明日から良い子になるわと嘘をつく ─ 立春篇
いつも悪い子である。演技をしてきたわけではないが、悪い子のレッテルをもらって五十年以上を生きてきた。
叱られて、棒でシバかれて、足首が腫れ上がり黒沁みができても、二三日すればもとの黙阿弥で腕白坊主の悪たれな倅であった。
悪たれと悪い子は、ここでは少し違っている。
親に反発し、社会に盾突き、流れに逆らって、生きてきた人生も、もはやここまでと観念しかなり柔軟になって反省をする昨今だ。
◎
節分に追い出された鬼は、何処に逃げてゆくのだろうか。追い出された鬼たちが集まって反省会をする場所が必要ではないか。
世の中には悪が満ちている。質が悪いのは、「自分のことを正義だと思っている悪」であろうが、論座が逆さまになれば話も変わる。
いかにも正しい情報が、堂々と飛び交い、いつの間にか正当になっていることが多い現代の情報合戦社会で、惑わされずに生き抜ける人は少ないだろう。
しっかりと掴んだ幸せと豊かさ気分を手放すのが怖いのだろうと思う。原発云々のことだって、それよりも切り離して、新しいエネルギーに目を向けている世界各国の取り組みを知ろうともせずに、ハナから無理だとか夢物語だと言っている人を見ると(その愚かさ加減に)、ニンゲンは今の自分を守り通す本能を持っているのだろうと切実に感じる。
◎
ヒトの心とは無関係に、自然は自己変動を繰り返す。異常気象、地殻変動など、それらは大きな災害をもたらすけれども、いいことだって少しはくれる。
たった一日二日ほど日が短いだけで……という日記を二月の初めに書いたのだが、ヒトの感覚とはそのように当てにならないけど逞しく生き抜くパワーをも備えている。
30日の月があれば31日の月もある。28日もあり29日のときもある。一律30日にした古代エジプト人の着想は素晴らしいけど、凸凹なカレンダーにした現代人もおもしろい。
人生は凸凹で、友情も凸凹だ。
ボクが気にかけているときはアイツは知らんふり。それでいいよ。
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