GREEの変化 その2 ―人々
▼コミュを幾つか開設していて痛切に感じることがいくつかある。
その最たるものが「新規加入のメンバーの足跡が私のところに残っていないことが多いこと」である。
コミュに加入するにあたり設立者をちらりとでも見たくはならないのだろうか。見る必要性を感じないのだろうか。そのあたりは感性の違いだろうが。
これもコミュが大きくなりすぎたことによるもので、私が目指すコミュ像が伝わらなくなってきたひとつの指標でもある。
解散して消滅は簡単だから急がない。しかし、意図に沿わない方々は(退会して)よそに行かれることを切実にオススメしたいのだが、なかなかそう上手くは行かない。
▼昔、ある方(グリ友)さんが、日記を非公開にしておきながら私に(その方の)日記にコメントを書きに来るのは卑怯だと書いておられた。
そういう事実は確かにあって、メールにおいても、片方からは出せるが受け取らない設定とすることが可能で、これも似たことといえよう。
これは、その人物を責める前に、GREEのシステム設計と哲学(ポリシー)を責めねばならない。責めると言っても悪いというわけではない。経営方針はGREEが決めることであるのだから。
そんななかで、設立当初のクリスタルな思想も薄れたような感じがしますねとも伝えたい。しかし、これも社会のニーズだからという答えが簡単に想像できる。
経済優先の社会を行く抜くためにバカな社会や消費者に振り回されて、社会構造そのものを破壊してしまわないことを切実に祈る。
▼面白い書き込みも見かけることがある。それは、「もしもこの書き込みの場所や内容が不適切でしたら削除してください」というような内容のものだ。
コミュニティーには同意をして参加いただくことを規約に明記しているのだから、規約を読まずに来ましたと白状しているようなもので、もしもこれが債権や物権にかかわる内容であって後で重大な損害でも出たらどうするのだろうか。もしも全てこのような調子で日常を生きている人が増えているとしたら、恐ろしい世の中だ。
まあ、そのような書き込みがあったら、コミュの流れと雰囲気に合わないので、私は時期を見て削除しますが。(だいたいがそういうメッセージは後に退会されているなどして削除しやすいことが多いような気もします)
▼そういうわけでGREEが次第に変貌しているのは、参加者の使用動向も少なからず変貌していることを如実に表している。
社会を垣間見るには、ここにしぶとく在籍して、キョロキョロと人の動きを見ているのが面白いのかもしれない。そんなことを、思う。
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ある方に書いたコメントを付加して置きます。
今回の変更も、たまにしか日記を書かない人や、日記というモノを作文として大事に残すという明確な意思のある人をないがしろにする改革ですね。メールだって、今までの履歴を一覧で見れたのがなくなるようです。
過去を大事に残しておくという人やゆっくりじっくりと考えるつもりでいる人には、まったく不向きなようです。ネットのSNSやブログが twitter に振り回されている感じ。私はバカらしくさえなって来ました。
コミュを幾つかやってますが、(やめてしまうかも知れないと思うと)ちょっと寂しい思いです。
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