月はなく星がひとつで朝明ける 小雪篇
月はなく星がひとつで朝明ける
そんなことばがふっと浮かんで、まだ明けきらぬ空をしばらく見上げていた。(20日)
鮮やかな朝焼けであるとかすがすがしい空気に感動する朝とは違って何も感動するわけでもないのだが、日々遅くなっゆく日の出時刻を戒めるように明るい星が南西の空にいた。たったひとつ残されていた。
何もない空をみながら新聞受けまで歩きガウンの襟を直しながらまた玄関まで小走りに駆ける。
部屋に戻って暦を繰って22日が小雪と確認すると、この日に京都に行く予定にしていることが、ちょっと嬉しくなる。京都と小雪に何の関連もないのだが、このごろはそれほど頻繁に帰らなくなったから単に久々なのでワクワクするのだろうか。
トロッコ列車が人を呼ぶようになり、年々、嵯峨の駅前も人がやってくるようになって、おまけに駅舎も名前も新しくなって、私たちが暮らした庶民の街並みは消えつつあるのが寂しい。ツマもそのことを口には出さぬが寂しく思っているようで、子どものころに通った嵐山小学校の前を通るたびに懐かしがるような歳になってしまった。
週末に向かってお天気が下り坂ということで、バックに折りたたみ傘を潜ませて、8時過ぎの京都行きに乗った。平日であるのに混雑しているもようで、3人がまとめて座れるシートがなく、テーブル席にグループ扱いで乗って行けることになった。6人ほど座れるので高級なラウンジに腰かけているような気分だ。窓から見える視線ラインがちょうどホームの高さということもあって、冬の装いのおしゃれな足元を眺めながら缶コーヒーを飲み新聞を広げる。
京都駅から嵯峨駅(現在は嵯峨嵐山駅)に行く各駅停車も11時ころだというのに通路にまで立つ人があふれている。隣国からの観光のグループが楽しそうに声高らかに話している。美人ぞろいなのでちらりちらりと振り向いてしまう。
嵐山から天竜寺を抜けて宝厳院の門前にある嵯峨野という湯豆腐屋さんにお昼を食べに行く。2,3度来ているが、1時間以上の待ち時間だったので、正午になるまでに入れるように少し急いだ。
祇王寺のことは前の日記に書いたし、その中で昔の嵐電の写真にも跳べるようにしておいたのでので、詳しいことは省略する。
22日は小雪。薄日が差すと汗ばむほどにもなる日であったが、日が暮れるとさすがに京都らしくしっとりと冷え込んだ。
ムスメが生まれる予定もないころに、愉しみながら子どもの名前を幾つも考えていた日があって、その中に「小雪」という名前もあったことを毎年この日に思い出す。
嵯峨野 にて
« 城下町霜も間近の石畳み 十一月中旬篇 | トップページ | ユーミン »
「小雪篇」カテゴリの記事
- 最後の言葉 ─ 小雪篇(2015.11.23)
- コートと手袋 ── 小雪篇(2014.11.22)
- 月はなく星がひとつで朝明ける 小雪篇(2012.11.24)
- 銀マド>時雨の冬近く…か (小雪篇)(2004.11.22)
コメント