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2008年12月31日 (水曜日)

【銀マド】(日記系)  2008年篇


神楽坂


 

(GREEで)

 

神楽坂と言えば、私のようなオジサン世代では「佳作座」という映画館の思い出が強いです。

 

池袋、文芸座。銀座、並木座。神楽坂、佳作座。

 

この三つは300円程度で映画を見ることのできる貴重な所でした。
名画はここで。

 

朝一番で入って、夕方まで。
上映が終了しても誰も席を立たない。
静かに拍手が沸きあがる。

 

そんな映画館の時代があったことを思い出しましたよ。

 

大学の帰りに度々行きました。歩くとちょっと遠かった。

 

| 2008-12-02 06:14 | 日記系セレクション |

 


昔からの知り合いみたいな気持ちのようでもあるし


 

なんだか、初めましてだったのか
前にも何か書いて振られたっやのか・・・・
さえも記憶に無いのですが

 

でも何度も足跡をつけに来て
何もせずに帰ったような記憶もある。

 

何のきっかけも無かったけど
どこか気に掛かっていたんだろうな。

 

そんな感じですが、
宮本さんの話を書いているので
昔からの知り合いみたいな気持ちのようでもあるし
たった今、出会った衝撃のようでもあるし。

 

きっと、宮本作品をこれからも好きで読み続けてくれる人だなという、うれしい予感がして。

 

ただそれだけで、これを書き始めました。

 

おしまい。

 

(mixi)

 

| 2008-11-26 20:47 | 日記系セレクション |

 


遠藤周作あたりで


 

はじめまして。

 

遠藤周作あたりで足跡付けてしまって、京都とかバーンスタインとか、ちょっと気に掛かることに触れてられるので、何度か邪魔しました。

 

妻が嵯峨嵐山で入場制限が掛かって電車に乗れなかったと怒ってました。エライ人だそうですね。出かけなくて良かったかな、なんて。

 

仁和寺から北へと原谷に行く道がありますが、自転車ならそんな道がオススメです。金閣寺の裏に下りてこれます。

 

京都を離れて15年以上になりますが、娘(マイミク)が住んでいるし親兄弟もあるので日記では別宅と呼んでいますが、たびたび足を運んでいます。

 

人が多くなりましたね。器自体をこれ以上拡張できないのだからこれからどうなるのでしょうか。

 

京都の紅葉や静かな秋の佇まいが見たいなと、皆さんの日記を見てると思います。私は、自分の住んでいた家の裏山や(って嵐山の小倉山ですが)、職場のあった路地裏とか、行ってみたいです。

 

(mixi)

 

| 2008-11-23 23:09 | 日記系セレクション |

 


雨雲が切れたら


 

今の時期の雨は、じゃーーじゃー降らへんので
出かけてみたらそうでもなかった、、、ということも有りますが

 

最近の天気予報はデジタル的に出すし
見るほうも
情報が全て頼りに
という時代ですからね。

 

昔なら、ええい!何とかなるといって出撃したものが、この頃は安全を見て取りやめとなることもしばしば。

 

ツーリング文化というのは、その時代のものなので、それをとやかく言えないが。
バイクという乗り物は、そういう文化とは関係なしに、雨でも晴れでも走る宿命に有るのだ。

 

少し雨雲が切れたら、飛び出したくなるようなハングリーさは忘れないように。
もちろん、こういう言葉に命令形は成り立たない。

 

| 2008-11-14 23:52 | 日記系セレクション |

 


残暑、少し


 

Wさんへのレス(mixi)
---

 

お盆が過ぎて、やれやれ、ってところでしょうか。
男には (という表現は適切ではないのですが) 仕事があるので、ふっとくつろげるような時間はたまにしかない。

 

秋という季節がすぅーっと近づいてくるのを感じるとき、ホント、仕事の緊張が波が引くように消えていくのですよね。

 

四季があって、生きておれるのだなと思います。
帰れる古里があってこそ、頑張れる。

 

稲刈り。
始まりましたよ。

 

| 2008-08-19 18:28 | 日記系セレクション |

 


本屋考察


 

mixiの日記から(コメント)
----

 

暑いね。
こんにちは。
久しぶりですね。

 

>古いものや古い体制が崩れたり、
>まったく新しい体制がどんどん前に出てくるのを見ると、
>とりあえず不安で拒絶したくなるのだけれど、

 

そうか。
そうだ。
私もそういうようなことを思っていたのに
上手に言葉にできずにいたんだ、
と思うと嬉しくて。

 

古書店は全然利用しないのですが、理由は、まともな本がないということに尽きるのですけど
新刊書店でも店員さんと商品のギャップのようなものは感じます。
本屋が崩壊し始めている、かも。

 

| 2008-08-08 20:53 | 日記系セレクション |

 


寂しさを堪えて (その続き)


 

たくさんのコメントを貰ったのですが、返事を書く間が無くて・・・・
(mixi)(GREE)
----

 

みなさま。

 

8月になってしまいました。

 

忙しくしていたのですが、言ってみればフツーのサラリーマンだったら忙しいのは当たり前。ブログに日記なんか書いているようでは一丁前とはいえませんでしょう。その証拠に夜中の10時過ぎの電車を見れば分かります。ネクタイを緩めて疲れた顔で座っているサラリーマン諸氏の多いこと。

 

現在の日本の社会に文句をつけるような立場でも何でもないのですが、もう少し社会をフラットにしてもいいようにも思いますが。
しかしながら、自らが選んだ「豊かさへの道」なんだから、仕方ないのか。

 

そんなことを思う一方で、「おしまい」と書いたPちゃんのことに戻ってみる。

 

彼女の恋人は海外の何処かの国へと仕事のために戻って行ってしまった。たぶん、1年間ほどは戻らないのかも。お正月くらいは帰ってくるかも知れないが、会いたいと思っても即座には会えないんだな。

 

今はネットワーク技術が進化したので、映像の中ではリアルタイムで会えるけど、やっぱし、ちょこっとでも触ってくにゅくにゅしたくてもできないんだから、寂しいよね。

 

「おしまい」と彼女は口に出したわけではない。見送るときに心の中で思ったわけでもなかったかも。家に帰って日記を書いて、それで考えるのをおしまいにしただけで、また明日になれば、新鮮な気持ちで恋人を想い続ける日々が始まるのだ。

 

電子のメディアの上に書かれた日記の「おしまい」はやがて消えてしまう運命かもしれない。

 

出会いと別れというスパイラルのなかに、哀しみや歓びなどの感動とか、未知なモノに抱く夢とか、そして「おしまい」とつぶやいてみるような静かな時間が入り混じってできているのが人生でしょう。

 

こんなことを書いている今も、既にPちゃんは次のステップでジャンプしているはずだ。「おしまい」とはそんなパワーも秘めていたんだな。

 

| 2008-08-04 08:55 | 日記系セレクション |

 


寂しさを堪えて


 

堪える(こらえる)という言葉は、ちょっと今の時代に馴染みが薄くなりつつある言葉かもしれない。

 

 

おしまいと言って堪える夕日かな (ねこ)

 

---

 

おしまいと
言いながら
寂しさを堪えて
うつむいて・・・

 

そんな感じかな。

 

若さがあれば、なんでも平気。

 

---

 

これは、(mixi)のPちゃんというかたの日記で書いたコメントです。

 

彼女は彼氏を成田にお見送りに行った日記を綴って、最後に「おしまい」と書いたのだ。

 

こんなふうに、寂しさを堪えるのが「おしまい」だったのと、きょうという一日が「おしまい」だったわけでもあるのだ。

 

おしまいにしてしまえば、また新しく何かを始めることができるからね。

 

---

 

おしまいの寂しさ堪える夕日かな (ねこ)

 

と最初に書こうとしたのだが、今でもどっちがいいかなって悩んでいます。

 

| 2008-07-30 07:41 | 日記系セレクション |

 


読書のコミュのある話


 

mixiで友だちが熊谷達也の邂逅の森を読んだと書いていたので…
----

 

最近、文学でなくても、単にストーリーのための設計本のようなのが多くて辟易してるので、こういった熊谷達也のような、文章で書かれて何ぼ、話が展開して何ぼ、というような作品が読みたくなる衝動に駆られる。

 

そこで、読書部のコミュで【熊谷達也】のトピックを挙げてみたんですが、今のところ書き込み者はないね。

 

ベストセラーや注目モノを話題にして楽しむのも結構ですが、これぞ!という素晴らしい作品に出会いたいし、そういう作品の話をしたいので、ある意味では試金石として「作家別シリーズ」(トピック)をあげているけど反応は少なく、現代社会(人)の反応に「いかにも」と頷かせてくれる感触を持っています。
前にもコミュか日記に書いたけど、そういうコミュなら行く末は閉鎖してしまおうと思っています。

 

あなたのように1行でもいいから「感じて然り」の一言を書けない人が多いねえ。よかったらぜひ、読書部に一筆投じて…という願いもあるが。

 

GREEのほうでも同時進行させていて、少しコメントがあがっていました。
邂逅の森、相剋の森、氷結の森という三部作はいいと書いていた人がいた。

 

こういう作品と出会うことで、これから手にする作品選びが変わってくれば、人間が変わってくる。感性が変わってくれば、貧困な哲学に満ちた現代社会も少しはマシになるような気がするわ。

 

と、私はだらだらと書いたが、あなたは「人間の愛」と手短くズバリと書いているからえらい。

 

| 2008-07-25 06:45 | 日記系セレクション |

 


徳山ダムへ


 

5月9日の日記コメントへのレスから。
---

 

GWのざわざわした時間の後で、静かな所に行きたくなりまして、山の中を目指して行ってまいりました。

 

私たちは、ほとんどすべてが、自分たちの家族のためとか自分自身のためになることを願って、何かを選んでいます。

 

それは、月並みな言い方だと、ちょっとでも得になるように、椅子取りゲームのように神経を尖らせているわけです。

 

しかし、
それでも社会が良くなったのは、昔の話で、これからはそういう図式で物事を考えては、大げさに言えば地球が滅びるのでしょうね。

 

人の心は少しずつ滅び始めています。心が枯れて、社会が枯れて、組織がよりどころをなくしていけば、そこにあるものは、虚像ということになってくる。

 

文明は、必ずしも私たちを幸せにしてくれるとは限らない・・・と言っていいのでしょうか。

 

| 2008-05-11 16:05 | 日記系セレクション |

 


そういう体質


 

GREEで私が書いた日記へ或る人がくれたコメントへの返答

 

----

 

なかなか、冷静で正確に分析していますね。

 

> GREEの機能の問題というよりは、
> SNSというものの体質の問題と
> いう気がします。
> そういう体質だから、
> このくらいの機能でいいだろう、
> といったところでしょうか。

 

そのとおりです。

 

SNSというものは、あくまでも経営側のもので、事業であるということ。
時代の変遷につれ、というか、SNS自体が時代を変遷させて、自分たちもそれに対応して事業を成熟させる。

 

長い歴史が物語るように、現代はそれを加速試験をした如く、短く簡潔に書かれた事業報告のようにして終わらせてくれます。

 

次に、どんなモノがくるのか。

 

バカみたいに、WEB未来論を論じている人たちの思うツボになりたくなから、突っ張るのですけど、やっぱし引きづられていますね。悔しいな。

 

| 2008-04-26 18:13 | 日記系セレクション |

 


揺らぐ


 

GREEの或る人の日記へ、私のコメントから

 

---

 

>違う道を選んでいる人を見つけると、
>途端に羨ましくて仕方がなくなってしまう。

 

>同じように仕事をしながら、
>さらに制作もしていた、という事実にも、
>自分の足下が揺らぐ気がしました。

 

自分のことを振り返ったり、未来の自分を、今の自分を見ながら構想しようとしたり。

 

そういう中で、自分に出会い、現実を知り、夢を描き、さらに構想を繰り返す。

 

一体、あの人と私では、何が違っていたのだろうか。
そんなことを考えながら、歴然とした答えを見つけることがあります。

 

しかし、その答えのひとつが、
「貴方は人を踏み潰して前進ができますか」
というようなものだったとしたら、私は
「ノー」
と答える。

 

その答えを出す私に、伴走しながら付いて来るのが貴方の仰る「揺らぐ気」であり「羨まし」さであるわけですが。

 

私は、今や、それでもいいと思っています。
三十半ばなら、もう一回くらいは頑張れるかな。
もちろん、何回でも挑める人もありましょうけど。

 

| 2008-04-25 09:50 | 日記系セレクション |

 


雪・・・


 

前略 雪でした・・・か?、へ戴いたコメントへのレスから。
----

 

東京で見る雪はこれが最後ねと、、、と歌にもあったような状況設定で、私は6年間の東京時代を終えて京都にターンしてきたのが1982年の早春でした。

 

雪というのは、節々でドラマを作ってくれますね。
毎日乗った丸の内線も、今では電車の色が赤じゃなくなったようで、東京を再訪する用事があったとしても、地下鉄に乗るのはちょっと嫌です。

 

西武電車が池袋を出て大きくカーブを曲がる途中で富士山が確か見えたような記憶がある。
母校の屋上から、新宿のビル群の向こうに、東京を赤く染めている夕焼けのツムジのようなモノが見えたような記憶がある。

 

そんな記憶は、実は曖昧なのです。

 

雪の積もった朝に、江古田に向かってとろとろと歩いている自分の姿も、何となく覚えている。

 

東京に住んでいたことも、もしかしたら、夢か幻だったのかなって。卒業証書も写真も何も、残ってないもんな。(信じられないほどの杜撰さ)

 

| 2008-01-27 16:50 | 日記系セレクション |

 

2008年12月30日 (火曜日)

蒟蒻を落して跼む年の市 飴山實

冬至を過ぎた或る日、職場であるかたが

「飴山實ってご存知ですか?『柚子風呂に妻をりて音小止みなし』という句を詠んだ人です。私は多くを知らないのですが、この句が好きで・・・・」

と話し掛けてくださいました。

「柚子のお風呂に入って奥さんがちゃぷちゃぷと湯舟に浸かっている様子が手に取るようにわかりまして。メルマガに俳句をよく書いてられるので、俳句が好きかと思って…」

私は、知りませんでしたので家に帰って調べてみると、ズバリ!私好みの俳句が多かったので、嬉しくなりました。
(それより、メルマガを読んでくださっているのが一番嬉しかった)


[飴山實]
 南天の花にとびこむ雨やどり
 蒟蒻を落して跼む年の市

昨日、実家で、蒟蒻を貰ってきました。丸っこい蒟蒻です。

マグロのトロより美味いぞ、と心の中で思いながら、酒の肴にしました。

 いつもより少し早めの小鉢かな ねこ

2008年12月27日 (土曜日)

ピースする笑顔のキミを妬いている

年末の落書き紙片から

 

---

 

 恋すれば呟く自分も冴えわたり

 

 粉雪が舞い始めましたと嘘メール

 

 寒風は嫌だけれども待ちつづけ

 

 差し出した手の先に触れる指

 

 昼下がり眼が合いすぎてバレルかな

 

 ホームから、気付かぬキミを目で追って

 

 ハイヒール好きじゃないです、そのままで

 

 あら、今はスカートじゃないの、そんなこと

 

 前髪が子どもみたいなお茶目さん

 

 ピースする笑顔のキミを妬いている

 

 席替えで願い叶わぬまま3学期

 

---

 

きのうは御用納めの日でしたが、異例の席替えがありました。

 

昔、学校で席替えってのがあったな。
あのときのドキドキを思い出しました。

 

またまた寒波がやってきて、窓の外はあっという間に霙の舞う景色になってしまいました。
街じゅうが見下ろせる階ですけど、灰色のベールに包まれてしまいました。

 

日記にはそう書いておこう。

 

よいお年をお迎えください。
月並みにそう言いながら職場を離れ、
少しうつむき加減に坂道を下ったのでした。

2008年12月17日 (水曜日)

遠くからおやすみ言いたい夜がある

遠くからおやすみ言いたい夜がある

 

つぶやいて、わけ話さぬが言いたくて

 

あとは、そのうち。

2008年12月13日 (土曜日)

年末恒例:ゴミは早めに (ぼやき節)

▼レジ袋撲滅運動、即ち、エコバックを活用しようという世の中の動きは、やや暴走という形容が相応しいほどで、「レジ袋有料化」が独り歩きしている。
ゴミ回収のための「ゴミ袋」を指定し、レジ袋を拒否したという行政判断は、レジ袋の行き場(いわゆる逃げ道)を奪ってしまい、トドメを刺した形になった。
果たして、奪う必要があったのか。
▼「レジ袋有料化」運動を推進した三重大学の朴恵淑教授の実行力を称えるとともに、物事は必ずしも正しいと実証できなくても、ウソだとわかっていても、社会を無理やり動かさねばならないときには、カリスマ的に放言し続ける白々しい「間抜け力」が必要なのだ、ということを実証したとも言える。
朴先生のご活躍は、「三重大 朴恵淑教授 レジ袋」などで検索するとたくさんの記事が出てくるので、どうぞ、そちらを参照されたい。
▼元々は、費用のかかっているものを無償で提供し、それを平均寿命が30分程度と知りながら提供し続ける資源の無駄遣いを指摘したかったというものであった。
みすみすゴミになるモノを受け取ってゆく人々の意識や行動を見直し、スーパーや買い物市場、或いは家庭の中で不必要に発生するゴミをゼロに近づけたい。ここが大事なポイントであったのだが。
暴走した。ゴミを限りなくゼロにすることを忘れて、無駄遣いを減らしましょうの言葉も消えていった。
▼我が家にはレジ袋よりも重大で深刻な問題がある。それは、年末に向かって無差別攻撃で配られてくる「新聞のチラシ」だ。
毎日毎日、読まない広告を大量に含んで配達される。
これらの広告は、現代社会では非常に格安で効果が高い手段なのだろう。無駄とわかっていても、そこから生まれる有効性が一定の相関を持って高度な効率を生み出すということを確証したとき、その1点に営業の力点が集中する。
広告を織り込んだり配達して営業実績としている人々たちの市場を奪っても罪悪なので、頭から否定することは出来ないのだが、何とか見直さねばならない時期は確実に近づいている。
現代の行動 -- 情報の流れや報道の反応なども含めたモノ -- の典型で、この大バカさ加減がなくならない限り、みんなが右向いたら私も右に習えとなり、社会は一向によくならない。
最たるものが、大ボケ・大バカ総理に一喜一憂して3連続以上も大失敗をした国民なのに、まだ懲りないのだから呆れてモノが言えない。
選挙をしても、深みに落ちてゆくだけだろう。
▼相変わらず街には電飾が溢れている。広告が営業収益を向上させ、最低投資で最高利益をと考える優良な企業は電飾に力を入れる。馬鹿みたいに個人も飾り始める。
今、ドブに小銭を投げ棄てる人が日本にいますか?
ドブに棄てるような行為をするなら、その小銭を街頭募金にでもお願いしたい。街の明かりは暗くなり、心が温まる。
▼NHKの放送をはじめとし民放各社もいっせいに放送を深夜12時で切り上げる。
テレビが無ければ部屋の電気を消してラジオを聞けばいい。娯楽はラジオへ。そして、スーパーやコンビニは深夜営業を中止しましょう。
そうすると家庭での消費電力は急降下間違いなしで、どんなCO2削減運動よりも遥かに高い効果が得られます。おまけに、家庭円満となり、お風呂に連続して(または一緒に)入る習慣が身に付く。
▼何もエエ格好をしてエコバックを持ち歩くことなど無い。ダサイ風呂敷きではいけないのだろうか。
何事も格好から入ってしまう人たち。そのスタイルを変化させねばならない。見かけが変だとダサいから嫌ゃだぁーとなる。
▼今年の漢字は「変」だそうですが、変化の変ではなく、ダサイの変ですかね。
変になろうではないか。
▼何度も書くが、痛みを感じて国民がみんな不自由をしなければ、必要とされるCO2削減量には達しません。
40年後に石油資源がなくなったときに遅かれ早かれ痛い思いをすると思うけど…

2008年12月10日 (水曜日)

風邪引いて万年床で寝てまんねん

冬のひとこま@最近の落書き紙片から

 

-------

 

凩やオナラ一発沈みゆく

 

北風がとばしていった恋心

 

近づくとほらそわそわとキョロキョロと

 

席を立つあなたを追ってぼくも立ち

 

ほんとうの寒さは無風の無言なり

 

しずけさが誘ってくれた白い月

 

コツコツと夜道坂道恋の道

 

旅に出て忘れてられる筈も無く

 

坂道の下のイチョウが散りました

 

遮断機の落ちる間に追いついて

 

キラキラと霜が融けます音もなく

 

居酒屋に誘いたい人ありますの

 

居酒屋に連れたい人ある五十歳

 

2008年12月 8日 (月曜日)

局所的に最大利益を求めることをしても、決して全体の利益にならない

福岡伸一先生が、日経エコロジー12月号の巻頭「環環諤諤」のなかで

 

|生物が38億年で到達した平衡状態
|重要な原理は自分の分を守ること

 

というタイトルで書いておられますの。

 

局所的に最大利益を求めることをしても、決して全体の利益にならない。

 

(最初の「はらぺこあおむし」の話は省略)----

 

地球上に多くの生物が互いに繁栄して多様性を保つ。その最も重要な原理は、それぞれの生物が基本的に自分の分を守って生きること。つまり、食べ物を限定することです。しかし、人間は地球の裏側から運んででも、ありとあらゆるものを貪り食べ、すみ分けのできている生態系に傍若無人に入りこんできました。

 

私はBSE(牛海綿状脳症)を研究してきましたが、それは1985年以前は地球上に存在しない病気でした。もともと羊の非常に変わった風土病が、牛に乗り移った理由は、餌にしていた肉骨紛にあります。近くの農場から牛や羊の死体を集め、鍋で煮て、残った肉カスを水に溶かして子牛に与えていました。飼育を速めようとした近代畜産産業が、草食動物に栄養価の高い肉食を強要したわけです。

 

そうして、本来はうつるはずのない病原体が人へと乗り移ってしまった。そこから導かれた教訓は、局所的に最大利益を求めることをしても、決して全体の利益にならない、ということです。

 

生態系には復元力がありますから、乱れが起きても元に戻そうとします。しかし、結果的には何か別の安定状態に移行することで、生態系は動いてきました。生命ができてから38億年、地球の生態系はあっちに行ったりこっちに行ったりしながら、徐々に安定を求めて到達した平衡状態にあります。それはそう簡単に改良できるものではありません。だから、環境に対して、部分を何か工学的な発想に基づいて組み替えるアプローチはよくないと考えます。見えていなくても、全体の平衡状態にイマジネーションをはせる、それが環境問題解決の糸口ではないのでしょうか。

 

----------------
   --------------------

 

分子生物学者としての視点ですが、今の世界の経済学や社会学の学者にも耳が痛い話ですね。

 

私も前から書いていますが、科学技術の進歩は自己満足のようなもの。
人はもっと不自由や不便を受け入れ、ほんとうに相応しいものは何なのか、しっかり見極める必要がある。

 

これを「ホンモノを見抜く目」と私は言い続けていますが、その言葉の意味さえわからない人もあるほど荒廃した社会をどうして立て直すのか。マネーに眩んだ欲の塊は、BSEと同じような運命を辿るのか。警鐘を警鐘といまだに受け取れない愚かな・・・

 

この辺でやめとこ。

2008年12月 7日 (日曜日)

葱買うて枯木の中を帰りけり 蕪村

ねぶかこうて枯木のなかを帰りけり 蕪村

 

ほんま、寒いですね。
この人は、ねぶかを持ってどんなおうちへと帰るのだろう。
誰もいないひんやりとしたところだろうか。
家族がスキヤキの用意をして待っている温かい団欒のなかなのだろうか。

 

寒波がやってきてぐっと冷え込むと、この句の温かみが身に染みるなあ。

 

自分の日記を拾い集めて巻頭言と後記をまとめました。
メルマガは来週の水曜くらいに出せるかな。

 

 

 

【巻頭言】

 

「三重の自然楽校」のHPのリレーコラム第109話で鳥羽水族館の帝釈元さんが「山の神に出会ったら…」という記事を書いてらっしゃいまして、昔、飯南の山中でドライブをしているときに山の精霊や神というものに出会い「畏(おそ)れ」を感じた経験に触れておられました。

 

それを読みながら私は、1996年、カムチャッカ半島クリル湖畔で取材中にヒグマに襲われ急逝した星野道夫のことを思い出しました。星野氏は、高校時代にアラスカの村を写した1枚の写真と出会い、それをきっかけに、慶応義塾を卒業したあともアラスカ大学で動物学を学び、極北の地に永住します。大自然や野生動物を追いかけ、クマやカリブー、クジラ、オーロラなどの写真を撮りエッセイを発表し続けました。彼の作品には、感動的な風景や動物たちの生態など伝えたいたくさんのことが写真をまじえて綴られているのですが、その彼が「人間と自然とのかかわりに」について「畏敬の念を抱いている」と書いていた箇所があったことが鮮烈に蘇ってきたのです。

 

帝釈元さんは「畏怖の念というものも、自然と付き合う場合には必要なんじゃないかな」と思い、「自然に対して畏れ多い気持ち」を持って自然と付き合いたい、とこの記事で書いてられます。

 

地球上の一部の人々は、電気などのエネルギーをふんだんに使い、この上ない便利な生活をし、満足度を高めこれを「豊かで幸せ」な暮らしだと思っています。ところがその過程で、あらゆるものに対し「畏れ多き」の念を持ち感謝をすることを忘れてきてはいませんか、と釘を刺されたような感じです。

 

12月は地球温暖化防止月間・大気汚染防止推進月間です。「暖房は控えめに。エコドライブを推進しましょう」はもちろんのこと、自然への「畏れ」を見直すこともプラスしてみようと考えています。

 

【後記】

 

いよいよ十二月を迎えました。暮れ行く年の後片付けや冬支度にお忙しいことと思います。

 

街角に散らばっている落ち葉がモミジバフウ(アメリカフウ)からイチョウに変化して、いよいよ秋から冬へと足を踏み入れたのだなと感じます。最後まで頑張ったイチョウですが、二十四節気の大雪を過ぎるころには一様に葉を落としてしまいます。

 

ふた昔ほど前でしたら、これらの落ち葉を拾い集めて街角で焚き火をする光景も決して珍しくありませんでした。しかし当節、焚き火はままならないこととなりまして、たなびく煙を見上げながら火に手をかざして、自然が放つ温もりを体感したり芋を焼くなどというチャンスがすっかり減ってしまいました。ちょっと寂しいです。

 

子どものころでしたら、冬を迎える前に済ませておかねばならないことが幾つかありました。山から切り出した薪を風呂焚き用に割ることや、北風を除けるための藁囲いを家の周りに組み上げるのを手伝うことなど、これらは子どもに与えられた年末の仕事でした。

 

障子張りを母と一緒にするのも冬支度のひとつでした。縁側には優しい光が降り注いでいまして、庭の花畑が冬枯色に変化しても、父の育てている菊は元気に咲いて、蜜柑の木には橙色の実が幾つもなっていました。

 

亡き人の亡きこと思う障子かな (宇多喜代子)

 

ちかごろ、こんな句をみつけました。「亡きこと思う障子かな」というところに人それぞれの情景があるのではないでしょうか。環境にかかわる仕事をするようになってから、このように自然のなかにゆっくりと佇むモノや営み、目線が気にとまることが多くなったなと感じます。難しい言葉を連ねることなく、優しく「環境」に接していきたいです。

 

少し早いですが、みなさま、よい年をお迎えくださいませ。

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    あるく - Walk Don't Run -銀マド 夕焼けの向こうまで─枯葉の舞う道をあなたと二人で/銀マド【自画像篇】

オートバイとともに(BIKEs)

  • 平成24年(2012年)最後の春(閏日)のKLE
    かつて
    バイク・ツーリスト
    だったころ

Walk Don't Run

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