耳を傾ける
▼「読書部」を再生しようと思う。
コミュニティーのアイコンだけを名刺代わりにする人ばかりが増えて、ちっともコミュニティーとしての機能を成熟できないので、言ってみれば呆れてしまって読書部を解散したわけだが、世の中には、私がやりたいと言い続けている「コミュ」の理想像を多かれ少なかれ理解してくださっている方もたくさんあることがわかったので、もう一度「再生」という形でやり直してみようかと思う。
かつて、コミュで、コミュニケーションをしたいと私は言った。自分の欲しい情報を拾い出しに来るだけ、または話題が欲しいだけなら、来てくれるな、とまで明確には言ってないが、「自分の戴いた情報の恩返しは同じ形で皆様にお返しして欲しい」というようなことは書いてきた。
今の世の中、貰えるものは貰っておかねば損だからという風潮もある。スーパーやコンビニで無料の割り箸を必要以上に貰う人やレジの後の架台にある透明のパッキング用のラップをこれも必要以上に取る人の姿を見るたびに心は幾ばくも豊かにはなっていないことを実感する。
豊かさに満たされて、それを生かすか殺すかは、自分の姿勢と視点の持ち様で決まる。読書部にも素晴らしい感性をお持ちの方々が出入りくださるなら、その方々の英知をや視点をお裾分け願うためにも、(mixiがGREEみたいな考えを表明しない限りは)ここに読書部は再生されるべきなのではないか、と考えたのです。
▼「語りに耳を傾けるようなおこない」が、廃れていると、円楽さんのことに触れた前の日記で書いた。
役にも立たないかもしれない話をゆっくり、且つじっくりと聞くという姿勢を社会は失いつつある。速くなりすぎた時間の中に詰め込まれた膨大な情報を取りこぼすのが怖くて、redundancyの中にある最も重要なモノを切り捨ててしまった。その結果、何ごとにも「耳を傾ける」安定した姿が消えたわけだ。
▼読書部の再生にあたって。
この、「耳を傾ける」という姿勢を、「与える側」と「与えられる側」の双方によって、つくりあげたい。そしたらそこには、本と友だちになれた人たちのコミュニケーションが築かれているような気がする。
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