苦い思い出
2005年6月26日 (日曜日)の日記に 『銀のマドラー〔回想篇〕』として、「黄色い麦わら帽子」というのを書いている
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あれは いつのことだったのか
小麦色の肌の
クラスメイトの女の子と
バスの乗り場で手を振って別れた
夏休みが終わるころ
教室の席がとなりの彼女に
電話を入れた
遊びに行っていいかい?
電車とバスを乗り継いで
灯台のある
小さな漁村に私は着いた
バスの停留所で迎えた彼女は
黄色い麦わら帽子だった
強烈な印象
16才の夏
バス停から灯台まで歩いた
真っ青な海と水平線を見おろした
町の一点を指さし
--- 青い屋根が見えるでしょあれが私の家よ
と教えてくれた
真夏の日差しを気にせずに
小さな漁村の狭い路地を
歩き回った帰りに
バス停まで見送ってくれた
それから数年して
彼女に手紙を書いた
名古屋の或る銀行に
彼女は勤めているという
涙が出るほど嬉しかったです
と書いた返事をくれた
東京の下宿に戻る時に
駅で待ち合わせた
でも 彼女は来なかった
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初登場は「別れの風景」シリーズで 「夏の終り(黄色い麦わら帽子)」(99/09/15)というタイトルだった
先日、ふとしたことから30年ほど昔の下宿生活のことが夕食の話題になりました。
あのころは、そういえば「レジ袋」というものは流通し始めたばかりで、世の中には殆ど無く、スーパーで買ったものは四角い紙袋に詰めて持って帰ってきたものだった。だから、ゴミ出しの日にはその紙袋にゴミを入れたものだった。そんな話から始まりました。
それもそのはずよ、コンビニなんてものも、ポツリポツリとしか見かけなかったし、大体、夜中に町をふらふらと歩き回ったりもしなかったでしょう。明かりも今ほど夜中まで煌々と点けていなかったかも。
ゴミの量も少なかったような気がする。むやみやたらにプラスチックやアルミの容器なんて使われていませんでした。エアコンだって、大学生の下宿にはありませんでした。ビールだって瓶ビールが主流だったしね。
しみじみと話し始めれば次々と昔懐かしいものは出てきました。そんなものを掘り起こしながら、そのネタをツマミに缶ビールの栓を抜くのもいかがなものかと自省しながら、もう一杯だけいただきました。ビールのおいしい季節になりました。
[編集後記]
夕食の会話の中で次々と苦い学生時代を思い出してゆく
ひとつのシーンがあり「儚い出会い・別れ」であった
(麦藁帽子も無くなった物のひとつ・・・という話題)
梅雨らしい天候が続いている
そろそろ大学もレポートや試験の季節
娘の日記(ミクシー)を見ていても
少しずつ切迫感が募っているのがわかる
🎋 試験
苦い思い出がいくつもある。
大学時代は、母校で最も歴史があり誇り高い電気通信工学科というところに居た
しかし、サボリ魔で、ちっとも講義には顔を出さず
梅雨の合間にひょっこりと顔を出して掲示板を見ると
「レポートは締め切りました」とか「試験は最終講義で実施したため、前期は実施しません」
と書いてあるのに何度も遭遇した
七夕のころ
こういう事件のことばかりを思い出しては、昔を懐かしんでいる
娘にもその話を何度もした
幸いにも、娘にはサボリ魔は遺伝しなかったようだ
こんな作品も残る
🔖 たなばたや浴衣のすそのその奥へ ねこ作
さて、「火の一句」考えよう。今年は載るぞ。
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