春先はもぞもぞする。
少し陽気が穏やかになってきたので、自室に居てパソコンの前に座ることが増えてきました。
青空を見ながら、窓の桟の前を鳥がすっと通り過ぎると、春の到来を目で感じますね。
昨日は雪が降りました。けれども春の息吹が満ちていた。
どこかにも書きましたが、宮本輝の作品の感想をすべて書こうと思えば寿命が尽きます。その時に書いておけばよかったのに、もう一度読み返すと浸ってしまうので浮き上がってこれなくなる。もう一度読まなければその隅々までもは思い出せないし。
忘れることも大事なんだから、と言い聞かせながら、ハズレくじは引きたくないぞと思いつつ、まだ読んだことのない作品に手を伸ばしてみたり、古典を読んでみたり。時には歴史解説であったり、専門の数理科学の本であったり。でも数学の本はすぐ飽きてしまう。
それでも、宮本輝を読み返した理由は、何故、ロカ岬だったのか、その時に何を私は思っていたのか、タイムスリップしたかったからかもしれません。
関わりのある方のところにお立ち寄りして、静かに引き上げてこようと思っているのですが、もしかしたら何か通じるものを感じあいながらひと言でも言葉が交わせればという期待がある。昔、電車の中で隣の席の人に話しかけたこともあったけど、おそらく二人とも電車を降りた後の余韻を最高に楽しめたはずだ。いいえ、今はそんなおおらかな時代じゃないかもしれないな。
mixiも随分と変わってきてしまって、が近頃の口癖。
この中をいろんなものを求めながらさまよう人たちそのものには大きな変化はないにしても、たとえばそこ流れる水の温もりや街の風情が変わってしまうと全然違う街に見えるように、私の周りを通りかかる人たちもちょっとかわってしまっているのかもしれない。
宮本輝のファンは、変わらないのだな。
そんなことを思いました。
ファンだというだけで、マイミクになってそれきり音沙汰もないけど、揺るぎない安心感と静かに残っている足跡だけで、大切なマイミクを(おそらく)感じあっているような方たち。
別に友だち(マイミク)じゃなくてもいいのにね。
そんなこんなで、永年やっていた読書部も畳みますと宣言して、それでも何も言ってこないのに、やっぱし、ロカ岬の話に足跡を残してる。
きっと、
(会うことなど絶対にないと思うが)
実際にあったとしても話題に困ってしまうのだろうな。
まるでラジオの時代にラジオドラマのヒロインを夢見て追いかけたころのような優しさを、今の緩やかになろうとする暮らしの中に求めているのかもしれないな、とも思う。
春先ってのは、もぞもぞする。
身体のどこかだったり、気持ちだったり、景色だったり。
空気だったり、水だったり、音も…かもしれない。
と、そんなことを考えていたのだが、
こんなことをブログに書くために走り書きして
これはあなたへ届けてようとした手紙だったのかもしれないと
苦笑いしながら、考えている。
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