遠慮がちに
特別な予定などない明日でもというブログがあります。 まあ、今までにもふらっとネットを彷徨っていて出会って、悲しいことに知らない間に姿を消してしまった方もあるので、この作者のkomukanaさんもいつか、会えないままに終わってしまうのかもしれないと思うと、ここにお借りしてくるのも、これからたびたびお借りするかもしれないことも、申し訳ないような気がするし、また自分のブログとしても不完全だと思ったことがあった。
しかし、現代ほどネットが自然消滅的なものを美学として、一時的であれその美しさを燃やそうというのであるならば、私だってここで燃えて尽きてしまってもそれはひとつの完結の姿なのかもしれない。
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遠慮がち差し出す君の左手を握る加減がまだわからずに 香村かな
2011-11-15
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この握られた手はいつまで握ったままで、二人はどこに行ったのだろう。
そんな野暮なことを少し考えたのだが、そのあとで、ふと、私の過去にこのような遠慮というものが存在したことがあっただろうか、とも思った。
人を好きになれば、我慢できずに「すき」といい、別れたくなければ「いやだ」と叫ぶ。
もしも「遠慮がち」に生きていたら、どうなったのだろう。ふと、そう思う。
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