叶わぬもの その2
叶わぬもの を書いて、静かな余韻が訪れる。
わたしは、少しずつ昔へ昔へと引きずり戻されてゆくのだ。
輝かしいときもあれば、墨色に沈んだときもある。
浮き沈みを繰り返しながら、今もこうして得体のしれない時空を浮遊している。
正体が不明であればあるほど、もしかしたら、自己満足のできる作品が仕上がるのかもしれない。
しかし、人はそんなものなど、これっぽっちも評価しない。
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ふとしたことで、1978年からの4年間に出したはがきを再び見た。
それは、万年筆でかいた年賀のあいさつ文で、中学時代に特別に仲良くしていた女の子で、高校時代の空白の時間を経て大学時代にときどき手紙を書いていたのだった。
手紙にはいつも、東京を離れていつかは生まれ故郷に帰りたいとか、就職を決めたときには、このまま京都かもしれない、などと書いている。
十九歳から二十三歳までの手紙をみて驚くことは、今とまったく字の下手さ加減が変わっていないこと、文体までも似ているような気がすることだった。
わたしにとったら宝のような手紙をその人は処分に困っているようだったので、写真に撮ってメールで送ってもらって見ることができた。
棄ててもらおう。
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話を、「叶わぬもの」に戻そう。
▼一度だけ貴方を憎んだことがある
ここには憎んだ理由も書いてなければ、誰を憎んだかにも触れていない。
貴方が誰かも分からない。
本当に1度だけだったのか。
2度と会わない人だったのか。
会えなかったために憎み続けることができなかったのか。
▼あの頃は海がみたいが口癖で
さて、どこの海だったのかな。
誰かと見に行きたいと願っていたのだろうか。
海は何をわたしに語りかけてくれたのだろうか。
▼君の住む入江の街の朝が好き
そんな入り江にわたしが立ったことが果たしてあったのだろうか。
朝日を見ながらわたしは無言で居るのか、居られるわけもない激しい衝動。
静かな凪の中を漁船が外海へと出てゆく。
そんな静かな風景をドラマのように夢見るだけだった。
君が好き。そう言いたかったのだ。
▼いつまでもナイショでいいの好きなこと
叶わぬものは、それならそれで
そっといつか忘れてしまうまで、置き去りにするしかないよね。
自分で自分に、
ナイショなんだからといい続けて
叶わぬものは、忘れてゆくのだろうと思う。
4つ書き残した十七音のつぶやきも
きっと十年後くらいには、
その意味すらも、思い出せなくなっているような気がする。
新しいロケ地で新しいドラマを撮り始めなきゃ行けないよ、と自分に言い聞かせてみる。
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