為せば成る成さねばならぬ何事も
ぐずぐずしている私を見かねて、父はよく「為せば成る成さねばならぬ何事も」と言った。それは私への小言ではなく、自分に対する鼓舞であったのかもしれない。今も昔もわたしが自分の行動力のなさを悔やんだり情けないと思うときに、必ず父の口にしたこの言葉を思い出す。
父の人物像としては、横着な側面を持ちながらも、実は石橋を叩いて渡ろうとする側面もあった。
・石橋を叩いて壊す迷い人
・うじうじと悩んで暮れる思案橋
・丹念に噛み砕いて味を選る
これは私の性格を3句に纏めたもので、プラスな点ではなく、総じて優柔不断であることを表している。口先だけで実行力が伴わないため父親から見れば、なかなか成功作品が出てこないことに地団駄を踏んでいたのだろう。
しかしながら、父の指摘は厳しいものではなく、私は放任主義で育てられた。黙ってモノを完成させてゆく姿だけを見せ続けて手本としようとした。
「一を見て十を知る」「見てわからんものは聞いてもわからん」と呟き、一から十まで回りくどく説明することを嫌って、黙って見ていなさいと言った。思い付いたら直ぐ実行することが大事であり、考えてから行うことよりも、素早く何事も行うことのほうに大きな長所あるのだ、とも考えていたようだ。
そんな考え方の一部が私にも伝染していて、特に私が歳を食ってからは、そういう考え方が最も似てきた点ではないかとさえ感じる。
為せば成る成さねばならぬ何事も。その言葉の本当の意味は少し違うかもしれないが、とにかくあの人は成功作品も(失敗作品も)たくさんあったと思う。プランだけで消えてしまうようなことは非常に少なかった。
❤
「(猫が通る)玄関の自動扉機能」は面白い発明で、昭和30年代にそんなものが、山深い田舎の家にあったということ自体が如何にも私の父らしい。
原理は小学生の夏休み工作と同じ程度の発想で、そのころ農家の人がお米を計るのに使う天秤秤の重しをガラガラと開けるガラス戸に紐で取り付けただけのもので、猫が開けても走り去っても自動で戸が閉まるというモノだった。
このガラス戸にはもうひとつオモシロイ仕掛けがあって、来客があると家の中でブザーが(今でいうと玄関のピンポンが)鳴るというビックリな機能もあった。この仕掛けも初めての来客の方を驚かせたものだ。
赤外線や超音波のセンサーなどを応用した装置がこの世に全くない時代に、自動で扉が閉まったり、人が来たら合図を出す機能を家に備えようと考えた人がいたこと、そしてそれを自分で作ってしまった人が我が家にいた。
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