向田邦子 あ・うん - 一番大事なことは、人に言わないものだということも判った
この作品を読み始める前と、読み終わったあととで、これほどまでに装丁の味わいの違う作品も少ないかもしれない。
向田さんがどんな顔をしながら、このすばらしい装丁を眺めつつ、出来上がった作品をドラマにしていったのか。そんなことまで想像させてくれる素晴らしい絵と文字ですね。
あ・うん。この文字と、それを声に出して読んだ響きだけで、読後の感想がじわりじわりと私自身の心の襞に染み込んでくるようです。
向田さん。この人の心の中や、ピリッと強そうな意思や、実はとても弱くて甘いかもしれない女の側面など触れてみたいと切実に思うような作品です。
この作品には、いくつものシーンがあります。しかしそれは、どこまで考えてもドラマでして、限りなく私たちの心に近くにある非現実。頭の中でしかありえない日常です。しかしそれを映し出した現実のようにしてしまったのです。でも、作り話でよかったわ、とほっとしてみたり、どこまでも自分の心の痛みにぴったし当てはまったりして、そういうところが読後感を書こうとする人を困らせる。
青りんごの一節で、
「一番大事なことは、人に言わないものだということも判った」
なんてさり気なく書いてくれるけど、もうカラダはぶるぶると震えるほど共振していました。時代を超えても、こういう普遍性をストーリーにするところが、誰にも真似ができないところです。
舞台は戦前で、これから戦争に突入する日本だった。30年ほど前に発表されたときは、戦争の現実を知っている人が半分以上残っていたこともあるが、21世紀になった今はもうこのドラマの時代を知る人はほとんどいなくなってしまった。そういう点では、いつかこの物語も過去のものになり、古典となってゆくときがくるのだろうが、廃れてゆく真っ最中の今の時期にこの作品を読む人たちは、どのように感じているのだろうか。
30年前は身近だったことが、今は書物の上だけでドラマとなっている。たとえば平成生まれの人にはどう映るのだろうか。
砂埃の立つ道路、ガラガラと開ける引き戸、土の踏み固められた土間やその奥に続く三和土。土間の玄関が想像できることや井戸水を手水に汲んでいる姿が思い浮かぶ人は少なくなってしまったこの時代にも確かに通じる小説であって、ファンとしてはこの上なく嬉しいのであるが、少しずつ歴史小説のようになっていてしまうのが、めちゃめちゃ寂しい。
だが、小説の背景は時代劇ではなく、現代であって、その限りなく現代に近い戦争中という時代に、人々の実社会で劇的に生きていた時代だった。そんな中での人々の会話がこの作品にはあり、あの時代の豊かさの基準の上での幸せ感が綴られている。
向田さんが作品にしてしまうと、ほとんどがドラマのセリフのように思えてしまうのは仕方がない。向田さん許してください。でも、ほんとうはこういう縦横に切ってしまったようなドラマの中にある、切り口のようなものを向田さんは小説にしたかったのだろうと思う。読んでいてその詩的で劇的展開の手法に痺れてしまう。
つまり、一見、作られた温もりのような小説たちも、ほんとうは必然であって、酔いしれるような作品も多いように思う。
芋俵のなかで
みすみす実らないと判ってたって、人は惚れるんだよ
言葉にしてしまえば、誰でも書けるようなことを、読者の中にシーンとして与えてくれる。そっと、人の影と影を置いて、活字を読む人のまぶたに蘇らせる。
どうして、あれほどまでに、男の心、女の心をスパッと書けるのだろうか。向田さんは、独り身だったのに、あれほどまでに読める心。いったいどこからあの繊細な観察眼や幕の向こうて動く心を見通すことができたのだろうか。
作品は、私たちが忘れかけている友情であり愛情をモチーフに、ささやかな日常のまさに「あ・うん」をものがたりにしている。
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