ひなまつり
私には姉があったというが一年余りで逝ってしまったというし、弟があるだけで女兄弟はいない。したがって、私の母は生涯お雛様を飾ることはない。
母は生まれてまもなく父親に死なれて、貧乏な家だったことや終戦ということもあり女学校を中退している。
だから、炬燵に、といっても昔だから炭を囲炉裏の中に入れて使う炬燵だが、足を入れながら夜なべに編み物をする母が「あかりをつけましょ、ぼんぼりに」と歌ったのを、私は一度も聞いたことがない。
だが、母は歌が好きで、よく、どこか遠くを見るようなしみじみとした目で歌った。
・こちふかばにほひおこせよ梅の花あるじなしとて春な忘れそ
・春は名のみの風の寒さや谷の鶯歌は思えど時にあらずと声も立てず
母は花が好きで、花壇にはいつもたくさんの花が咲いていて、学校へ行く折にもそれを切って私に持たせてくれました。生け花もできたので、少し私も教わりました。
そんなことが遠因なのか、私は花の名前をこれといって知るわけでもないのに、京都を離れるときに仲のよかった人に「将来は家に帰って花屋をしたい」と言ったことがある。
そしたら、別れ際にその人に「素敵な花屋さんになれるとええね」と見送られた。
なかなか夢は叶わない。
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よめさんの母の三十三回忌で京都にいる。
彼女の母は、中学校の卒業式の前日に逝ってしまった。月日の過ぎることの速さを思い起こし、彼女は何を思っているのだろうか。
今年、娘は大学生となって家には居ない。だから、我が家のお雛様は仕舞ったままだ。
もう出す機会はないかもしれない、、、とふと思った。
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