悔む
歴史というもの。人の意思とは無関係に流れるままに築きあげられてゆく些細であり偉大なその刻印の中に、わたしたちは限りなく依り所や憩いを探し求めてしまうことがある。
それは迷路を彷徨うに似た行いにも明らかに似ているもので、ひとたびそこに共鳴となって響くものを感じてしまえば、人は魔に操られた媚薬に晒されるように自分を失ってゆき一旦は収縮していってしまう。しかし、そのあとに人は逞しく甦ってくるのだ。そこに歴史が与えてくれた熱い呪ないがあるのかもしれない。
しひて行く人をとどめむ桜花いづれを道とまどふまで散れ
ひとりの人がさり気なくさらさらと日記に書き残しているひとつの歌があった。それは古今和歌集の歌で、わたしは、ふとしたことでそこに立ち寄って拝読し、すごく得した気分になったので、ちょっとメモした。
古今和歌集なんてあっしには関係ねぇものなんですが、桜の花を見上げ、またその散りそめを見つめ、その樹の下で何を感じるかはまことに十人十色なのかもしれないものの、この中古の時代にも桜の咲く時期に、いや、年がら年中人は出会いながら別れてゆくという宿命を背負っていたのだ。
そして、「惜別」という字が物語るように過去へと追いやられてゆくひとつの別れの歴史を、この上なく惜しんだのだ。
人はすべてにおいて、喜怒哀楽の行き着くところは「悔しさ」であるとわたしは考えてきた。まさに、悔むことへの、これも呪ないなのかもしれない。
多くを語ってはいけない。別れは静かに送るものなのだ。
とまどふて桜並木の花も見ず
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