いつ死んでも後悔するように生きる
幸せな死のために一刻も早くあなたにお伝えしたいこと 若き外科医が見つめた「いのち」の現場三百六十五日
作者名 :中山祐次郎
「人は生きたように死んでいく」
一生涯をかけて誰も愛してこなかった人、誰にも本気で尽くしてこなかったひと。そういう人は残念ながら誰からも付き添われず、病院のベッドでひっそりと淋しい最期を迎えます。
それとは対照的に、たくさんの人を愛して、たくさんの人を慈しみ、お世話をした人の最期とはどんなものか。
「いつ死んでも後悔するように生きる」
今、中断したら後悔するでしょうか。しないでしょうか。
もし後悔しないとしたら、それはどこかで本気ではないのではないかと思います。
後も先も考えず、今目の前にあるミッションに対して、目いっぱい熱狂して夢中で取り組んでいたら、それが中断したら無念で無念でならないはずなんです。いのちがけでやっていたら、無念で仕方ないはずです。
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