夏は夜、ですか。
【巻頭言】
道がつづら折りになって、いよいよ天城峠に近づいたと思う頃、雨脚が杉の密林を白く染めながら、すさまじい早さで麓から私を追って来た。
誰もがご存知の川端康成「伊豆の踊子」の冒頭です。
夏は夕立ち。まだ陽のぎらぎらとする時刻に、真っ白い入道雲が湧き立って、ゴロゴロと腹に響くような音と共に稲光を伴いながら激しい夕立がやってくることがあります。
焦げ付くように暑い日の昼下がり、軒先に縁台でも出してスイカでも食べようかと算段をしていると、激しい雨が縁台を叩くような勢いで降り出し、あっという間に過ぎ去っていったというような夏休みの思い出もあります。
夕立が洗つていつた茄子をもぐ (種田山頭火)
濡れて雫立っているなかにも、ひとときの涼しさと落ち着きがあります。
夕立やら縁台のことを思い出しておりましたら急に懐かしくなりましたので、今年のお盆は庭に縁台でも出して、蚊取り線香を焚きながら、ビールでも飲もうかなと思っております。
みなさんはいかがな夏をお過ごしでしょうか。
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【あとがき】
夏は夜、と清少納言は書きます。月の明かりしかない時代ですから、その明るさもありがたみも今の時代以上のものがあったことでしょう。
筆者も、夏の夜には数々の思い出があります。夏になると決まって1週間の旅に出たころがありました。それは、オートバイに野営道具を積んで放浪のような旅で、明かりの無い森の中や公園、野原で神々しい月を見上げたり、あるいは激しい雷雨に見舞われて自然の驚異に恐れをなしながら、夜を明かしたものです。
当時の日記には、自然と触れ合うことでその恵みに感謝をする箇所が幾節もあります。風景、食、風、水などは決して自分だけのものでもないし、自分たちが築き上げたものでもない。遠い昔から長い周期の営みを繰り返してここにあるのだということを肌で感じています。太陽や水、土、火、森などに神が宿ると昔の人が考えた所以も知りました。
今月の「まちかどエコ@みえ」では、生物多様性という言葉が登場します。生き物のことや自然のことを学びながら、ふだんの暮らしを見つめなおしてみませんか。
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