台風のなかで考える
台風が去って静かになりました。
『いよいよローカルの時代』とういう本。面白そうですね。
私も読みたいなと思いました。でも図書館にないので困ったの。
そこで、書評を書いた広井良典さんの本が「ちくま」の失書から出ているので、それ読もうかなと思ってます。
FACEBOOKなんて
「無いのも、それはそれで気楽でまぁいいっかという感じに」
なって来ましたか。いい傾向ですね。
そうです。現代人は、便利さや情報に侵されています。
何でも文明に頼るとするし、災害にあったとしても、どこまでも文明を使おうとする。
地震で破壊的な状態になっているだろう時でも、ケータイでの伝言ダイヤルを使おうとして広めているんですからね。
それよりも、泥水を飲んでもお腹が痛くならないような図太い神経と丈夫な胃袋を普段から鍛錬しておくのがいいと思いませんか。
江戸時代の旅人は、近所の小さな川でさえ簡単には超えられなかった。
もしも地震が来たら、テレパシーに準じるような深い心の繋がりと、山に上げる狼煙のようなものを使うのがいいと思う。まじめにそう考えていますが、誰も本気に信じてくれません。
子供の頃は、台風が来ると、必ず停電でした。ウンコを担ぐ桶を家の土間に置き、家の戸はすべて戸板で蓋をしてしまいました。今は、そういう文化は消えてなくなりました。
ヒトは、便利に溺れて豊かさ感覚に頭を侵されているのに、形のないものが生み出した情報のようなものやお金が生み出したあぶくのようなものに縋りつこうとしてる。
人の手が生み出したものや自然と共存するようなもので、合理性とかとは程遠いようなものを、もっと大切にしなくてはならないと思います。
そんなことを考えながら台風が過ぎてゆくのを見送っておりました。
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(富山のTさんへのメールから)
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