんなことをぼんやりと考えて
お正月は終わって
またずっとこのまま
お正月のような毎日が続くのか・・・
コロナが終わって
席が空いていて
募集があったら
もう少し社会に恩返しをしたいな
と思ってはいるんですけど・・
個人の意思や考えを尊重して社会を築いていくというものなのでしょう
資本がある人や資金を柔軟の運用できる人たちが企業や事業を起こし利益を追求し その結果が豊かば暮らしにつながる
そのことには何も異議はないです
自由に社会に乗り出し活躍すれば 果てしない可能性に挑めるし 努力に応じた成果や利益も得られましょう
そうすることで社会が潤い経済が発展して住み良い社会や暮らしが実現できる
これは素晴らしい考えであり仕組みであると言えます
ただ
利益が出て資金が循環するようになって多くの人々が潤い始めると社会が理想的になるところまでは非常に良かったのです
けれども 必ず不合理なところが見えてきますから これを解決しなくてはならない
格差社会のその一つでこれは十分に事前に予測をすることはできたはずですし 現実の起こっているから目を背けるのは間違い
自由主義の考えの長所であり価値がある大切なところは社会の運営によって市民が潤いより良い社会が実現できるところですが
事業には我々の暮らし向上に貢献して行ってほしいという希望が隠されていますし それが企業の使命でもあったはずです
ところが
この社会への還元行為の考えが現代社会を営んでゆく中で基本的理念として大きく欠乏し忘れ去られてきています
つまり自由主義の都合のいいところだけをいただいている
会社は儲けるだけで 社員が豊かになるだけで良いというものでもないでしょう
努力をしない人や働かない人にはそれなりに社会的責務をがあり義務もありましょう
しかし だからと言ってなんの配慮や考慮もなしに無条件で切り捨ててよいうとは言えません
道端の乞食の暮らしにもかつての自由主義では手を差し伸べてやがては社会に復帰して何時ぞやまたは末裔であっても良いから社会貢献の場の戻ってきて次の社会をよりよくするために役に立っていけるようにと手を差し伸べてきたのではないでしょうか
自由な主義というものはそういう懐の大きな考え方であったはずです
自由で個人主義流れに乗って儲かった人が勝ち逃げでいいのだろうか
勝ち逃げしてしまおうとしていたにもかかわらず 客足が途絶えて倒産しそうになったら援助をしろ というのは勝手な話でおかしい
そういう会社や組織はぜひ苦しいのなら倒産をして出直してほしい
そのように考えるてくると
自分の力で会社を起こし儲けて行けるとモデルに乗って事業をしている組織がコロナによって人の流れが途絶えて利益が枯れて倒産へと迫られているのをどうして国家が援助をして助けてやる必要があろうか 自分の力で大利益集団を作ったのなら追い込まれた時も自分で生き残れと言いたい会社ばかりのように思えます
経済のために膨大な予算を投じて援助をす施策はいかにも最もらしいのかもしれなません
でも 都合が良すぎる点も多いのではないでしょうか
今は
即座にコロナを沈静化させる直線的な策を取るのが人類の賢者としての当たり前の判断と思う
勝手な会社には倒産してもらってください
・・・とそんなことを考えながらの新年の始まりでした
歳晩の冷たい雨や 障子貼る
障子を貼らねばならない
ムスメが破った障子を貼ったのが三十年前のことで
その子どもたちが破ったのを今年に貼る
三十年ぶりに貼る
もう 貼り替えることはないだろう
生きている間には
二十日のこと
洗面所の電灯がつかなくなって原因は埋込スイッチと疑ったのですが
昨日コメリに買いに出かけたら スイッチは品揃えになく
フットライトが目にとまったので 代用品として買って帰りました(約900円)
センサー式のもので動作は正常だがセンシングの明るさ調整できず
暗くならないと人を検出せず 洗面所では使い物になりませんでした
そこで仕方なく別の廊下に設置して利用することにしたのです
けれど悔しいので
埋込スイッチを探しに コーナンに出掛けてみたら
188円でありましたので 買って帰りました
最初からこれにすればよかったという話です
久しぶりに工具を持って作業をしました
六十六歳という年齢には 深い意味が隠されている
明治二十八年(1895年)に生まれ昭和三十七年(1962年)に亡くなった祖父
昭和六年(1931年)に生まれ平成十年(1998年)に亡くなった父
二人とも年齢計算では 六十七歳で亡くなっている
しかし 誕生月が曖昧であり 知る人も残っておらず
そこで考えるに 実際のところは
六十六年を精一杯生きて尽きたらしいと語り継がれる
祖父が逝く当時のことを記憶する人は殆ど無く
私の母親があの当時のことを訥々と話してくれるくらいのもので
その場ではメモは取らず家に帰って思い出しながら手帳に書き留めている
私は五歳で 弟が七月に生まれハイハイを始めたころだったという
先日母を訪ねたときに祖父の本命日が十二月十五日であった話をしながら
いつものように昔話をしてくれた
こういった記憶は どこにも記録されないまま
ささやかに語り継がれ
やがて忘れられてゆくのだろうと思った
残せない無念を悔しがったこともあったが
遺さなくともそれが運命となることもあるのだ
。。。。
十二月二十一日、冬至
年が開けると父の二十三回目の命日を迎え生きて居れば九十歳になる誕生日も来る
そして私が六十四歳になり愈愈残すところあと二年に迫る
本篇は 🔗 ㊙️伝 で
十二月も中旬になります
今週は食べ物ばかりで
アクションの話題はないかなと思ったら
禁酒実験に入ったのです
12月6日日曜日からお酒を飲まないで夜を過ごそう
という実験を始めました
体調変化、体重変化、胃腸の具合、睡眠状態などを
気にしてチェックしていこうという試みです
🔥
十二月になったのですが
別段変わりもなく
今年の重大ニュースを振り返って見たが
年の初めから耳鼻咽喉科に通っていたことが手帳に残っている
他には 歯を抜いてガラガラになったところに入れ歯を作ってみたことくらいだ
。。。。
「断捨離」という言葉やブームは 単なる流行りのようなものだ と突っぱねている
モノの本質を見つめて考えれば 絵に描いたように人を誘導してブームを作って騒いで喜んだだけだ と思う
魔術のように言葉に感化された人は納得して断捨離をしてその気になって満足するのだ
そのことに何も意義を唱えるつもりはないし 反対の行動を起こすつもりもない
・・などと言いながらも 断捨離って人に訴えかける素晴らしい力があると感じている
たった今のこと
探し物が見つからなかったので棚を探し回っているときに事件の発端が起こった
あまりにも多くのガラクタ書類が出てきたのだ
そこでこれらを始末をしなくては探し物が出てこない
よく考えた末に「断捨離をしよう」と叫んでいたのだった
こみ袋に満杯になるゴミが出た
探し物は見つからなかった
断捨離のついでに見つかったもの
・結婚のお祝いにおじさんがくれた我が家の家系図(手書き)
・大学時代の成績表
・下宿から家に書いた手紙(原級留置・卒業延期の言い訳など)
三番目の手紙は捨てた
一番目と二番目は一纏めにして保管するファイルにしまった
。。。
資料というものは恐ろしい
手紙にはどんな言い訳が書いてあったのかは恐ろしくて読めなかった
成績表はさらりとみた
もっと勉強するべきだったという激しい後悔に遅られてしばらく沈み込む
宛先が家族(父母弟)宛であったので父が保管をしていたのだろう
それがあるとき私の引越し荷物の中に紛れ込んだのだ
▶️ 十一月が終わり十二月です 今年の重大ニュースを考えねばならんな
EXCITE ブログに昨日書いたことをコピペする
電気毛布のこと
。。。。。
十一月はこともなく
新しい世代の人にお任せしたんだから
・
👋 2020年11月30日(月)
👋 2020年11月29日(日)
👋 2020年11月26日(木)
・
仕事を退いて体調も快適です
今思うと、一生懸命に書いた資料のダメ出しをするような決済体制ではなく
五千万円の事業をスムーズに進めるために一緒になって知恵を絞って資料を作り上げることができる人だったら
大きな事業をいくつも成功に導けて行けたのにと後悔をしますが
あれはあれで仕方がなかった、その人の持ち味が私とマッチしなかったのだと思っています
何も名誉も地位もなく(お給料もなく)日々を暮らすのはある意味では寂しいのでしょうが
もう何を今更 という気もあります
出番は頑張ってみたところで巡ってきそうにありません
それほど大きなことをしたいという野望に似たことも全く失くなった
生きること自体を自分の記録更新目標にしてもいいのかもしれない
短命の我が家系の中にいてそんなことを考えている
・
最近エキサイトのブログを書いて
楽しくやっています
ココログは 読者の姿が見えないし
コメントもない上に
スマホで見にくいのであかんわ
。。。
🔗 月はひとり 星は二人で見上げたい - 人生は第四コーナーから
秘伝日記の「裏表紙・B面」的なところを - 愉しく
。。。
マックスのカツ丼にしました(お昼)
家でトンカツをあげることも考えたのですけど
チキンカツを近日に予定中なので惣菜に世話になることにした
家にあるもので済ませておこうという日が
時々あるべきだと考えている
バスタ類は大好きなので
悩むとか意見が食い違うとこうなる
お昼にひと玉13円のうどんを食べながら思い出していたのですが
最近スガキヤうどんって見かけんけど
作ってないのかな
・
学は漸(ぜん)を以て日に進むを貴ぶ。
天下の極遠なる、固より人跡の及ばざる所のもの有り。
然れども日日に力(つと)め行きて息(や)まざれば、則ち至らざる所無きなり。
学の源流は遠し。
苟くも下学(かがく)の功、日に進みて已まざること久しければ、則ち以て上達すべきなり。
(貝原益軒 慎思録)
四月から何もしないでのんびりとしているのだが
生活に困るので 私のでもできる仕事を探したい
そんなことを思う日々に求人が見つかったので応募することにした
けれども 採用されると言う見込みは全くない
前例を見ればことごとくハネられているので 今回も見込みはない
・
この前のポークカレーのの肉がたくさんあったので
半分ほど残しておいて角煮にしてます
今回はピーマンはありません
あった方が美味しいです
豚肉でカレーをつくなんて・・と
反発を食らっていたのですが
ココイチのカレーだってポークでも美味しいし
家でもやってみようと思っていましたから
白ごはん.comの角煮がバイブルです
・
いよいろ十月下旬である
何もこれといってなかったので
一行だけ書いて放置してあったのですが
つぶやき帖を見ると
・・
青みかん遺書は三章までがよい
巨峰摘まみ 幸せひとつふたつかな
青りんご 昨日のウソを丸くする
猫がいて昼寝している秋日和
知らぬ間にみんな逝ってる秋の暮
鯵フライには
ソースか
醤油か
・・
などと残っているなあ
しばらくぶりです
台風が来たり
孫っちが襲来したりして
毎日は夥しく変化したのですが
写真があまりありませんでした
*
サンマ2号を12日に食べました
なかなかトントン拍子には値下がりしません
サンマ漁をしている漁師の皆さんのご苦労を思うと
今の世の中 各々が自分を守ることで精一杯なのですねえ
自分のために何かをするのではなく他人のために何かをして
同じように成長して行ける社会というものは
夢でしか実現できないのでしょうか
*
ネットに何もあげてないのに来訪者の足跡が残るので暫くみているとロボットの巡回のようにも見えて来ます
近隣の国から検索されても何も役立つものもなかろうに
チョロチョロと来訪履歴が残るのは嬉しくないので
パスワードを設定してありました
IDとPWは次のようにしていました、mieken 3ken
今見えているのはPW認証を解除しているからです
再訪してもらうことがあって認証画面が出たら これを記憶しておいてください
・
十日の夜に孫ちんたちの襲来があった
台風14号はお昼すぎには影響がなくなって
午後には雨も小雨になっていた
孫ちんたちは久しぶりでした
好き嫌いをするのでおゆうはんは定番の「から揚げ」でした
カテゴリー設定中:加筆中
本当に言いたいことは誰にも言わないものだ
ということをふと思い出したら、
🔗 向田邦子 あ・うん - 一番大事なことは、人に言わないものだということも判った
向田邦子さんのエッセイに出てきたのだと思い出した
台風が南方にいて
雨が降って
肌寒いような
といいながらも快適なようにも思いながら
あっという間に午前中が過ぎていった
ブログを書いたり
天気予報を見たり
先日秘伝のブログにメモのように書き残したこと
エンディングノートには
第一章 伝記篇
第二章 遺言篇
第三章 語録
第四章 雑記
など分けて考えて見たいと思っている
この上段に書いたのは「遺言篇」に当たるところの草稿のようなものと言えるか
生きているのだから日々ころころと変わって(進化して)良いのではないか
・
少しづつ書き始めてみるか
入れ歯のことを書き留めておく
8月18日に抜歯をしました
そのずっと前からおおかたの奥歯はありませんでして
この時期なって右下顎の 456 を抜きました
そこで口の中がごっそりと空いたのでした
(噛み合うのは 左顎の 5 6 だけです)
先生が入れ歯をしましょう
右顎だけでは胃にも負担がかかるので歯はあったほうが良いでしょうと薦めてくれて歯を入れることにしたのです
10月2日、そこで
歯をセットしてから2回目の調整に行って来ました
月を見てウサギになりたかった日を思う
*
一昨日ワインを買いました
酒税が上がるというので
騒がしいのに釣られて
でも
すぐ無くなってしましました
美味しかったです
体調はまずまずです
(日記)
--
あるところにはそんなことを書きながら十月のはじまりを考えている
*
+加筆中
(カテゴリー未設定)
九月尽 🔗 十月のはじめに考える
*
満月のつぶやきがざわつくので月三十日が満月なのかと思ったら十月一日が中秋の名月なのだという、満月は二日の早朝の日出時刻のあたりらしい
縋り付くものが少ないためか余計に二十四節気や歳時記などに心の拠り所を求めようと酢のだろう
ほっと安らぐひとときが欲しいのだであろう、ため息を言葉にして代弁してくれる緊張の解放感に惹きつけられている人が目立つ
ひところよりさらに多くの人がそういったつぶやきの中でほっこりとさせられている
これは今というひとつの時代の潮流のなかにストレスが姿を変えて淀んでいるのを撹拌して浄化して排出しているモデルのようでもある
悪言をつけば、歳時記を片手に猫も杓子も俳句・短歌を楽しみ二十四節気の情景や名月を飾りにして安らぎを求めて自己陶酔に浸っている
私も紛れもなくそのひとりであるのかもしれない
—
どこまであの満月のホンモノの魔力を体感できているのか
たぶん私には人並みほどにも風流などわかっていないだろう
まあそれでもいいじゃないか
—
やれやれと夏がおわっていく
向田邦子さんが「父の詫び状」というエッセイを書いたのは「遺言状」のつもりであったと別のエッセイで読んだ
だからそれに触発されたのかどうかは曖昧な記憶だが、読んだ時期のころに私も「遺言状」のようなものを残せないかと考え、真似をして書き出したのが「秘伝」のブログである
だがしかし、そんなものは作家でもないのだから思うようには行くわけもなくあのザマで纏まりもないものになっている
思いつく儘に書いてゆき無闇矢鱈に長くなってしまって纏まらず、無駄なものも多くありながらその無駄を削り落とせずに困り果てているい
しかし、伝えたいことを簡潔に、読み手にストレートに伝えるのは到底無理である
「塵埃秘帖」「裏窓から」(ココログ)のシリーズだけでも長い、しかし、これも私にしたら一種の遺言状のつもりで
つまり今になって遺言状を編纂するには資料の整理能力においても不足しており、遺言状として取り止めがつかないのだった
というわけで、読んでくれる人任せということになる
*
では、果たして
私は何が一番言いたかったのであろうかを考えて膨大な記述を整理してみるのがいいのだろか
焼き鳥が失敗だったのでちょっと残念です
ニンニクと醤油を刷り込んで少し漬けておいてから焼きましたが
これがアカンのですね
塩してそのまま焼くのが一番旨い
漬け込んだ鶏肉は唐揚げにするのがええわ
近いうちに再挑戦をしようと二人で誓い合う
生姜焼きとか
胃袋を休めている
懐も休めたい
※ + 加筆は未定
もう仕事に戻る気は無い
所詮、求められるような器でもないし
人のお役に立てるようなものでもなかったのだから
慎ましやかに静かに暮らしていけばいいと思う
人の前に出て
旗を振って
声を張り上げて
ときには理屈もいい
意見を交わし
手を施したものが
社会を変えてゆくのが
人生の一齣一齣であった時代は過ぎ去ってしまった
もはや終わったのだと言える
新しい時代の人の
新しい判断力で
新しいステージを作っていかれるのが良かろう
先週あたりから
奥歯(5・6・7)に入れ歯を入れてみたのだが
新そば(青木家)を食べているときは
まず頑張って食べられたけど
チキンカツを食べると外れて
困った
調整に出かけて
昨夜(25日)には
餃子を食べているが
歯を外して食べた
外れないように
食べる工夫も必要だそうで
即ち、そういう食べ方が
この年齢には求められているのだろう
時間がかかるか
・
には閑話があった
・
(閑話から)
中学の体育祭の障害物競走リレーで両足をくくって飛び跳ねながら最終ゴールインをするという役をもらい、見事に一位でバトンを受け取ってかっこよくテープの直前を跳んでゆく時に、おちゃらけで観衆のクラスメイトにピースサインをしたために転倒して、顔面を強打した上にビリになって大歓声を博したという記憶が蘇った
*
先日、三千以上の記事を記録する一番古いブログを「人生」で検索してみた
その結果355件もヒットしたのを見てもどれだけ『人生』というものを考えながら生きて来たかがわかる
第四コーナー
・
夫婦や友達というのは最初から性格や考えが一致していたというものでもなく一緒の衝突事故のような出会いであることも多い
次第に凸凹が解消され襞が触れ合い歯車がかみ合い出すと順調に歩み出せる
どこまで行っても歯車の噛み合わないもの同士もあって然りでそれはそれで共有するところをしっかりと安心できる楔として保持してやっていけるものなのだ
そうして大きなトラックを周回しながら第四コーナーを回ったところを走っているのだと度々口にするとそのことに共感してくれる人も出てくる
第四コーナーの向こうにはゴールが待っている
ゴールも間近なのでそんなに一生懸命走る必要がない人もあれば最後は全力で突っ切るのだという人もあろう
盛大な歓声に手を振りながら悠々とゴールを目指す人
バックストレートでのデッドヒート回想しながら平坦なゴールまでを目を細めて見つめながら着実に最後を走る人
荒っぽいレースの途上で厳しく自らに鞭を打ったためにはを区縛り続けねばならない人
他にも様々な人々がこの最後の直線を駆けている
・
20日(日)に墓参り
お芋はこの日にもらってくる
・
秋の彼岸の連休に季節です
四月から連休に入っている私としては
別になんの代わり映えもなく連休のワクワク感もなく
この週末を迎えています
スガキヤ に行ってきました
を食べてきました
普段は(といってもめちゃめちゃ久しぶりですが)
普通のラーメンしか食べないのに
すごく奮発しました
スガキヤも苦しいようで
あちらこちらで閉店という声が届いてきます
頑張って欲しいですね
宮本輝 灯台からの響き
ふと、宮本輝をクリックしたら新刊が九月初旬に出ていまして
早速図書館に探しに行ったら予約が九番目でした
とりあえず予約をしましたが
単行本を買おうかなとか思っております
感想文は 九人を待ってから借りてきて
それから
・
七日は一日のんびりと日曜日のように過ごす
毎日が日曜日なので 普段通りという意味でもあろうか
㊙️伝 を書く
🔗 ▶️ 九月のはじめに - 幸福への道のり 白露篇 裏窓から
・
九月七日はお昼の間にちょうど台風10号が九州に西域を通過し北上していく
(これから書きます)
きょうは 台風10号が九州の西海域を北上しているので
雨が降ったり止んだりとなるでしょう
六日から七日にかけては 風も出てきましょうし
雨も本格的になると予想されます
ゆっくりと1日家でブログを書くかな
+ 書きかけ
・
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