斎藤末吉先生が「深い河」解説の中で
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どこを読んでも講義が蘇って来るようです
深い河で検索をしました
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年早く逝ってしまった。 晩年のころには、深い河という作品も残し、新人のころの硬さと美しさをも蘇らせ、成人期の柔軟さも加えた作品にまとめる術を見せてくれた。そ... - 銀マド:読書系にあったタイトル
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だったじゃないの」遠藤周作は晩年の著作「深い河」でこのような言葉でテーマを考察している。様々な言葉の中で、非常に含蓄の深い言葉だと思う。eデモクラシーは、何...
遠藤周作は1996年9月29日午後6時36分肺炎による呼吸不全のため、慶應義塾大学病院で死んだ。73歳であった。葬儀告別式は、10月5日午後1時半から東京都千代田区麹町6-5-1 聖イグナチオ教会で行われた。喪主は妻順子さん。9月30日付朝日新聞の朝刊は弱者に優しい眼差しという見出しで報じていた
深い河を1913年6月講談社から刊行され翌年1月毎日芸術賞受賞した。その成立には深い陣痛が伴っていた。深い河創作日記は1991年8翌年11月29日終わっている。初稿が脱稿したのはこの年の秋9月8日であった。平成5年5月25日腎臓手術前後の闘病日記は口述筆記である。
「平成3年も最後の日なり。余、病弱の身にて漸く68歳の年齢を終えんとす。昔日、50歳まで生きればと思いたること、夢のごとし、今日まで理解してくれる生かしてくれた神に感謝せざるべからず」
翌年正月には、血圧170から90となり、1ヶ月以上の目眩(30日)が続き、腹痛、頭痛を訴え、書くことの苦しさ、挫折感(3月6日)さえ訴えている。そして4月21日「血痰」を見る。小説を書く気力も失せ(7月19日) 30日はこう書いている
「なんという苦しい作業だろう。小説を完成させることは、広大な、あまりに広大な石だらけの土地を掘り、耕し、耕作地にする努力。主よ、私は疲れました。もう70歳の私にはこんな小説はあまりに辛い労働です。しかし完成させねばならぬ。マザー・テレサが私に書いてくれた。(God blesse you througt your writing)
こういう状況で9月8日、ようやく初稿を脱稿したのだが、やがて腎臓の異常が見つかり「余命の少なきを感じる」(9月24日)。「自分の死がいよいよ近づいていることを思う。どういう状態で、どういう苦しさで死ぬかを想像」(10月21日)する。これらの日記を彩っているのは、終末の予感である。10月24日腎臓病で入院。翌月、糖尿病の併発も判明。「自分の晩年が盲目になるやもしれぬとは考えもしなかった。人生の最週末が悲惨な結果で幕をとじるとは考えもしなかった」(11月7日)と……
平成5年5月21日順天堂大学病院入院。いよいよ腎臓の手術。
「今日の手術ほど痛く。有楽、堪えられぬものはなかった。途中このまま殺してほしいと何度も思った。痛み、激痛起こり、唇も下もカラカラに乾き、一秒でも早く手術が終わることばかりを念じつつ、二時間半を堪えに堪えた。(略)七十の体にはあまりに辛い一日だった。(略)この小説のために文字通り骨身を削り、今日の痛みをしのがねばならなかったのか。」(5月25日)
その後、作者は1995年9月、脳内出血で倒れ、順天堂大学病院に入院し、12月退院。又翌年四月、腎臓病治療のため慶応義塾大学病院へ入院し、9月29日、午後六時三十六分、「肺炎により呼吸不全」のため不帰の人となったのである。
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