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2014年11月30日 (日曜日)

JAZZ BAND HAKUSAN

Jbh
コンサートに行ってきました。
楽しかったです。
中学時代の同級生も集まって、音楽会のあと少しおしゃべりをしてきました。

また、集まれるといいな

2014年11月29日 (土曜日)

うなぎ丼を食べに出かけました

鰻丼(うなよし)

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この日記の続きは明日書くことにしよう……

2014年11月26日 (水曜日)

幸せ

ツマに

 

 

── 今まで一番幸せやったときっていつ?
  三つくらいあげてみるか。

 

と、何気ないふりを装って尋ねてみたら

 

── 結婚したとき。
  [子ども]が生まれたとき。
  それから、大学時代も幸せやったなあ〜

 

そんなふうにつぶやいて、むかしを振り返るようにその頃を懐かしんだ。

 

今現在が幸せではないというではない。

 

心のなかにどれほど幸せを感動として残しているかということや、幸せとは何かというような普段から言葉で定義しないようなものをどのように心に仕舞いこんでいるかに触れてみたかったのである。

 

 

このことでじっくりと考えてみたり、自分を見つめてみると様々な思いが次々と湧いてくる。

 

しばらく、ぼんやりと考えてみようか。


 


しょうが焼き

 

2014年11月22日 (土曜日)

コートと手袋 ── 小雪篇

❏ 小雪

年が暮れてゆく。身の回りの整理もしなくてはならない一方で携帯端末のメモ帳にもたくさんの断章が散らかっている。

整理をせねばならない。面倒くさいという気持ちがあるけど、実はその陰にそのまま書きっぱなしで放置して、余りじっくり考えないままの宝にしておこうというような気持ちが潜んでいる。

▼冬来る父の命日近づきて

わたしにとって冬は凩容赦なく吹き付ける厳しい季節だ。12月13日にこんなことを呟いている。父が逝った1月22日という日は大寒の直後で県境の山脈からは北風が吹き下ろし、峠を越えて通夜に来てくれる人は毎年ごとにもこない寒波に言葉も凍らせていた。

愚かにもわたしは父がたった3週間ほど後に逝ってしまう運命であったことをこれっぽっちも予測できずに正月を送り日記には何も触れていない。

得てしてそれが平和というものだろう。呑気とも言えようか。
わたしもそういう平和のなかで許されるのならば死んでいきたい。

平成26年の小雪はそれほどの冷え込みでもないように感じる。しかしこれは朝寝をして布団のなかからの感想である。新聞受けまで小走りにトントンと駆けたときに見た庭の車の窓ガラスは一面が露で濡れていた。

きのうの朝、通勤列車のなかから窓の外を眺めていると線路沿いの田んぼがほんの薄っすらと霜のようなもので覆われていた。地面は冷え込んだのだろう。初霜なのかもしれない。

コートと手袋はまだ出していない。

▼おはようと言い出せなくて金曜日

駅(ホーム)

2014年11月21日 (金曜日)

ハンバーグ

(ゆうべの話ですが)
ワインが届くと言って
大好きなハンバーグを作って
僕がおいしいなと感想を言うと
喜んでワインを飲んでいた。
ツマ。

ハンバーグ

2014年11月20日 (木曜日)

虚構

わたしは優良な読者じゃないです。文才がない。「全て虚構」って嘘つきの事やんなぁ、と解釈している程度ですから。ただ、虚構を取り留めもなく書くのなら好きです。嘘つきで見栄っ張り。そして弱虫ですもの。

題詠っていいですね。自分を振り返るきっかけになる。

手帳というものが該当の年度を働き終えたらそれは素晴らしい読み物に変化し、一種の芸術的作品でないかと思うこともある。真っ白だったとしてもそれはそれなりに。

そうなると、筆者が誰かということよりも、どのような心の側面の表現が裏に隠れているのかみたいな話になってくる。まして、訳あって自分の手元にあるのだから、宝物なのかもしれません。

「微かな濃淡」てのは素敵な言い方です。

モノにはエネルギーってのがあって、赤色ひとつとっても濃度[concentration](赤み度)と振動数[frequency]を持っている。この周波数が大きな意味を持っていると思うのです。まあ、言ってみれば揺れているわけです。

あらゆるものにおいて、この1つの状態を表すためにはこの周波数というパラメータが必要で、モノの状態は「物」でも「精神」でも揺らいでいるのが自然ということです。

先年から読書をするときに紙とペンを用意して読みます。それをしながら気がついたことがあります。読書にしてもおしゃべりにしても、記憶力に頼って負ぶさって生きてきたことがわかってきました。近頃は読書をしてもすぐ忘れます。一晩で百人一首を全部覚えた(満点ではなかったが)高校時代のようには行かないのだ。

だから、忘れることに逆らうのはやめました。手帳が付箋で分厚くなります。嬉しい。


参照作品;砂女さんのブログ
雨降茫々日々記から  2014.11.15

1249  あんなにも憎みしひとの去りしのち古き手帳に残る筆圧
(題詠2014:67 手帳)

2014年11月19日 (水曜日)

大腸カメラ

去年の9月に受けてから1年余ぶりの大腸カメラ検診です。

下剤 下剤

── 次回は2,3年後でいいでしょう
       まず、検便してからですね(今度は)

と言われていたのですが、納豆マメくらいの大きさの血の塊がウンコに乗っていたので、相談したら、どっから出てきたんかなということになったわけです。

── 憩室があるからかもしれませんが、見てみましょう

ということになりました。

ポリープ拡大写真

(コレは2年前の秋)

2014年11月18日 (火曜日)

手帳

二三年ぶりに手帳を買った。これを買う決心をした日の夜にひとつの歌と出会っている。

 

 あんなにも憎みしひとの去りしのち古き手帳に残る筆圧 砂女
 (題詠2014:67 手帳)

 

この人の前にあるのは「手帳」なのだ。理由は不明だがその手帳を開けている。そこにある「憎しみ」という言葉から発せられる振動が私に届いた。強烈に私に響く。

 

文芸の才がない私には、ひとが去ったのか憎しみが去ったのか、わからない。そして筆圧は誰のものなのか、最初一回読んだときには、憎しみが去って、砂女さんがあるとき(時代)の手帳を見ている光景を想像したが、そんな単純なものでなくともいいのではないか。(勝手で失礼だが)

 

人がこの世を去って、憎しみが消えて、ある時代を遺した1冊の手帳があり……
考えるのはイケナイコトかも…と思い始めたのでやめることにする。

 

---

 

手帳を買うかどうするか私は迷っていた。その背中をこの歌は押したのだった。「憎しみ」という言葉が私の古傷を穿るようで、そこで感情は歌から私自身の記憶にスイッチされてしまって、憎しみの回想からくる思いを私は言葉に残そうとして、吐き捨てるように何度も書き直している。(その文章は罫線で区切って付けておく)

 

 

五十を過ぎて筆圧が弱くなった。大抵のことが許せるようになったから今さら強く書かねばならないような激しい思いを抱かなくなったのだろうか。しっかり字を書こうと迫るものがないともいえよう。しかしその反面、書道や写経をするときのような気持ちで字を書くことが増えた。心掛けてというと格好が良すぎるが、努めてせっかちさを排除しょうとしている。

 

字を書くことは座禅のようであり勤行のようでもある。一画一画、部首を考察したり、考え出された時代や考え出した人のことを想像すると禅の哲学の境地に踏み込めるような気持ちである。

 

 

憎くて恨めしい人間が三人いる。八つ裂きにして粉々にしても気が済まないような人だ。そう書けば血が騒ぐが、座禅を組めば忘れる。

 

手帳には、つぶやきを書こうと思う。たくさんの色ペンを使って予定も日記も書こう、小さな付箋をいっぱい貼って賑やかな手帳にしよう、そんなことを考えている。

 

許したふりをしながら、その手帳の隙間には断片的に私の憎しみが滲み続けるのだろう。死んでも正義を問い続けたい。


❏❏ (憎しみ)
私は罪深いニンゲンだ。愛する人を一時であろうと裏切り、あるときには信用した人に裏切られたのだ。1つの償いは済ませたし本来なら生きられずに罪も償うことも許されなかったかもしれないけど、こうして生きている。だから、憎しみを抱くことなどは許されないとしても、それでも私は私を裏切って陥れようとしたそれぞれのニンゲンを憎んでいることを心の奥にしまい続け封印したりしない。

 

何をいまさらと思うほどに憎しみが湧き上がって破裂しそうになる。その一方で、何を今さら怒ったり憎んだりしたところで何も変わらない、とも思う。モノゴトの流れが変わるわけでもないし、巻き戻してどこかを組み直すことも出来ない。そんなことができたところで誰にも幸せはこないだろうという冷めた気持ちがある。

 

世の中の大勢が言う「憎しみ」と言うものは、まだまだ甘っちょろいものだと思う。(私が持っているような)ほんとうの憎しみとはコレだ!と手にとって見せることができるならば見せて教えてやりたい。世界が滅びてもいいほどの憎しみを持っている私は罪深い人間だ。

 

憎い奴の胸を引き裂いて切り刻んですり潰して焼き焦がして火山の噴火口にでも捨ててやっても気がすまない。出来る限り残虐で出来る限り苦しい罰を与えてやりたい。


参照作品;砂女さんのブログ
雨降茫々日々記から  2014.11.15

 

1249  あんなにも憎みしひとの去りしのち古き手帳に残る筆圧
(題詠2014:67 手帳)

2014年11月17日 (月曜日)

父は設計者というより芸術家であった

父は設計者というより芸術家であった。
モノを構想して組み立てあげてゆく過程は似ていても、本質的にわたしと大きな違いがあった。

 

理屈を言うところは私も同じだが、モチベーションが違う。
第一歩のパワーの軽さが直感的でストレートだ。型を気にしてない勢いがある。

 

そうれ故に、理屈を言うくせにそれを食いつぶしたような芸術味のようなものがあったのだ。
そう今になって思う。

2014年11月16日 (日曜日)

師匠をもつ

心から信頼し尊敬し慕える人を師匠に持ちたかった。
そしたらいつか成功して、先生こんなにまで成長しました、と言えるときを目指して頑張る。

 

ヒトはそんな先生に、生涯1人で良いから出会えるように、普段から自分自身の心身を鍛えていなくてはならない。
出会うためには待ちの姿勢ではダメだ。自分が清く正しく熱意を持って自分で決めた目標を見つめ続ける姿勢が必要だろう。

2014年11月15日 (土曜日)

エビ(フライの)丼 ─ 唐揚げ入り

14日のおゆうはん。

(ナイショですが)

惣菜コーナーで2割引きの唐揚げとエビフライを買って来て、アブラがまわっていると嫌なので丼にした……というわけではなく、単にエビ(フライの)丼が食べたかったのです。

玉ねぎと三つ葉があったので利用します。健康のためにお砂糖を控えめにしています。ついついお匙に1杯分ほど多めに入れてしまうのです。

みりんとお酒で小細工しているのですが、これも控えめにしています。これは単にケチっただけです(笑)

お酒を料理に入れるときは必ずコップで測りながら、ちびっと飲んだりしながら入れます。

これはホンマに秘密なのですが、素麺の麺つゆをスプーンに少々入れます。この少々加減が難しいのです。多いとバレるし、ソーメンつゆの味がします。薄いと少しだけカツオだしが生きてきますので、微妙な加減がノウハウです。もちろん醤油が基本です。

男の料理の場合は、砂糖を除く三種類の調味料を同量ずつ入れるのが失敗のない方法です。

ここで注目して欲しいのは、卵の固まり具合です。ちゃんと半熟のところを残しているでしょ。(自画自賛)

エビ丼─唐揚げつき

2014年11月14日 (金曜日)

父の生命力

いつも現代農業を読んでいた。寝床に入っては勉強をしていたのだろう。どのようにしたら限られた田畑から少しでもたくさんお米が収穫できるのか、そのためにはそうすればいいだろうと考え続けていた人だった。

 

収穫高だけではなく、旨い米や野菜を作る工夫もした。何事も諦めずに工夫をする人だった。疑問があると必ずその原理から考えて、理由を追求し、変化の過程を追いかけて探求しようとする姿勢があった。

 

物を贅沢に使うこともあったが、手持ちの資材を工夫してモノを作る姿勢も持っていた。何かの実験的な試みを思い付いたときの投資は惜しまない人だった。

 

玄関に人が来るとブザーが鳴る装置を、私が子供の頃に既に作っていたというのは輝かしい履歴だろう。素直に、こんなものがあったら助かるだろうと考える。技術の進んだ後世の時代から見れば馬鹿げていても、推し進めるところに異才があった。

 

玄関ブザーは、それなりに重宝した。それに続いて、自動的に閉まる木戸も作った。猫は自分で木戸を開けて家に入るが閉めない。そこで自動的に閉ってくれればよかった。

 

決して素晴らしいものができないにしても、工夫をして物を作ることの大切さを学んだ。

 

物の存在価値や意味合い、使われた方を考えて理解することで、あらゆるモノは作品であり、作品は大切に扱うべきものだという姿勢を教わった。

 

現代の子どもたちには伝えることはおよそ不可能な掛け替えのない哲学だった。

2014年11月13日 (木曜日)

父に似る

父に似る猫背の娘温め酒   砂女   (雨降茫々日々記1245 から )

 

砂女さんのブログで人生を見つめなおすきっかけをいただいている。そんな日々が続く。(ブログに書き残したコメントを書きなおしてます)

 

この言葉が句のなかに含まれていて、勝手にわたしはここで立ち止まってしまったのである。早くいえばその言葉が一番に「ジン」と来たともいえる。

 

 

 

昔はそんなことを考えたこともなければ感じたこともなかった。歴史の頁(ページ)をめくって、過去は過去としてどこかにひとまず仕舞ってしえば、消えたも同然のように扱う。

 

 

 

ところが、それがあるとき奥の方から出てきて、静かにわたしの前に現れる。気付いたときの驚きはあと戻りができないほどになっていて、奥に仕舞ったときのことなど忘れている。

 

 

 

自分と似た人がいた。世の中にはわたしと似た人が二人いることがわかってくる。当たり前のことだが、それが感動的に自分に迫ってくるのだ。どうして今までそんなことに無意識でいられたのだろうかが不思議なほどに。

 

 

 

探っていくと根拠も証拠もないところに、血脈だけでつながった人が浮かび上がる。似ていることの歓びのようなものがこんこんと湧いてくるのだ。悪いことであっても構わなくて、似ていることが嬉しい。

 

 

このごろは、自分の余命も大目に見てもそんなに多くないことがわかってきたし、それはニンゲンの宿命なのだから許容していて、残り少ない(と言っても運が良ければ長いかもしれないけど)人生で、未練を残さずに生き抜くことが大事だと思っている。

 

語録のところでも引いたのだが未練という言葉は用法が難しい。

 

 

父が私に遺したような影響力を、わたしは子どもに引き継げるのか。

 

この年令になって思うのは、子どもがわたしの何割かを受け継いでくれるのだろうか、という心配のような思いです。DNAは受け継がれるからある程度は似るんですが、わたしなりに一番期待するような要素というのがあって、そういうところがきちんと伝わるかどうかが重要なのです。でも、それも無駄な心配や悩みのうちでしょう。

 

もはや未練はないと言いたいけど、気に掛かることは絶えない。(正直)

 

たぶん、わたしが思っている以上にムスメはわたしにソックリだろうと思う。そしてたぶん、肝心なところも悪いところも隈なく卒なく受け継いでいると思う。

 

それでいいのだ。

2014年11月11日 (火曜日)

鶏天 (とりてん)

鶏天(とりてん)

(9日)

鶏天にハマって。

2014年11月 9日 (日曜日)

アジとブリ

アジとブリ

20141108aji

20141108buri

(ゆうべ)
ちょっと贅沢をした夜だった。

bike-tourist.air-nifty.com > Apple 散歩(写真日記)

2014年11月 8日 (土曜日)

夫婦岩の月・秋の月  ─ 立冬篇

11月7日・立冬

立冬の朝はそれほどに厳しい寒さを感じることなく、家族もふるえることなく朝の挨拶を交わしながら、仕事に出かける支度をして、それこそ、いつもより30分ほども早い列車に乗れるほどのゆとりで家を出た。

外はやや冷え込んでいたけど、立冬だということはすっかり忘れていた。

それよりも朝の5時過ぎに月が西の山に沈むときの激しい輝きように驚いたので、そのあともドキドキが続いているような感じだった。

堀坂山の頂上付近に雲がかかり、月がその雲のなかに沈んでゆくのだ。

太陽のように赤く燃えないのは誰もが知っているし、真っ白に透き通るような満月の天空の姿も知っているのだが、その月が地平に消えるときの激しさというのは、天頂にいるときの物静けさとは全く違っていた。

もちろん物音は立てないのだが、月は、 山に激しく激突して怒りに燃えて山や雲を粉々に叩き割っているようにも見えたのだった。

あっという間に太陽が昇り、月は沈んで、空は朝を迎えた。

この今朝の風景には実は前触れがあって、きのうの夕刻に東の空に昇った真っ白の満月が神秘的で綺麗で、帰りの列車の中から洋上に浮かぶ真白の真っ白の月を見て、今までに見てきた晩秋の満月とはまた違っているなと思っていたばかりだったのだ。

やはり、11月の満月は、美しい。

▼水平線のまんまるの月見ながら汽車に揺られていた
▼十五夜は迷い道への誘いかな

ゆうべはこんなふうにつぶやきを残している。

 ❏

やや冷え込んでいるものの、まだ手袋やコートが欲しいわけではない。

コートを着るのはいつごろだったかな、12月のなかごろであったかななどと考えていると、マフラーを巻いている高校生などがスタスタと駅に向かって歩いていった。(太もも寒そうだった)

高校時代に母が編んでくれたマフラが長くて(もちろんそう要望したのだ)、ぐるぐる巻きにして駅までバイクを飛ばしたのを思い出した。

夫婦岩の月の出

この写真は平成21年12月2日のものです。

2014年11月 7日 (金曜日)

鶏ごぼうごはん

鶏ごぼうごはん

 

秋も深まって、明日は立冬という晩に
鳥ごぼうご飯を作ってくれた。

 

少し前に新聞にのっていてとても美味しそうに見えて
ふたりがそれぞれで新聞を気にかけて珍しく注目をしていたらしく、
2,3日後に何かの拍子にこの御飯の作り方の話が出た。

 

まさに会話の中で突然同時にそのことを言い出そうとして
出会い頭の衝突のようなものだった。

 

そういうことはほかにもときどきあるが、
30年も一緒に暮らしていると嗜好が違っていて
今でも頑固に守っているところがある一方で
自然に似てきているというか歩み寄って新しいモノに仕立てあげているよなものが幾つもある。

 

新しく夫婦を始める子どもたちにこのことを言葉で説明しても
おそらく理解はしてくれまいと思いながら、
来年の春の用意を進めている二人を眺めている。

 

来年からはこんな質素なご飯をときどき食べながら夜を過ごすのだろう。
これからの献立レパートリーに追加されるべきとても嬉しい味飯でした。

2014年11月 5日 (水曜日)

みちのくを芭蕉気取りで旅をする

川柳入選しました(10月)  ステッカー(入選記念)

2014年11月 5日 (水)

これが、記念品で届いたステッカーです。

今日届きました。

実は入選してしまってからホームページをよく見ると

三重県にまつわる旬なお題の川柳」と書いてあるのに気づきまして。
これって10月の募集にも書いてあったっけ?

もしも、関係ない句を出してしまっていたら、赤面。
顔から火が出るほど恥ずかしい。

でも、みなさんのを読むと三重県はあまり関係ないみたいです……。

★みちのくを芭蕉気取りで旅をする

2014年11月 1日 (土曜日)

遺す言葉 「その24」の追加  〔お知らせ〕

【- Walk Don't Run -】  遺す言葉

のなかに、

「その24」

を追加しました。

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