父の日記
おともさんが つれづれ (10月15日)という日記のなかで
「父の日記を読ませてもらった。父が日記をつけていたとは知らなかった。」
と書き出している。
親と子どもというのはギャップを持った関係であることが多い、と私は常々感じているので、その日記の先を読みながら、子どもの視点を確かめているような気持ちになってくる。
父や母というものはその正体をなかなか理解されないものだと思う。正体というと曖昧だが、それは、子どもを思う心(それは心配のこともあれば、将来の夢のこともあろう)であるとか、子どもの日々の行動を見詰める・気にかける視線であるとか、連想する着想点・着眼点であるとか、様々な感情要素としての集合体のようなものとして考えている。
子どもの側からの言い分ではおそらく、(自分は)父や母が子を思う心はよく理解しているしいつも感謝をしているのだから……、となるのだが、その理解認識の程度に細やかなギャップがある。
自分が父や母になって子どもを持ち、たぶん孫を持つようになって、8割ほどの人がそのことを理解できるのだろう。それまでは教科書で過去の歴史を学んだのと同じ程度であると考えてよく、押しなべて言えば、子どもは考えているほどに親のことを気にしていない。気づき始めるのは死んでからのことが多い。
もうひとつ言えば、何も、それを悪いとか残念だとか、改善課題だといっているのではなく、それでいいのだと考えて良い。
何故なら、そんなことはハナから当たり前のことで、何人もの子どもがあった時代には尚更のこと、末っ子に近づくにつれ親とは早々に死に別れる運命を背負っていたのだし、愛情の度数とは別に自立心も抱いていた。つまり、ずっと昔からそうだったのだから、そのままで良いのだが(そんなことが言いたくて書きだしたのではなかった。大きく脱線してしまった。)
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子どもというものは父や母の日記や行動や考えにはあまり感心を持たないことが多い例をこれまでにもいくつか見てきた。友人が(母という立場で)ブログで日記を書いているのをムスメさんは(子どもという立場で)あまり感心を持たないし、熱心に読むことはあまりしない傾向があると感じてきた。しかし、その逆は全く成り立たなくて、母は可能性を追求するようにムスメのブログやツイッターを必死で追っていた。
そんなもんでしょ、と言ったらオシマイである。
ヒトは、このギャップの人生を送り、失くしてから反省するのである。あまり冷めてしまって物事を捉えてもいけないが、何事も理屈どおりに考えて成し遂げられることは世の中にも人生にも人間関係にも稀であって、ハナからそういうものに必死になって立ち向かうことを考えるのはよしたほうがいい……と指南書めいたことも、ほんとうはお節介なことなのかもしれない。
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私はここで【- Walk Don't Run -】遺す言葉というページを書き続けて、それを書くためにこのブログをやっているのだが、このページは誰も読みにやって来ないことがわかっている。もちろん、他人が読んでも面白くないし、感心も湧かないだろう。ではわたしが死んでから誰かが読むかというと、可能性のあるのは家族だけであるが、その可能性もほとんどないだろう。
では、何故書くのか。
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わたしは父の日記をこの「遺す言葉」を書くためにどうしても読みたいと思ったことがあった。母を訪ねて押入れや倉庫や蔵までも調べたが、残っていなかった。筆跡さえも殆ど無かった。
わたしはなにかその幻のようなものを追い求めるために書いているのかもしれない。このごろ時々そう思う。
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