お酒のこと
お酒は、おそらくそれほど好きではなかったと思う。
したがって、飲み意地のようなものは一切なかったし、変わったお酒を飲みたがる訳でもなかった。飲めない日が続いても、無性に欲しがることもなかった。つまりそれほどお酒は好きではなかった。
だが、夏の暑い日に旨そうにノドを鳴らしてビールを飲んでいた姿を思い出す。旨いからといってとことん飲み尽くすということもしない。雰囲気もあるのだろうが、暑いからグビグビと飲む。満足したらそこでおしまい。
珍しいものがあったらケーキでも饅頭でも興味を示すのと同じように、お酒も珍しいものを見ると嘗める程度に飲んでみることはした。
少し飲めば、仄かに酔うたのだろう。それで満足な人だったのだ。
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モノの程度を弁えているようにも思えるが、そんな奥深いことを理屈で持っている訳ではなく、感覚でその程度でオシマイにしておくことを美徳としていた。
誰に教えられた訳でもなかったのだろう。しかし、根っから大人しい人だったので、そういう人柄となったのではないか。
お酒の席で、ほっかむりをしてドジョウすくいをするのが上手だったという。母がその特技のことを気に入っているようで、長い付き合いのある寄り合いなどで、その芸を見せていたときの思い出話をしてくれたことがあった。話す母の表情も素晴らしく嬉しそうなのが印象深い。
私は一度も見たことがなかったが、私の前では頼んでもしてくれなかっただろうな。
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前にも書いたが、 人に憎まれるとか嫌われるとか、好き嫌いの対象にされるということもなかった。もちろん、他人の悪口を言うとか避難をすることもしなかった。
考えを持っていなかったという訳でもなかろうが、自分の出る幕ではないと考えて控えている人だった。
お酒のことについてこの人との思い出を書こうとしても何も出てこない。夕飯のときに改めてジョッキで乾杯をしたこともない。熱燗徳利を注いであげたこともない。
お酒の思い出ではないのだが、京都から引っ越しの荷物をトラックに積んで帰ってくるとき、夕飯を食べるために国道沿いのレストランに入りステーキを注文した。京都のお父さんも一緒だったこともあって、うちの父がステーキなど食えるかどうかを心配した。例えばマナーであるとかフォークの使い回しは大丈夫かと心配したのだ。
ところが、出てきたステーキを、私も顔負けなくらい上品でしかも慣れた手つきでさらっと食べてしまった。どこでテーブルマナーを習ったのだろうか。
本人に尋ねる機会もなくそのままになっていたが、後になって母が言うには、あの人はいろんなところに顔も出して、初めてのときに分からなければ恥ずかしいとかいう感覚なしに聞くからな、と話してくれた。
「聞くいっときの恥、聞かぬは一生の恥」
口癖のようにその言葉をよく言った。聞いても良いが、何遍も聞くな。一回聞いたら自分のものに吸収して、「一を聞いたら十を知れ」とも言った。何事にもそういうスマートな生き方を旨としていたのではないかと、今更ながら思う。
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