10月下旬号
写真も撮らずに
だらっと下旬を過ごして
十月も尽きてゆくのだ
みたらし買いましてん
白子屋さんの
チョリソ風靄ってみて
なんやかんやで
10月も終わって行きます
今度の休みに増殖版をしっかり書きます(つづく)
« 2016年9月 | トップページ | 2016年11月 »
写真も撮らずに
だらっと下旬を過ごして
十月も尽きてゆくのだ
みたらし買いましてん
白子屋さんの
チョリソ風靄ってみて
なんやかんやで
10月も終わって行きます
今度の休みに増殖版をしっかり書きます(つづく)
石原慎太郎という人は、政治姿勢や手法において、タカ派色が強いとか言われ、確かに大雑把に考えて好きにはなれないところがありますが、思想で人を嫌うよりもきちんと話を聞いて同意ができるかどうかを論じるのが本当でしょう。ただ、発言がさっぱりとしているし、歯に衣着せぬところがありますから、腹が立つ人もあれば好きだと言う人もありましょう。
しかし、今の時代は、彼でないと遂行できないことがたくさんあるし。おとぼけ国民をぐいぐいと引張っていくためには不可欠な人物でもあるわけで、世の中を改革したり新しく構築していくときには綺麗ごとだけでは済まされず、この人のように、神がかり的な技と力が必要なんだということでしょう。
だから、思想的には幾つもの反発点がありながらも、別の面で褒めてやりたいこともたくさんあって、嫌いだからと言ってぶっ殺すわけにもいかないでしょう。
小説家としては好きですし贔屓にしているし、読むしかないわけです。
田中角栄という人はまさに天才です。
これほど上手な作品タイトルをつけられる人は石原慎太郎以外にはいないでしょう。
だから、石原慎太郎も天才です。
惚れ惚れするような人物だったのでしょう。
政治家として正しかったかは賛否があろうかと思いますが、田中角栄という人がいなかったら、日本はもしかしたら滅茶苦茶だったかもしれない。
行政組織のやっている仕事を高みの見物的に眺めてみて切実に感じるのは、政治家が敏腕を振るわずそれなりに事を済ませても、役所の担当者(役人)が卒なく仕事を済ませて行けば社会は上等に循環します。(少なくとも市民は欺けます)
そういう点では、あまり目立たなず失敗もしない政治家や行政人が優秀と言えて、ほんま、切実にそういう愚かな側面が厳然と存在します。
しかし、田中角栄はそれでは済まされないのだという意思があったのです。
失敗したら、大変だから、適当な政治家で終わっておこうとは考えなかった。
あの人には希望があって、夢があったし、さらには使命を持っていたのだと思います。
人物の器とはそういうものだろうと思います。
旅をしていた頃に新潟県へと隣接県から峠を越える瞬間のあの驚きはとても忘れることなどできない。
世の中のために全力を尽くすには、自分自身の土台となるものをしっかりと掴むことが条件の1つです。これは不可欠な条件で、潜在的な力として毅然と存在していますし、その先には全ての人々を幸せにしてやることが必要だったのです。
そこに来て天性の敏腕があって先見性があって、人材を操作する術を持っていた。
金権が追求されますが、それはそれで、人間として強欲な点がそれほど前面には出て来ず、ある種の必然性のようなもので肯定している。
小説として自由さがありますから。
でも、(反発しながら)あらゆる個性を石原慎太郎は好いているのですから、アメリカに陥れられた(仕返しされたみたいなもんですが)汚職事件の被告人への道筋を、公然とハメられたから可哀想だとは書かないけど、でもやってきた政治の足跡はこの人物でしかできなかったと認めている。
石原慎太郎がどのような思想の持ち主でどんな色の政治家なのかは公然の事実で、ある意味では田中角栄よりもざっくばらんです。
小説家であり政治家であるのだからそれほどな悪人色を出すわけにもいかないけど、結構似ているところがあるのでしょう。
一方で各論的にはイデオロギーとしてもある種の対立を持っていたのかもしれませんが、この小説は政治の話がしたいのではなく、人物の話をさらりと描きたいと考えたはず。(ロッキードに関わることで結構ページを占めてましたが)
しかし、似た者同士は反発するから口では嫌いだと言いながらも心の中では違った形で尊敬をしていたのでしょう。
最初にも書いたけど、この作品のタイトルが「天才」であって、どこにも田中角栄という人の名前など出て来ないのです。
今では確かに現代社会に合うわけではなく、待ち望んでいるタイプでもないのでしょうが、読むほどに、ここに出てくる天才的な人物の人間味を切実に感じます。そんな作品でした。
もう一回、角栄さんがしゃべっているところを見たい。
「第二の人生の歩き方」というタイトル・テーマで脚本家の内館牧子さんが朝日に「思い出と戦わず、次に進め」というオピニオンを書いている
(※ 最下段に原文を引用)
「あんなに秀才だった男の子も、あれだけきれいだった女の子も、横一列。60歳を超えると、みんな終わるし、これから先も見えてくる。着地点は一緒」
であるという点に異論はない
「そこに至るまでのプロセスは異なりますよ。いい大学を出てエリートだった人の方が、いい風景を眺めてきたと思います。でもそういう人ほど、着地が下手。ソフトランディングできないから、辞めるとガツーンと衝撃が来ます。元々それほどでもない人の方が、自然に仕事以外での楽しみ方を見つけているから、うまく着地できる。世の中、うまくできているなぁと思」
うというのは、残念な記述であった
ドラマを書く人の架空の視線でいかにも論理的なものを書いてはならないと思う
これは作者が想像したドラマのような1シーンに過ぎない
つまり、文人がこんないい加減なことを書いてはいけないのです
上でのべていいる「それほどでもない人」の方がいい人生を得ているように書いているが、それは、ドラマのような話だ。
実は、上手く着地してない人がたくさんいることを見逃してはならない
内館さんは架空の事も書くことがある作家だから、ドラマふうに書くなら綺麗な話を書きたくなることでしょう
しかしルポルタージュとして書くなら「上手く着地していない人」たちが、いったいどんな人なのかをしっかり見なくてはならない
強者として生きてきた人が上手く着地をできずに苦しんでいるのを激励する文章であるならば、内舘さんのオピニオンは大いに役立つだろう
しかし弱者として生きてきた貧困の人たち、格差の最下段の人たちの中には、一度も這い上がることなどないまま60歳を迎えた人は沢山いる
その人たちはこれを読んでも納得できないどころか、腹が立つだけで、何を夢物語のようなべんちゃらを書いているのだと思うだろう
ある総理大臣がカップラーメンの価格をトンチンカンに答えた笑い話くらいに段差を感じたのではなかろうか
弱者として生きてきた人たちは、そう簡単にはサクセスストーリーなど巡ってこない
悪循環の連続の人生なのだ
一生懸命に誠実に努力をしている人もその中にはたくさんいる
真面目とか誠実だけで成功したり金持ちになれるなら、世の中にはもっと金持ちが大勢いただろう
弱者を襲うのは貧しさだけではない
家族の発病や、なかには介護が必要になるような辛いものもある
資金不足による勉学の挫折や就学の中途放棄
就職先がブラックである不運、挙げ句の果てには倒産、その後も重労働で体調不良
他にも育児に様々な苦難が伴って、不運というしかない子育てを経験し
とことん真面目に生きてきているのに子どもは思い通りにならず挫折の連続
こういうのを泥沼というのだろう
そういう人が身の回りにたくさんいる
どうしてこのようなオピニオンが書けるのか
認識不足なのかまたは幸せボケなのか
自分とは違う世界には無関心だというのか
冒頭に書き出している自分作品をPRしたかっただけなのか
嘆かわしいのと
レベルの低さに
呆れてモノが言えないとはこんな状態だ
―――――――――――――――――――
【以下
2016年10月18日朝日新聞記事】
■思い出と戦わず、次に進め 内館牧子さん(脚本家)
定年って生前葬だな。こんな書き出しで始まる小説「終わった人」を昨年、出版しました。主人公は、大手銀行の出世コースから外れ、転籍先の子会社で定年を迎えた63歳の男性。この前、高校の同窓会に行ったら、みんなが「俺がモデルだろう」と言うの。読者からのはがきにも、みなそう書いてあります。
数年前から急に、同窓会に行く機会が増えて気づきました。あんなに秀才だった男の子も、あれだけきれいだった女の子も、横一列。60歳を超えると、みんな終わるし、これから先も見えてくる。着地点は一緒なんです。
もちろん、そこに至るまでのプロセスは異なりますよ。いい大学を出てエリートだった人の方が、いい風景を眺めてきたと思います。でもそういう人ほど、着地が下手。ソフトランディングできないから、辞めるとガツーンと衝撃が来ます。元々それほどでもない人の方が、自然に仕事以外での楽しみ方を見つけているから、うまく着地できる。世の中、うまくできているなぁと思います。
現役中から、そば打ちを始めろということではないんです。「もっと仕事で上を目指したい」という人は、仕事第一にした方がいい。無理に趣味をやると、サラリーマンとして成仏できないと思う。プロになるわけじゃないんだから、定年後で十分です。
よく定年のことを「卒業」というけど、潔くない言葉よね。とかく第二の人生は素晴らしいと言われるけど、そう言わないと気力が出ないですものね。会社的には、はっきり終わったのよ。そういう自分を明確に認識した上で、これからどうしたいかを考える。そこで「やっぱり仕事をしたい」となれば、ハローワークに行けばいい。
その仕事の多くは、自分のキャリアや技術をいかすものではないと思う。だけど、自分は一度終わっているんですよ。プロレスラーの武藤敬司さんが「思い出と戦っても勝てねンだよ」と言っているけど、みな、自分の絶頂期と比べるでしょ。でも、いまの世の中は、自分の次の世代が動かしているんです。
脚本家やフリーの人も容赦なく終わります。サラリーマンの定年より早いかもしれません。私は60歳のとき、生死の境をさまよう大病をしました。そのとき思ったんです。40代、50代を仕事第一にしておいてよかったって。あれも書いたし、これもやったし、「まっ、いいか」と思えました。脚本家として、成仏できた気になったんでしょう。
「終わった」と認め、思い出とも戦わないと決めることが、すべてのスタートだと思います。まだ終わっていない若い人たちも、しょせん、残る桜も散る桜ですよ。そう思うと、腹も据わりますよね。
(聞き手・岡崎明子)
満月を迎えている(14日)
毎日が時々刻々と移ろう秋の空模様にあって
綺麗な姿で感動を呼んでいるようだ
13日の夕刻に東の空に出ていたのを少し眺めて
そのあとは部屋に篭ったままであるので美しい姿は見ていないのだ 実は
明かりが窓のカーテンを照らしているのを寝床から見たくらいだった
🌺
GGデーだったのと
ウイスキーを切らしていたので
誕生日パスポートみたいなものもあって
出かけたい気分があったし
お買い物に行って
焼き鳥用の肉とトンテキ用の肉を買って
ついでに麦とホップも買って
お夕飯の前にお風呂に入って
美味しくご飯をいただいたというゆったりとした日でした
ですが
テレビが面白くないので
8時頃には消してしまって
布団に入って本を読んでいる間に眠ってしまった
(いつものことか)
冬布団が暖かい
早いものでもう10月に突入し、寒露(8日)も体育の日(10日)も過ぎて、 もはや本格的な秋が到来しています。
秋風や絵の具の皿に赤を置く
建礼門院の墓かたぶきて秋の猫 蔵前幸子
こんな俳句に刺激されて、10月の連休にはちょっと出かけて歴史街道などをトレッキングしてきたいなと考えていたのですが……ところが、季節はずれの気温変動はジェットコースターのように烈しく上下しまして、 真夏日が来たかと思えば冬布団を大慌てで出す日があったりと、体調を管理するのに四苦八苦でした。
そのせいで?風邪の症状をフルコースで堪能することになりまして、3日のお昼頃から微妙な異変が現れ始めました。
最初は胸の奥の方が痛痒く喉の奥が爛れているような心地の悪さが出ます。次に、微熱ながら身体がだるくて唾を飲み込むと痛みがあるようになります。このころが二日目から四日目の頃です。仕事も二日続けて休み早く治そうと努力をするのです。
しかし、歩くと目眩のような症状が出て咳も出て喉が激しく痛く、夜には鼻も喉も詰まったように(イビキを伴い)唸りっぱなしと言う日が来ます。五日目から七日目あたりのことでそれがちょうど三連休にあたりました。連休でしたので安静にしていたこともあって諸症状は治って、次第に喉ちんこの付近の軽い痛みとせいぜいとした呼吸と時々出る咳と痰に悩まされる程度に沈静化して来まして、八日目九日目の頃には鼻水が出て詰まるという症状が加わっています。でも、喉から胸の方にかけての苦しみが随分と快方に向かっているので、椅子に座って静かにしてればほぼ平常な状態です。それでも少し耳の奥がブクブクといっていて、作業にトチリとかがまだまだ発生しました。
そして、いよいよ風邪も十日以上の長期戦の模様となってきました。
と言うわけで、3連休の少し前から明けた後も、連続的にゴホゴホとしています。寝込んでいる間には、おとなしく自室の小窓から冴えない空模様を見あげておりました。
メルマガ書かなきゃというわけで、あとがきを少しばかり控えに残しておきます。
10月になると小中学校の運動会、町の運動会や体育祭がありました。小学校の運動会には家族が全員がやってきて応援をしてくれました。まだまだ大家族が多かったので、観客席は大声で応援する家族の姿でとても賑やかでした。 そして、昼休みには筵を敷いた家族の控える席で、まるで遠足にでも来たように楽しくお寿司や果物を食べたりしました。
柿や栗は農家で収穫できるふつうのご馳走でした。さらに、運動会には待ち遠しい果物がありました。それは早生の青いミカンです。あの青いミカンは美味しかったなあというのが小学校時代の華やかな思い出です。
きっと青いミカンは、台所を預かる母にすればそれなりの贅沢だったはずですが思う存分にぱくぱくむしゃむしゃと食べました。
東紀州は温暖な気候に恵まれ、四季を通じてさまざまな種類のミカンが採れるので、今では「年中ミカンが採れる町」と言われて有名になっています。 そんな地域に恵まれているからでしょうか、やはり、この季節になりますと一足先にミカンを食べたくなります。
食文化というのは、無意識のなかに驚くモノを秘めています。いくつかの都府県に暮らしたあとに三重県に戻ってきて、そのポテンシャルに驚くことが多いです。秋は大好きな季節です。
とまあそんなようなことを考えてみたりしながら10月の上旬は過ぎていったのでした。
私の風邪は一向になる様子はなく
週末はゼイゼイ・ゴホゴホの日でした
木曜のお昼はすうどん+コロッケを食って
金曜の昼は竹輪の磯辺揚げ
一方でおゆうはんの方は
ツマが気を使って唐揚げを作ってくれたり
好物の焼きそばであったりして
手抜きのようで
心がこもっているような感じが
あたたかい
依然
気管支から喉にかけては大火事の状態で苦しく
風邪ひいて寝込むと体重も増えるのかい
てな具合で 3.8kgも増加していた
この先どうなるかという不安で
三連休だそうです
予定は何もない
🍀
ムスメのところは
一通り風邪も治ったようで
土曜日の名古屋へのお出かけを
楽しみにしているらしい
旦那さんが休みの日はくつろいでのんびりできているようだ
M's Zoomから(5日6日)
先日からラーメンを食べたくて仕方がないのだった
そこで「麺屋 田所商店」(@高茶屋)にいく
同じ暖簾分けで伊勢にある「蔵deラーメン」は何度か行っており
お気に入りのラーメン屋さんです
旦那さんが食べない食材が多いので
自分の大好きなラーメンなどの小麦粉系のものを食べるときで
お仕事に行っている日には
喜んでいっしょに付いてきてくれる
というよりも
ツマがそういう日にムスメを誘い出すのだが
🍀
少し前の日記にムスメの家のお夕飯で餃子が出ていたのが強烈な印象で
私も食べたいと願っていたのをツマが悟ってくれて
ドカンと餃子を30個
ニンニクは地場産
🍀
衣替えを済ませて
汗だくになって仕事に向かったから
というわけでもなかろうに
喉の奥の方が煙に巻かれたように苦しい
喉が痛くなる前に
必ずやってくる症状で
すかさず休んで療養すると決める
年寄りは
この判断を誤って
あとで3日も4かも休むことになる
最近のコメント