父の生命力
いつも現代農業を読んでいた。寝床に入っては勉強をしていたのだろう。どのようにしたら限られた田畑から少しでもたくさんお米が収穫できるのか、そのためにはそうすればいいだろうと考え続けていた人だった。
収穫高だけではなく、旨い米や野菜を作る工夫もした。何事も諦めずに工夫をする人だった。疑問があると必ずその原理から考えて、理由を追求し、変化の過程を追いかけて探求しようとする姿勢があった。
物を贅沢に使うこともあったが、手持ちの資材を工夫してモノを作る姿勢も持っていた。何かの実験的な試みを思い付いたときの投資は惜しまない人だった。
玄関に人が来るとブザーが鳴る装置を、私が子供の頃に既に作っていたというのは輝かしい履歴だろう。素直に、こんなものがあったら助かるだろうと考える。技術の進んだ後世の時代から見れば馬鹿げていても、推し進めるところに異才があった。
玄関ブザーは、それなりに重宝した。それに続いて、自動的に閉まる木戸も作った。猫は自分で木戸を開けて家に入るが閉めない。そこで自動的に閉ってくれればよかった。
決して素晴らしいものができないにしても、工夫をして物を作ることの大切さを学んだ。
物の存在価値や意味合い、使われた方を考えて理解することで、あらゆるモノは作品であり、作品は大切に扱うべきものだという姿勢を教わった。
現代の子どもたちには伝えることはおよそ不可能な掛け替えのない哲学だった。
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