から井戸
から井戸へ飛そこなひし蛙かな 上島鬼貫
寒さは一番厳しくはあるものの確実に春の手応えのようなものを感じる。そう思わせるのは太陽の光の逞しさであろうか。
「古池や蛙飛びこむ水の音」というおそらくすべての人々が知っているのではないかという芭蕉の俳句が、読者に強烈に余韻として投げかけた「音」というものを私は想像していた。
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音として響かない音と逞しい光が、春にはあるのではないか。そんなぼわ〜としたことを日向ぼっこの陽だまりで考えているときに、鬼貫の俳句が記憶から蘇った。
ここには音はないのだが、耳を澄ませば聞こえる。
井戸は「から」でなくてはならない。
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