ビール2本 - 能生館の思い出
下宿に商学部の黒金先輩という人がいた。
黒金さんは米沢興譲館出身で、浪人時代を仙台で過ごしており、そのときの仲間で「北山会」というのを作っていた。その会に萩山寮時代の島田くんがいて「黒金というのが下宿しているから君に勧めるよ」と紹介してくれたのが能生館であった。
島田は、飯坂温泉の電気屋の息子なんだが、弟に島田ラジオ店を任せて仙台で2浪、萩山で1浪、そしてわたしが1年の時にも1浪して、合計4浪で文学部に入った。
島田くんの世話になったときには、この二人がお酒大好き仲間だと気づかなかった。
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あの頃(1977年)、ビールは195円ほどで、黒金先輩は毎晩ビールを飲んだ。
学校から帰ってくるときに江古田の駅前にある十一屋でビールを2本買って帰る。
下宿の廊下をカランカランと音を立てて部屋に滑り込んでゆく。
このころは風呂屋が150円ほど、駅前のメシ屋でラーメンを食うと300円以内だった。
わたしも黒金先輩の真似をしてビールを2本毎日飲むようになった。
だが、先輩は勉強家でビールを飲みながらではあるものの大学生とは思えないほど日常の時間を勉強に費やしていた人で、のちに山形の銀行に就職し、随分と偉くなったと聞いている。(休日は「なべの会」で奥武蔵や秩父の山を駆けずり回っていた)
真似をしなくてもいいところばかりを真似したアホなやつだったのだ、わたしは。
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