温度差 のことを考え続けている
温度差のことを考え続けている。
昔からの友人がいる。
遠く離れていたときは手紙を書いた。そのうちPCメールになって、近ごろは携帯メールになっている。返事は殆ど来たことがない。
どんどんとボクと彼の距離が遠ざかっているような気がする、10歳あまりからの友だちだからというか、あの頃の損得を超えた人間味のわかる友だちだからこそ、返事が来なくてもオシマイにはならない。
二十歳の頃の友だちがいる。同じようにPCのメールからケータイのメールへと変化している。社会人になる前の青春時代を共に送った友だちだ。
こいつ達とも遠ざかってゆく。
遠ざかってしまっていいのかもしれない。彼らには家庭があり身近な社会がある。子育てにも忙しかろう。孫に夢中の人もいる。昔ながらのスタイルを今さら共有することは出来ないし、イデオロギーも変化しているだろう。
これまで誰とも、幸せ感というものについて、さほど語ったことがなかった。それは、夫婦だって同じ事なのだけど、私たち夫婦は98%の不一致の上で2%の接点でこうして毎日を暮らしている。
「豊かさと満足度」のことについてこれまでにもここで何度か書いてきたが、そのことにおいて、二人で意見を交わしたり衝突させたことはない。衝突してたがえる事になったとしても喧嘩にはならない。まして、別居にもならなければ離婚にもならない。
様々なものをデジタル的に捉えてフィルタリングして、スレッショールドを決めて分類していったとしても、そのお互いの中に存在する「温度差」が大きなデシジョンとなることがある。
最後はひとりで死ぬ。
その1歩手前は、家族といる。
さらにその一歩手前は、日常の傍にいる人といる。
心が通じ合えるとか信じられるとか何かを共有できるというような幸せ感をひとまず脇に置いておき、温度差を肌で感じ取ってみる。
あらゆるものが進化する世紀で生きている。
温度差を吸収することの出来ない機構が当たり前になりつつあるから、社会がバランスを失ってゆく。
デジタル化された無数のパラメータの向こうにみえるデジタルフィルタのゴミのようなもの。温度差も高速フーリエ変換する概念、が必要になってくる。
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