伝記
16日は記念日で、31年目という新しい日常を始めることになる。
父の伝記は、きちんと構想を立てて書き始めた訳ではないので、どうしても纏まりがつかず、書いている自分でさえもう一度読もうという気にはなれないものとなってしまっている。どうしたものか。タイトルだけでも書き直して、要約文を付け足して推敲した方がよいかもしれない。
だがしかし、書いている人のそのときの気持ちというものも大事であるので、伝えるのが目的であるとはいいながらも、伝わらなくてもいい部分も認めてやって、そのときの感情を尊重するのもよかろう。
というわけで、私が書く回想記の主役はあくまでも私の父でありながら、残される人に向けて書き始めたわけで、それは私自身のためのものであったと同時に、私の子どもやツマへの手紙のようなものとも考えた。
私から見ていた父の気持ちを想像して、なおかつ、父の言伝て(ことづて)を掘りこすように私は言葉を残したい。それが私の回想記であり、私の伝言であり、私の伝記となるのだろう。
まだまだ、しばらくの間、考え続ける。
※オヤジという表現は使わないことは前にもどこかで触れた。私の暮らしの中ではオヤジという日常語はなかったのだから。だから、父と書く。または、おとやん、おとう、と書くこともある。
« ごちそう | トップページ | あしたを生みだす ─ 裏窓・号外 »
「【- Walk Don't Run -】」カテゴリの記事
- センター試験 小正月篇(2016.01.16)
- 手が見えて父が落葉の山歩く 飯田龍太(2015.11.14)
- 霜月ときいてぬるめの燗をする (2015.11.02)
- モナリザ(2015.07.30)
- 全力で生きてきたか(2015.03.02)
コメント