消えてゆくもの
すっかり秋になりまして、先日から少し早いかなと思いながらコタツを出しました。 この季節から冬の間は、すっぽり入って食後にうたた寝をするのが日課です。テレビを見ませんので、バックグラウンドで家族の見るテレビが鳴っています。
ちかごろは、お酒も控えてと自分に厳しくしようと思うものの、家族がそろうと3人でも賑やかな我が家ですので、ついつい飲み過ぎてしまいます。ツマに内緒でウイスキーを足して毎日小言を言われております。
呟きと不平が混じったような「14%という数字」という日記を書いたにも関わらず、みなさんから多くの便りをいただき感謝をしています。
砂上の楼閣の如く築かれているネットワークの上の人間関係。地に足が着かないとか根っ子のない人間関係と言いながらも、そんなに簡単にも斬り捨てることはできないとも思います。
mixi も「17音コミュ」とメッセージ機能、そして、気まぐれに書く日記については、暫く続けようかと思っています。でも契約をしているとどうしても毎日見てしまうので、麻薬みたいでそれが嫌だと感じていますから、いつ断ち切ると言い出すか自分でも予測がつかない。
もちろん、ネットといえども心をさらけ出し、また、さらけ出した心をケアきてくれたり、刺激を与えて元気を取り戻させてくれた方々も多く、ヒントをくれたりした人にはほんと感謝しております。
取るに足らない愚かな人間であるものの、数々の支えを捧げてもらいながら、それなりの哲学を刺激してもらい持ち続け、決して恥ずかしくない人生を送ってくることができたのも、身の回りの人々のおかげであると思います。
自分ひとりで暴走したり、思想的にというと危ない書き方ですが、家族運営方針みたいなもので、ぽたりぽたりと脱線したり、のらりくらりとしているところがありますものの、もういつあの世に逝ってもよろしい準備は整った次第です。
そんな訳ですので、ブログでは「遺す言葉」も書き始めています。これは遺言ではありません。自伝でもありません。私の周りの人々の恐ろしいほどの素晴らしさを書き留めよう、人の生きる哲学とはどうあるべきかを考えようと思い、書き残すことを試みています。結論などあってないようなもの。脱線という言葉さえも成り立たないほど漠然とした回想録です。
天空のラピュタという映画が暗示した地に着かない夢のようなものを追うこと、あれにも少し通ずるような熱狂はもうこの辺でやめようかと思っています。
社会の数々の便利さに翻弄されるのではなく、スローに生きた人々の言いたかったことを、自分たちで工夫を重ねて編み出してきたその設計図のようなものの余白に隠れて計算をした筆算を辿るように、私の人生を辿って浮き彫りにすることはできないものか。このごろはそんなことばかりを考えています。
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