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2008年3月23日 (日曜日)

早春、県境林道を走る

[1]
祝・新名神開通ということで、鈴鹿山脈の「安楽越」の下をトンネルが越えていますので、旧道を越えてみました。

峠越えの道路は、そんなに険しくないけど、これより緩いところでも2度と行きたくないと泣いていた人がいたから、中の上クラスかもしれません。車がすれ違えるほどの広さはほとんどありませんが、舗装は綺麗ですし、土砂崩れも陥没などもありません。杉の落ち葉が道路一面に散乱して、茶色い絨毯のようになっています。折れた枝がときどき道の真ん中に落ちていたりします。猿などが千切り取って放置するのでしょうか。

安楽越えは景色もいいですし、山は峻険で勇壮です。なかなか、楽しい道です。もちろん、ガードレールはない。
落ちたら、1週間は行方不明となるでしょう。

山の中には、春の香りと花粉が充満しています。綺麗な花粉は大丈夫。痒くならない。
風のせいで涙が出ますが、それに花粉が付着して、家に帰ったら目の周りが花粉でどろどろでした。

ミスコースをして、安楽越にいく前に左折してしまい、鈴鹿峠の三重県側のふもとの在所へと降りてゆく林道を往復してしまいました。鹿がいまして、行きにも帰りにも私の前に飛び出してきました。


[2]
峠を越えたら、次は信楽へ。

広域農道がたくさん出来ているのですが、天性の勘を使って信楽を目指します。マツタケを採りにくる山道じゃないか!っていう感じの細い細い県道を走り続けます。前から車が来たらどうなったかわからんけど、会わなかった。良かったね。

遠回りでも、幹線の県道を走った方が早かったかもしれません。太陽と山の姿を頼りに信楽を目指しました。


[3]
知る人ぞ知る。信楽から南山城に繋がる広域林道。

昔は、全面未舗装だったのに。今は全面舗装になっています。

多羅尾の集落から西へと入っていきます。車もすれ違える箇所が割りと多く、地元車も生活のために走ってます。

なんと、オンロードバイクに2台、オフ車に3台ほど、すれ違いました。地図に載ってて有名になっているのかも知れません。

この林道は、中級クラスで走れるでしょう。全面舗装ですしね。
景色は、ところどころで山が開けますが、それほど感動的なものでもないです。
御斎峠の方が見晴らしはいいです。

2008年3月20日 (木曜日)

 すっかり春めいてきました。

 朝夕が幾分温かくなって、起きるのもちょっと楽になってきました。

 お天気のいい日には外へ出かけてリフレッシュしたいものです。

2008年3月16日 (日曜日)

京都日記 -みたらし屋さん・みよしやー

光悦寺は、ご先祖様からのお寺です。今や観光の名所としても歴史の教科書にも出てくるので、かなり前にお参りに行ったきりなので再訪したいと思っている。

 

にもかかわらず、お団子屋さんを優先して、四条河原町へと出かけてしまった。おいおい。

 

オーパに行ったりブックファーストでぶらぶらしたり、サンマルクカフェでお茶したり。
こんな感じのカフェが増えたなー。文化は若者が作るとは、まさにそのとおりなのかもしれない。
オーパサンマルクカフェ

 

さて、南座の向かいにあるみたらし団子屋さんを目指そう。

 

高瀬川を横切りながら、ソアレの看板が今でも昔のままなのをさり気なく確認してしまう。
そう、みゅーずがなくなってしまったことも見届けたりしながら。
今は、焼肉屋さん。チファジャ 四条木屋町店に変身しているのだ。
(これも時代の変遷。)

 

 

お団子屋さんの名前は「みよしや」。
南座のまん前だった。

 

閉まってる!
ああ。

 

二人の若者が「ここは5時からや」と話しながら通り過ぎていくのを聞き悔しかった。
なんや、有名な団子屋さんなんや。ミーハーな私としては、また来ることを誓った。

 

絶対にまた来て、帰りにチファジャの焼き肉食い放題で飲んだ暮れてやる。(3千円)

 

レジ袋考

京都日記は、また別に書きますが、用事で別宅に行っておりました。
ジャスコでレジ袋を受け取る人は、皆無に等しくなりました。
エコバック政策としては一応の成功と言えましょうが、なんだか悶々としたものを感じざるを得ない。

確かに本を買ってもカバーをつけますか?(いいえ) 
袋に入れますか?(いいえ) 
ではレシートをお持ちくださいね、
と言う対話は今まで無かったことだから大いなる進展だ。しかし一方で、百貨店の空調は過剰だし、音楽や照明は営業のためとはいえ、顔をしかめたいほどのところもある。もっと、地味でもいいんじゃないか。これだけ地球温暖化でバカ騒ぎしているのに。
と、そんな、ジジイの小言のようなことを思いながら、若者の町OPAを散策していたりする。

以下、京都日記へ。

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レジ袋考察

レジ袋の削減が、予想以上に速いスピードで定着しつつある。
その一方で、何故、レジ袋が目の敵になったのかが、大いに忘れ去られつつある。

レジ袋は、かつて、長い歴史を辿っても素晴らしい発明であったはずだ。人間(ヒト)の知恵の素晴らしさを称えることは必要だろう。しかし、限りある石油資源の枯渇が目前に見えてきたこと、ヒトの暮らしの中で便利さを追求する副産物として、二酸化炭素の排出量が地球の温暖化に大きな影響を及ぼしていることなどから、目の敵になったわけですね。

ヒトは無駄なことをして二酸化炭素を排出する。しからば、その無駄をやめることが必要だという論理です。

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「辛い思いをしないで、または、さほど苦労しないで私たちの暮らしの中でちょっとした工夫を重ねれば、地球温暖化を防止するのに役立てるんだよ。」

そんな意味の宣伝や標語、キャッチコピーがあるが、明らかに生温い。


改訂版提案。

私たちの暮らしは、もはや、大きく地球温暖化に向かって加速するようなことたくさんしているんだよ。

自動車に乗ること、深夜にテレビを見たり、灯かりをつけたりしていること。

こういうことは、ヒトの本来の暮らしを考えたときに、レジ袋どころじゃないほどの無駄をしているんだ。

だから自動車に乗ることや乗らねばならないときは、排気ガスの少ない車に乗る工夫をしたほうがいいね。大きな車は快適なんだけど、快適さを辛抱したり少し不便をしても我慢をするべき時代だと言えると思うよ。
深夜までテレビを見たりして楽しい暮らしだってやりたい気持ちは分かるけど、見直さなきゃいけないの。

こういうことを、社会全体でやることが、レジ袋を削減することよりも遥かに本質を見据えた大いなるアクションなんだ。

世の中を変えてゆくことは、私たちが痛みを我慢して、お互いが一丸となって暮らしを改善することなんだ。

レジ袋って…
行政指定のゴミ袋として使えるように設計しなおして、指定ゴミ袋価格で(環境税なども加算して)堂々と販売すればいいのに…
とふと思った。考察する価値はあるかも。

2008年3月 9日 (日曜日)

ゆびきりの指が落ちてる春の空 坪内稔典

真っ青に澄み渡ることもない空を見上げていると、隣家の屋根の蔭から素早い動きの鳥が現れて窓の前を横切っていった。暖かい陽射しが差し込むものの、真冬のように部屋の奥まで届かなくなってきた。着々とエネルギーを貯めてゆく地球の本能のようなものを感じる。

 

三月も中旬を過ぎると、学生さんたちはソワソワとするのだろう。別れるということと出会うということ。今の季節に囁かれるこの言葉にはホロ苦い響きがある。指きりをして別れてゆく人たち。

 

┘┘

 

誰と指きりを交わした友がいたわけでもないが、何となく別れを惜しみつつ、永遠の別れでもないのだからと突っぱってみたりしながら、未来の健闘を祈りあって祝杯をあげたのも三月の下旬のことだった。

 

悔しきかな、著名人になっている仲間も幾人かいる。ネットで名前を叩けば活躍ぶりが見えてくるのだが、自分の情けなさも見えてくるからちょっと寂しいものもある。しかし、よく考えてみれば私なんぞにそんな名声が得られるわけなく、田舎の蟄居で虫の如く暮らしてこれたのが似合いだな、とつくづく思う。

 

北の丸公園の桜はまだまだ固い蕾であったが、日本武道館での卒業式を終えた後、母校までの道のりを、そんな桜を見上げながら帰ったように記憶している。風は冷んやりとしていたものの、コートは着ていなかったと思う。卒業写真も残っていない。

 

┘┘

 

あのころの私はムズムズしていた、というのが割と当たっているかもしれない。就職が決まって、これから何ができるだろうと闘志を燃やしていた。少なくとも24歳の春は結構、熱かったはずだ。

 

花粉のせいでもないのに、春の空を見上げて闘志を燃やしてムズムズしていたときがあったのだ。だからこそ「おい、初心を忘れるなよ」と自分を叱咤するためにも、春の空を見上げてみるのことも必要かもしれない。

 

 

こんな句もある。

 

 がんばるわなんて言うなよ草の花 坪内稔典

 

もう、万歳!と叫ぶしかない。俳句。

 

 

┘┘

 

メモが残っている。

 

----

 

夢を追い幸せを食べる虫

 

未知なるものに好奇心を向けて、様々な方法によってこの欲求を満たそうとしてきた。そんな気持ちを殆どの人は、もともと持っているのではないだろうか。

 

山の向こうには何があるのかと、日没になると母親に尋ねた子どもの頃の方が、今よりも遥かに私は、学者だったようだ。

 

子ども心を棄てきれずに「夢を追い幸せを食べる虫」(自称)である私は、前にある未知なるものを見つめられるよくきく眼と、それを輝かせるに足るだけの涙を、今年もまた追いつづけることになるだろう。

2008年3月 7日 (金曜日)

ジンクスが風上へ誘う沈丁花

成人式にも出る暇もなく日夜机に向かい臨んだ試験であったが、残念ながら満足な感触は無いまま三月を迎えていたと思う。

 

駅までの歩き慣れた道路のどこかで、沈丁花の花がぷんといい匂いを放っているところがあった。進級発表の日に匂いを嗅ぐと期待が叶わないというジンクスがあるのだという話を聞いて、些か気に掛けていたものの、住宅街を歩いてこの花に遭遇しないで過ぎることは難しい。

 

当時は、今のように「留年」という言葉があったものの「落第」という呼び方もしっかりと使われていた。

 

正門を入り階段を駆け上がり教養棟の進級発表の掲示板を見たときに自分の名前が(というか番号だったはずだが)無かったときには、多かれ少なかれ予想はしていたものの、足が震えるような感覚と目の前が渦巻くような衝撃を受けた。

 

まあ、落第というお仕置きを食らったのだが、学友は二倍に増えたし、肩の力も抜けた。思い切り古本屋通いもさせてもらったことだし。そう思うとそこで吹っ切れて、卒業までの後半戦は、結構自分でもアッパレなほどに専門過程に打ち込んだものだ。

 

1970年代。
学生は、今の若者のように豊かで満足に満ちた暮らしをしてはおらず、勉強にも生活にも不満があった。送り出す方の家庭にもそんなに生活に余裕があったわけではない。「勉強をやりたくて進学した」大学であったが、ウッカリしていると「無理に勉強する必要も無いし遊びに大学に行くくらいなら早く就職しろ」という父の苦言が飛んだ。(実は今でも)寝言に魘されるほどであったのだが、それを押し切って東京にしがみついた。

 

--

 

その二年前、下宿を決めたあとで文学部のS君と昼間からビールを買って穴八幡付近を彷徨いながら合格の乾杯をしたのを思い出す。

 

S君は、仙台で四年浪人をして、七年ほどかかって卒業していった同僚だ。そういう青春もあったのだな、俺たち。

 

沈丁花の花が咲く季節になると、あの頃、愛用の下駄を引っ張り出して颯爽と街へ出かけるときの清々しさを思い出す。恋人なんてぜーんぜん欲しくなかったなー。青春は輝かしいもので、夢は儚きもの、です。

 

穴八幡

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2008年3月 5日 (水曜日)

(計画)奈良方面 麺ツー

3月2日にバイクを動かしたら、動いてくれました。
良かったよ。ほっとしたわ。

で、早速、3月下旬に出かけてみようと、こんな予定を立ててみた!

どうだ!

平日に行けるかな>みんな

◎ 笠蕎麦を食う。

◎ 三輪そうめん(にゅうめん:森正)食う。

◎ やまなみロードを走る。

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