飛鳥 - を歩きながら考える
飛鳥を歩いたときに、少しこの時代のことを考えている。
まあ、私の口癖であるのだが、夫婦でこんな話はほとんどしないなあ。
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飛鳥時代の人たちの日常会話を想像したことある?
幸せとか豊かという言葉はなかったなー、多分。
「環境」という言葉はない。
「宇宙」という概念もない。
「心臓」とか「命」ということもまだ言葉になっていないだろう。
もしかしたら、幸せという概念もなかったかもしれない。
ほとんど、犬やサルたちの会話に似ていたかも。
感情と感覚くらいを言葉にできただけで、文字が使われ始めてモノの名前を呼ぶ習慣がつき始めたころや。
しかし、
そのころでも、戦や争いはあったんやな。
でも、神に対する畏敬も大きかった。
人類は,言葉と文明と知識を技術を得て、畏敬の念を忘れてゆくのよ。
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橘寺、川原寺に行けなかったけど、あの付近に佇むと、人間の生身の原点に戻れるような感じがするわ。
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