芋峠から明日香村へ
カレンダーも残り3枚となって、嬉しいような哀しいような気分です。
10月。
柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺 正岡子規
深まる秋にこの句を思うと、人それぞれの秋が脳裏に浮かぶことでしょう。
子規は「法隆寺の茶店に憩ひて」と前書きしながらも、この句を東大寺で詠んだといいます。聖徳太子の勇壮な姿が斑鳩を駆けまわった飛鳥時代に思いを馳せていたのでしょうか。
そこで私も例に漏れず、あたかも子規の演出に釣られるよう風情を探しに、奈良盆地方面へと県境を越えたのでした。ひょいと明日香へ。
10月6日。
東吉野から明日香村へゆく峠を芋峠といいます。アスファルトの両脇が緑のコケで覆われている寂れた山道です。木でこしらえた手作りの道標のとおりに峠道を越えると明日香村に出ます。色づき始めた山あいの棚田で黄金色の稲穂が秋風に波打っている風景が広がります。所々で稲刈りが始まっていて、懐かしい稲架掛け(はさがけ)も見ることが出来ました。
脱穀の風景も変わりつつあります。刈り取った稲は生のままで脱穀して、石油などの燃料を使って乾燥してしまいます。したがって、刈り取ると同時に切り刻まれてしまう刈穂は、「すすきぼうし」になれぬまま、土に還っていってしまうのです。
こんなところでも文明の合理性が採用され、その引き換えに小さなものを幾つか失ってきたわけです。
秋の田のかりほの庵の苫をあらみ我が衣手は露にぬれつつ 天智天皇
「あ」から始まるので覚えていました。明日香地方を散策しながらふっと思い浮かんできた歌ですが、この情景も失われつつあるモノのひとつのようです。
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巻頭で書きました「秋の田の」…の歌は、高校時代に徹夜で覚えた百人一首のひとつで、腕力で「あ」から覚え始めた成果もあって、30年以上の年月が過ぎても覚えていたのかなと思います。
明日香村稲渕地区で超のんびりしていました。このあたりは「かかしロード」と名づけて9月にはイベントも行われています。彼岸花が真っ赤な花を、黄色い棚田の間に点々と咲いています。
ハイキングやウォーキング、アマチュアカメラマンが溢れ返っていました。
細い道をゆっくりと抜けて石舞台古墳の前で少しまどろんでいました。久しぶりに来ましたが、人は多いものの、割と落ち着く公園です。
ちょうどお昼の時刻でしたので、笠そばに行こうと思い立ちました。長谷寺の山門前を抜けて山の奥へと入っていきます。二度目です。蕎麦の花は刈り取ってしまった後でしたが、大勢の人で賑わっていました。
奈良県の山中のB級・農道(村道)を堪能して帰ってきました。3連休の後ろの2日間は仕事でした。お疲れ様>自分
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