戸隠そば・ツー 92・04・25
--出発編--
春になってやっと思いっきり走れる日が来た。天気予報は“晴れ"だと言っている。荷物をまとめてから風呂に入って布団に入ったのが前日の夜の9時前だった。 快適に眠りに入って行き、深夜の1時くらいからうつらうつらモードに移る。 いつものパターンだ。2時頃からは布団のなかで道などを考え、ぼんやりしている。
3時過ぎにネットをのぞく。 決行を確かめたときに、“春日井西・マクドナルド・集合"が目に入る。5時半集合か。 ちょいといそいそし始める。一人で荷物をごそごそしながらの準備だ。うちのんが昨日 の夜にお金と下着をまとめてタンクバックの上においてくれてある。 “気をつけて行ってらっしゃい"と書いてある。しかし、玄関を出るときには起きて きて見送ってくれた。時計は3時40分。
天気は、空がよく見えないので不明だ。ただ、星は見えない。月もない。 路面は濡れている。雨がさっきまでは降っていたようだ。 新聞配達のバイクの人が行きかう街。エンジンも快調で、信号待ちの静寂にはエンジン の音がやけに新鮮である。 早朝の出発は一度やったらやめられない。
空が白み始めたのは四日市あたりからか。 長距離定期便のトラックが多い。プロの運転手だから一緒に走ると走り易い。 無茶もしてこないし、速度も一定だ。バイクだからと言っても同格に走らせてくれる。 これがやや小さいトラックになると訳が違う。
名古屋に入ったのが4時前だった。東名阪を走らなくてはマクドナルドには時間通りに たどり着けないと焦って曲がった道がぴったしだった。23号線から東名阪にそのまま 入って、あとは少し飛ばした。
東名阪の料金所のおじさんと5分くらいゲートで話をした。 “四輪(よつわ)には気をつけてね"と言って、見送ってくれた。
再会編
マクドナルドには、MOTOさんとみかたんがすでに来ていた。僕は、ぴったし5時半着だ。なかなか現れないので行き過ぎたかなと不安になりかけた頃に着いた。みんな“わくわく"だ。良い天気になったことを喜び合いながら何となしに話をするうちにろめちゃんが到着。“10分待ったから出発しましょうか"とMOTOさんの言葉で出発。YUJIさんは追いかけてくるかな。
春日井からは高速は走らず一般道路を走る。50分くらいで恵那につけるだろうな、という読みだ。
寒い。トレーナに皮、その上にジャンパーを着ているが、セーターを持ってくるべきだったかなんて言う心配が頭をよぎる。
6時を少し回った頃。どこの家も朝食(あさげ)の支度に忙しいことだろう。しかし、昔と違いカマドを使うことがないから、たなびく煙は無い。気温の逆転層ができて街の中に朝もやが立ちこめている。これが早朝らしい雰囲気を出している。車は、少ない。平均時速は50キロで予定がたつ時間帯だ。
恵那に入って、Vさんの家に寄ったらバイクのカバーが車の上に置いてある。もう行ったみたいだな、と思って中津川インターまで走ることにした。
霧が出ている。このあたりは山間(やまあい)で霧は出易いようだ。インターの出口に人影が見える。YUJIさんもいる。風花さん・Vさん・もろこしさん・うっでいさんもいる。
良い天気になったことを、やはり喜び合う。気持ちはほとんど通じているようだ。やはりバイク乗りの心にかよう共通のスピリッツは信じていい。
さあ、出発しましょうか。少し行ってガソリン補給して。。。とまさに出発しようとウィンカーを出したとき、インターの出口からひとつのヘッドライトが走ってくる。もう参加表明をしている人は揃ったはずだ。誰だろう、飛び入りは。。。忍者さんと言うのがすぐ頭に浮かんだ。赤いバイクか?・・・YES。忍者900か?・・・どうもそうらしいぞ。『・・・・・忍者さんだ!』と言ってから、さらにもう一度確認した。バイクは私たちのそばに停車し、みんなの感激の中で忍者さんはメットを脱いだ。
身体中が身震いした。さあ、いよいよ出発だ。みんなで10人。個性がぶつかりあい、また調和するもの。戸隠そばツーリングはこうして走りだした。
印象編
[はじめに]
[BIKE]の方で帰宅直後に“ワンシーン&語録"を書きました。それに加筆・改編する形でここにアップします。
[体感の共感]
マス・ツーリングは一人と違って、同じ環境で同じことを感じること(体感の共感とでも言うか)や仲間との会話がエンジョイの主体になります。“さあ、出発!"と言って走り出したら、“前の人に付いて走ること"に割かし神経を使います。マイペースとは呼べなくなり土地の名前すら知らずに移動をしていくことになります。
[19号・走り始め]
忍者さんに再会してからしばらく走ってGSに寄る。まだ中学生が登校する姿が目につく。そんな時間か。。。遠くに来ている割に疲れを感じない。妻篭宿の方(R256)に分岐するあたりからVさんと風花さんが快適に速度を上げ左に木曽川を見ながらのペアラン。このあたりの道もすっかり印象が焼き付いたな。途中、通学途中の女学生(短大生?)に手を振り、振り返してもらい、メットの中でニヤニヤしながら鼻歌まじりに走る。
[塩尻市]
谷が切れて林檎畑がチラチラし始めたら塩尻市街に近い。“平出遺跡"の道案内が出ている。この分岐点からみた北アルプスは今年になって最初の出会いだ。いつ見ても“でっかい山だ"としか言いようがない。山までの距離感がなくなってしまう。すぐそこにあるように見える。雪に縁のない生活をしているだけに、雪の景色はやはりバイクを止めてゆっくり見ていたいと思う。平出遺跡はいつも近くを通るが寄らない。遺跡には関心が特にあるわけではないが、『波の塔』(松本清張)の冒頭はここで始まるのではなかったかな。小説の舞台を訪ねるのもいいものだ。
[サラダ街道]
後で地図を見てもどこを走ったかわからないが、このあたりの道なら方向を誤らずに走れば楽しめそうだ。塩尻を迂回して松本市内にワープする道だ。しかし、知れ渡っているのか車はやや多く、そのうちに渋滞も生む年も近いかな。林檎などの果樹園や野菜の畑が広がり最高の雰囲気が出てきた。『ほんとにいい天気』とみんなで感激し合いながらの“のんびりラン"だ。“田舎の香り"がたまに鼻にきて、目が醒めるというか、昔に帰るというか。
[長野市まで]
『長野に着くまでにレパートリーのカラオケを全部歌っちゃった』と風花さんが後で蕎麦を喰っている時に言っていた。『“無線で、ハイ!次の方"なんてやりながら走ればいい』なんて言う冗談も飛び出た。いやいや、実現するかも。そんな風な単純な道だ。眠いと思っている人も多いのではないかな。
[犀川]
犀川の流れは独特な趣がある。こんな山の中での出会いが余計にそう思わせるのかな。穂高川との合流点だったか(?)に合流点の案内看板が立っていた。これが日本海にたどりつくまでには千曲川とも合流し、数々のロマンを育んできた地を通って行くな。。。などと考えながら、やはり私も“カラオケ"のレパートリーを消化して行ったのでした。
92・04・25 印象編(2)
[バード・ライン]
何年か前の集中豪雨か台風で崖崩れがあり登り口が裏に回っている。本当だったら長野市街一望できるところがあったはずだが。でも、市街を見るところはあるにはあった。止まらなかったが。快適な有料道路だ。200円で戸隠まで行ける。途中ゲートがいくつかあり、チケットを見せて通過する。飯綱高原は二つ目のゲートあたりだが、池がありのんびりしている仲良しさんなどもいた。“蕎麦のため"にかっとびとなった。正面に見えるのは戸隠連山だろうな。
[いよいよ蕎麦]
淡泊な蕎麦でした。過去に2度ほど来ているが、やはり同じ印象だったのを思いだした。蕎麦の臭みが余りない。もっと蕎麦の匂いにこだわる人も多いのではないか。世に知れる為には角を立てないオーソドックスな方がいいのかも知れない。それとも、近代になってから味を少しずつ変えたのか。『おおざるを4つと・・・』と誰かが代表で注文してくれて、『普通のざるとかけ』と個性を出したのは、うっでぃさん。中社(ちゅうしゃ)・奥社(おくしゃ)には行かず。かけ蕎麦の“梯子"をしてもよかったな。
[鬼無里]
静かな山間の村の中をのんびりと走るはずだったが、先頭に併せて結構飛ばしたね。道を覚えていない。後で地図を見ても分岐点の景色の記憶がない。付いて走るとこれだからなあ。白馬の絶景はコメントしません。絶景ですね。『ステップ・スリスリ』をうっでぃさんは楽しんだ様ですね。これは戸隠~鬼無里~白馬ヘの道で記念撮影の時に。
ガソリンスタンドでみかこたんがバイクにまたがり、タンクバックに覆いかぶさるように寝ている。それを見た猫柳が、“ほんとに寝てるよ"と思わず言ってしまった。誰かが『よだれ、たれてないか』なんて追い打ちをかけた。もろこしさんだったと思うが。
[大王わさび園]
忍者さんがみかたんに帰りの時間の話をしている。遅くならないように高速を使う話などをしている。忍者さんの話す姿を見ていると、親が子を諭す様子を連想した。かわいい我子がバイクというきわめて危険な乗り物で旅に出ている。きちんと走れば危なくはないし、一人だけで走ればむしろ4輪よりも視界も広いので安全なのだが。。。もちろん、居眠りは危険だが。まあ、安全に早く帰って欲しいという親の姿を如実に現していた。“わさびソフト"を食べながらのひとときでした。『ツアラーは冷たい物などは極力食べない』としているもろこしさんと猫柳が指をくわえて見てたのです。わさびシュウマイは持って帰ってVさんちで食べたが旨いよ!
[長野道・中央高速]
ユーミンの中央フリーウェイなんて言う歌を歌いながら走ったこともある。しかし、今回は違う。何故か。それにはコメントは不要。
▼“家族持ちがあんなに飛ばしていいのか"との投げかけに『ライダーに家庭はない』と同時に答えて笑っているのは忍者さんと風花さん。
▼“南アルプスがきれいでしたね"の発言に『気がついたのは駒ヶ根近くになってからだよ。見る余裕なんて無かったよ』5バルブ実力テストに余念の無い風花さん。
▼“諏訪湖がきれいに見えましたね"(みかたん)の問に名古屋弁(アクセント)で『知らなかった』とみかたんと同い年の娘さんがいるという風花さん。
▼『何キロ出た?』 『***キロ』 『どこで?』 『どこでも出るよ!』 これはSIGオペ・MOTOさん。
解説:一部では、***の部分を256キロと発表しましたが、これは256キロビットのことであり茶化しただけで、事実の数字は別で、きわめて安全走行であったと思います。
▼『油が乗ってきたところだ、まだ300キロ(は行ける)』は風花さん。恵那峡SAで。(“油の乗った"のはおなかの肉で、300キロは見栄である)GSでメットをかぶったまま大ざっぱに、風花さんが顔を洗う感じでにシールドを洗っている。『アバウトだな』と猫柳が言うと『もう、疲れていたんでしょう』とVさん。[Vさんちで]
▼『もう寝ましょ!.... あと一杯呑んでから』
--完結編--
Vさん宅では朝食、コーヒー付きでご馳走になり“感謝・感激"でありました。6時頃に目が覚めて地図を見たりしてのんびりとした朝だ。もし、一人ならおそらくそそくさと荷物をまとめて出発していただろう。子供達も見送ってくれてありがとう。
[国道257号線]
恵那からは阿木川ダムの湖水を眺めながら快適に高速コーナーが続く。稲武町~設楽町を抜けて新城に至るまで渋滞もなく、取締もない。前方から来るバイク集団の多いのには驚いた。名古屋や浜松方面から走ってくるのだろう。手ごろでカーブが多いから走り易いのか。この道は取り締まれば捕まりそうだが、こんなところで取り締まっても虚しいばかりだな。新城に出るあたりの道は、帰宅後調べたが確認しにくい。この日は地図を持っていないため豊川市に行く標識だけをあてにして走った。大きな交差点は覚えているが、地図にはそんなところがないのでコースは不明。
[国道151号線]
この道に入ったら車も多い。鳳来山にでも行くのかな?豊川インタの入り口をくぐって国道1号に出た。“街乗り暴走車"が目につき始めた。大きな交差点で信号を無視してUターンをした車がパトカーに捕まった。弁解のできない違反はしたらあかん。するなら、冷静に十分確認をしなくては。隠れていそうなところではおとなしくしているのが一番良い。
★豊川インター入口~国道1号までは“白バイ"が多い。手を振ってやろうと思って待っていたが、並走は残念ながら無かった。
[渥美半島]半島の付け根の豊橋市内は渋滞だ。観光の車ばかりだから、地元車はどっかを走っている模様。豊橋鉄道をときどき見ながら半島の先端を目指す。バイクはまずまず多いとしようか。半島半ばから南に移って、海岸のチラチラ見える道を走る。水平線はかすんで見えないが、意外と近くを大きな貨物船が通る。漁船も多い。潮風に吹かれて海を眺めているなんていうロマンチックはなかったなあ。PPMの“風に吹かれて"なんぞを口ずさんでいる。
[伊勢湾フェリー]
2260円。14時発に30分の余裕で到着。先端の駐車場にはバイクが多く、タンデムが目立った。ZZRのド新品(900キロ)のタンデム・アツアツ(?)カップルさんとちょっと話したが、近ごろの人は余り気易く話しかけてこないな。こっちが変な格好をしてるからかな。船の中では熟睡モード。
[鳥羽から]水族館では人があふれ、車もあふれている。松阪まで1時間を見たが、やや速く走れて4時前には帰宅できた。23号線は“白バイ"が多いから気をつけなくてはならない。まあ、無事到着。猫の手クラッチは幸運にも使わなくても済んだ。
-- 完結 --
バイクの名前には鈍感な私ですが
(自分のくらいしか知らないが)
データとして挙げておきます
忍者:GPZ900
風花宅急便:FZX750
MOTO:ZX-10
V-MAX:マーニー
うっでぃ☆べる:VMAX
もろこし:ブロスプロダクト2
YUJI:BMW.R100
ろめちゃん:RZ250
みかこ:SRX400
わたし:GSX-F
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