吉田修一 悪人(上・下)
老眼鏡が無いので
なかなか読み進まないとぼやきながら、
やっと読み終えました。
一気に読まないからといってオモロク無い、というわけではないです。
ぶつ切りでゆっくり読める、優しい作品と思います。
東野圭吾を読んだときよりは、味があった。
彼の作品は「手紙」を読んで、それ以降手をつけていないけど、
この人の作品はまた何か読むかも。(少し)
そんな感じ。
感想は(上)に書きました。
吉田修一
悪人(上)(下)
悪という言葉が、時には烈しく刺激的過ぎると思う。その言葉を上手に使ったといえば営業的成功といえようが、文芸を純粋に職業としているのだからそれななかっただろうと思う。
悪人という言葉を探るために、殺人と純愛と悪からの逃避を重ね合わせて物語を作るのだ。
*
「逃げる」とはどういうことか。その心理とはどのようにして生まれるのか。作者にもそのような実体験があるとは思えないし、まして「殺人」の経験があるわけでも無いだろう。しかし、「逃げる」「殺す」ということを、ドラマから離れて自分のまぶたに浮かべて考えて、悲劇を共鳴させていた。
人(ヒト)は、哀しい生き物だとつくづく思う。自分の意思を通せば必ず壁にぶつかり、そこで間違いなく妥協なり屈辱を味わう。そうでなかったとしても、諦めが待ってるのではないか。だとすると、諦めるというある種の不幸せを目指して生きることは、幸福を目指して生きるはずだった自分の夢に逆らうことになる。
逆らうのは嫌だ。
だから、世の中を生き抜くのは難しい。
ドキュメント・ルポのタッチで、特に後半からそのような色合いで、物語は進む。しかし、小説なのだから、新聞のルポを読むような雰囲気はない。昔に読んだ「東電OL殺人事件」(佐野眞一)のように、事実の物語ではない。あの作品は佐野眞一がすっかり詩的なドラマ仕立てにしてしまったルポ(としては最低の作品)だが、この作品は、小説を佐野風・ルポ風に書かれたといっても良いかもしれない。そういう意味でリアリティがあって、面白い作品だったといえる。
しかし、なあ。
やり場のない屈折感が残る。
残らなくては作品の持ち味がなかったともいえようが。
*
作者は最後の一行で
─ その悪人を、私が勝手に好きになってしもうただけなんです。ねぇ?そうなんですよね?
と、書く。
これを書くために何ヶ月にもわたり連載をしたとは思えないが、メインテーマにあったことは間違いない。
ありふれているといわれようが、私はこういうメジャーコードで終わるような音楽のような結末は好きだ。
新聞連載中はそれほど目立った話題でもなく、のらりくらりと眼を通し真剣に読まなかった私だから、煌びやかさもなかっただろうと思う。あとから上手に味付けしたとも言えなくはないが、地味な作品だったと思う。(しかし、改めて読むと新聞小説の特徴が非常に顕著に出ていて面白い。毎日読まなかった私が悪かったな)
映画化で話題を呼んだらしい。出演者の写真が文庫本にカバーとして巻いてあったが、さほど興味もなく棄ててしまったのだけれど、ホームページでPRを少し見るとイメージに合う出演者が多いようだ。さぞかし映画は面白かったのだろう。
ただ、小説は活字だ。
その活字で女の心や弱い人間の気持ちを或いは醜い人の心理を書いているのだから、映像は別文化だと思う。映像にするにはその心理表現を映像化する技術が必要だし、見るほうはそれを読み取るだけの力も必要だろう。
もしもこのストーリーを作品にするならば佐野眞一に書かせて、甘く切ないタッチのほうがいいのかもしれない。だが、吉田修一のペンはルポ風にもなりきれていない優しさがあるから、なかなか、うまくいかないものだ。
確かに純愛劇なのかもしれないが、社会的な問題提起もしっかりとしている。
─ 大切な人もおらん人間が多すぎったい。
現代社会に存在している「愛」というものも見つめている。
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