宮本輝 三十光年の星たち
ブログに載せてから。
やっぱし、三十歳くらいの若者に読めと言っても無理な気もする。
ほんとうの意味がわかるのは六十歳近くなった人だけかもしれない。
一時期と比べると新作を出すペースが緩やかになって、話の内容も心に突き刺さるようなものが少なくなった。表現も特徴的でない売れっ子小説家の筆のようになったのではないか、と思っていた。
庶民的であったことには変わりがないが、ちょっとその辺の坊主どもが話すようなことを物語の中でも使ったりするところは、年季が入って完成度を上げた小説家の成せる技なのか、それとも一般的爺さんになってきて厚かましさがちょっとだけ出てきたのか。
オヤジギャクという言葉があるが、案外、日常もそんな身近さを身につけておられるのかもしれない。
辛辣だが、ファンとしてそう思ったことがあった。許さないのではない。人並なのかと嘆いたわけでもない。売れすぎたからだと悪言をいう人に同意もしない。この人にはこの人の作風があるのだから。
しかし、道頓堀川を書いていた頃のような、情熱が唸りを上げるような展開もなければ、惚れ込んでしまうような美人をさらりと主人公に当ててしまうような若き色気も、どこか別のところにしまいこんだかのようだ。あの天性と言っても過言にならないほどの、魔力を少しなくていることは間違いない。
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これまで書いてきた数々の新聞小説の作法をおおよそ受け継いだ、宮本輝らしい優等生な作品で、その展開は持ち前の腕力でサバサバと進んでゆく。厚みのある、悪く言えば余分なこともふんだんに取り入れた作品でありながら、きちんと宮本流の眼点から睨む哲学も埋め込んである。
次々と出る新作を読みながら、物語を開拓して組み上げてゆく腕前は一級だと思う。美文で綴る作家であった若き時代と違って、普通になってきた分だけ、面白みがなくなってきたのかもしれなが、私との波長は今のところはぴったしで、蹴躓くこともなくあっと言う間に最終章になってゆく。
何かが物足りなかったような気がして、読後にいくらかのくぐもりのようなものを感じている。感想を思い浮かべながらそれは、魅力的な美人主人公が出てこなかったからだろうか、と思った。
宮本輝は何が言いたかったのだろうか。そう、それは自分であとがきに書いた二三行の一節だ。それでいいのだと思う。輝さん、三十年が経てば自分も変わらねばならないから、今の作風でいいような気がする。ボクはそれで十分に嬉しい。
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(追記)私は30歳のときに娘が生まれて、もうすぐその子も30歳になります。30年違うことをじっくり考えていたころがありました。子どもが生まれる時から30年を遡った私が0歳だった時のことを何度も思い浮かべました。父も母も若く、社会が貧しかった時代です。戦後と呼ばれる世紀でした。
この小説は私が思ったのと全く同じ30年という年を投げかけてくれました。偶然ではなかったのだと思います。あと30年。やはり生きなくてはならない。私の使命だと思いました。
平成25年12月13日購入
宮本輝 三十光年の星たち
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