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    平成23年11月12日寅さん記念館 - Walk Don't Run -銀マド 夕焼けの向こうまで─枯葉の舞う道をあなたと二人で/銀マド【自画像篇】

« 1人ぽっちになった今、磯辺は生活と人生とが根本的に違うことがやっとわかってきた。そして自分には生活のために交わった他人は多かったが、人生のなかで本当にふれあった人間はたった2人 母親と妻しかいなかったことを認めざるをえなかった。「お前」と彼はふたたび河に呼びかけた。「どこ行った」河は彼の叫びを受けとめたまま黙々と流れていく。だがその銀色の沈黙には、ある力があった。河は今日まであまたの人間の死を包みながら、それを次の世に運んだように 川原の岩に腰かけた男の人生の声も運んでいった。 | トップページ | コロナ禍 という言葉が広まっている 禍(わざわい)とは災いのことである 私が座右に置く言葉の一つに 禍福は糾える縄の如し というものがある 禍があって福があるのだ ヒトは幸せになって面倒臭いことを考えることなどせず 他人ができることは自分ではせず ゼニカネで済むことはそちらに任せ 優越感や満足感や幸福感に浸って生きてきてゆくようになった 禍が そこに 一石を投じた というわけである »

2020年4月16日 (木曜日)

いつものように午後に散歩に出た 六千歩ほど 田植えが始まっていたことはすでに書いた 季節は夏を迎える準備をしている

いつものように午後に散歩に出た

六千歩ほど

 

田植えが始まっていたことはすでに書いた

季節は夏を迎える準備をしている

 

 


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« 1人ぽっちになった今、磯辺は生活と人生とが根本的に違うことがやっとわかってきた。そして自分には生活のために交わった他人は多かったが、人生のなかで本当にふれあった人間はたった2人 母親と妻しかいなかったことを認めざるをえなかった。「お前」と彼はふたたび河に呼びかけた。「どこ行った」河は彼の叫びを受けとめたまま黙々と流れていく。だがその銀色の沈黙には、ある力があった。河は今日まであまたの人間の死を包みながら、それを次の世に運んだように 川原の岩に腰かけた男の人生の声も運んでいった。 | トップページ | コロナ禍 という言葉が広まっている 禍(わざわい)とは災いのことである 私が座右に置く言葉の一つに 禍福は糾える縄の如し というものがある 禍があって福があるのだ ヒトは幸せになって面倒臭いことを考えることなどせず 他人ができることは自分ではせず ゼニカネで済むことはそちらに任せ 優越感や満足感や幸福感に浸って生きてきてゆくようになった 禍が そこに 一石を投じた というわけである »

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