父に似る
父に似る猫背の娘温め酒 砂女 (雨降茫々日々記・1245 から )
砂女さんのブログで人生を見つめなおすきっかけをいただいている。そんな日々が続く。(ブログに書き残したコメントを書きなおしてます)
この言葉が句のなかに含まれていて、勝手にわたしはここで立ち止まってしまったのである。早くいえばその言葉が一番に「ジン」と来たともいえる。
昔はそんなことを考えたこともなければ感じたこともなかった。歴史の頁(ページ)をめくって、過去は過去としてどこかにひとまず仕舞ってしえば、消えたも同然のように扱う。
ところが、それがあるとき奥の方から出てきて、静かにわたしの前に現れる。気付いたときの驚きはあと戻りができないほどになっていて、奥に仕舞ったときのことなど忘れている。
自分と似た人がいた。世の中にはわたしと似た人が二人いることがわかってくる。当たり前のことだが、それが感動的に自分に迫ってくるのだ。どうして今までそんなことに無意識でいられたのだろうかが不思議なほどに。
探っていくと根拠も証拠もないところに、血脈だけでつながった人が浮かび上がる。似ていることの歓びのようなものがこんこんと湧いてくるのだ。悪いことであっても構わなくて、似ていることが嬉しい。
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このごろは、自分の余命も大目に見てもそんなに多くないことがわかってきたし、それはニンゲンの宿命なのだから許容していて、残り少ない(と言っても運が良ければ長いかもしれないけど)人生で、未練を残さずに生き抜くことが大事だと思っている。
語録のところでも引いたのだが未練という言葉は用法が難しい。
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父が私に遺したような影響力を、わたしは子どもに引き継げるのか。
この年令になって思うのは、子どもがわたしの何割かを受け継いでくれるのだろうか、という心配のような思いです。DNAは受け継がれるからある程度は似るんですが、わたしなりに一番期待するような要素というのがあって、そういうところがきちんと伝わるかどうかが重要なのです。でも、それも無駄な心配や悩みのうちでしょう。
もはや未練はないと言いたいけど、気に掛かることは絶えない。(正直)
たぶん、わたしが思っている以上にムスメはわたしにソックリだろうと思う。そしてたぶん、肝心なところも悪いところも隈なく卒なく受け継いでいると思う。
それでいいのだ。
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