お盆に思う 〔2004年8月中旬号〕
お盆に思う 〔2004年8月中旬号〕
稲穂がいよいよ重く垂れ始めもうまもなく収穫の時期を迎える。ツクツクボウシが鳴き始めたこともあっていよいよ夏も後半を迎える感が強い。暑くて眠れないというような夜も少なくなった。明かりを消して窓を開けると涼しい風が部屋に流れ込んでくる。しばらく夜空を眺めているのが、無心になれて心地良い。
お盆である。親不孝の私は親父の墓参りに出かけた。実家の空き部屋で勝手にごろんと横になり棚を見上げるとアルバムが積んである。ずいぶんと虫食いだらけになっている。懐かしい写真をひととおり見て懐かしむのは誰もがすることなのだろう。
私は親父とあまり語り合わなかったな、と思う。それだけに考えることや物事の捉え方、困ったときの対処の仕方が今頃になってよく似ていることに気付くと、ことさらそのこと口に出して問うてみることができない悔しさのようなものを感じる。しかし、また冷静に戻り考える。私の質問にもしも親父が答えてくれたならその文言がまた手に取るように想像できるのである。
墓の中に居てくれて、遠く離れたところからでも手を合わせれば会えるのだから、やはり、それで満足としよう。
東京の大学に通っているという名目で、ちっとも勉強しないでグウタラをしていたのを知りながら「どうや、勉強してるか、若いうちに勉強しておけよ、父は働くのが辛いわ」というような鉛筆の走り書きを、仕送り荷物のなかに入れてあったのを思い出す。
高 2の娘は受験の緊張が少しずつ高まってきているにもかかわらず朝寝夜更かしの毎日である。テレビを見てギャハハと笑い、部屋に戻ってはラジオを掛けっぱなしで、勉強しているのか読書をしているのか。この姿を見て、さらにまた親父の気持ちが良く分かる。親孝行は親のためにするのではない。自分のためにするのであった。
父は、肩の凝る人でした。いろいろと工夫をして肩を揉むような道具を考えて作っていました。私は父の肩を揉んでやったことはほとんど無かった。肩揉みは父のためにするのではなく私のためにもしっかりやっておきなさい、と若者に言ってもわからんだろうか言わない。まあ、みんな同じような思いをすればいいよ。
8月14日(2004年)
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