苛立ちも今なら許せる穀雨かな
2,3日前、季節外れの冷え込みから開放された日があった。
雨が降りそうで、まだ降らないという中途半端な朝で、いつもならそういう天候が許せないところだろうが、その温い風がやけに心地よかった。
温い。温るいと送るとわかりやすいかもしれない。
温いは、温くい、と送ることもできるが、私は今、お茶が冷めたときに舌を優しく、人によっては不快に潤すあの温るい雨の降り出す直前が気に入ったのだった。
冬の寒さが、少しずつ人々の心を魔法にかけたように春になじんでゆき、やがて忘れられていってしまう。こんな寒い季節など来なくていいのに、と毎朝思っていたほんの一箇月ほど前が嘘のようだ。
そう。
人の憎さも
愛らしさも
時がたてば嘘のように消えていってしまう。
穀雨はその儀式をするための禊の雨かもしれない。
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