熊野古道「ツヅラト峠」
街道という言葉には人々の生活のなりわいの他にも、暮らしの裏に隠れた信仰や祈りの思いが隠されています。そう思いませんか? 松阪市の城跡内にある歴史民俗資料館の企画展示「祈りと街道」で見た道しるべの石塔の素朴さの興奮冷めやらぬ間に、熊野古道へと出向くことにしました。
熊野古道。
いにしえの巡礼人が踏みしめた街道。
多くの人が祈りを込めて、あるいは行商人が隣の村へと峠を越えた峠道がいくつか歴史街道として残っています。
9時26分、紀勢本線(伊勢市行) の列車が松阪駅を出発します。紀伊長島までの小さな旅の始まりでした。紀伊長島には 10時47分に到着します。料金は1110円とお手ごろ。
さて、駅前は人影も疎らで、ツヅラト峠の登り口に向かって歩いてゆく人影はまったく見当たりません。道案内の看板も、決して親切とは言いがたく、天性の方位針を持ち合わせた私でさえ迷いそうです。もちろん、そのくらい寂れているほうが私の好みです。
ツヅラト峠の登り口までは民家の間を行く舗装道路を歩きます。約4キロほど。車が横を走りゆきますので、排気ガスと風圧に悩まされながらとなります。
登山口が近づくと、やまあいの水田で啼くカエルの声が谷にこだましているのが聞こえはじめます。ウグイスが上手にさえずります。3月ころは下手くそだったのに5月にもなると下手くそなウグイスはいませんね。ヒヨドリ、ムクドリなど何種類もの鳴き声が聞こえてくるけど、その名前は何ひとつわからないありさまでお恥ずかしい。カシラダカとスズメの区別もつかない私ですし。
そんなことを思いながら平地を1時間あまり歩いて、11時半過ぎから登山道に入ることになりました。立派な石標が建っています。
「ツヅラト」という名前からも推測できるように「九十九折」の峠道です。
2万5千分の1の地図では
ココ
に当たります。標高350メートルあまり。ご覧のように最後の最後で100メートルほどを一気に登ります。
多くの人が紀伊長島のほうからの登りが長くてきついと、教えてくださいましたが、でも、昔のように健脚を誇れない。軽くて短い下りを選択して海側から登ることにしました。
ヒノキが綺麗に植林されて、枝打ちも施され整然と並んでいる林と、コナラなどブナ科の植物がまだら模様の黄緑色をなす斜面を、登山道は右に左にと曲がりながら上へと続きます。小さな谷にさらさらと流れる水で手を洗い首筋を流れる汗を拭きます。
一部、石畳の登山道が残っています。情緒があるなあ、と思いながら、峠の姿も見えない林の中を登ります。直射日光が差し込まないのが幸いかもしれません。しかしやがて太平洋が一望できるようになります。そこで少し休んだあとは、最後の力を振り絞ると峠に着きます。最後の一歩で思わず「ヨイショ」と言ってしまいました。
登山口の石畳に足を踏み入れてから1時間ほどです。峠には東屋があり充分に休憩をとりました。旧大内山村側・梅ケ谷の集落までは緩やかな下りです。まあ、山菜取りに出かけたようなお気楽な気分で下ります。
こちら側からは軽装の人が目立ちます。ピストンで帰ってゆくのでしょうね。お年よりも目立つけど何よりも二十歳から三十歳ほどの、街でしか見かけないような若い女性たちが列を成して登ってくるのに出会うから驚きます。メジャーな峠なんだなとそのときに気付いたわけです。
およそ9キロの行程を4時間半ほどで歩いてきました。梅ケ谷の駅では1時間以上、帰りのJRを待ちましたが、ホームのベンチで横になっていたらすぐに過ぎてゆきました。贅沢な散歩ができました。 【5月3日】
(写真は現像してからですから未定です)
| 2005-05-04 21:02 | 日記系セレクション
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