なあ、父よ
よめはんが泣いてばかりいる。
子どもが京都に行ってしまうから寂しいのだ。
♪♪迷子の迷子の子猫ちゃんあなたのおうちはどこですか
おうちを聞いてもわからない名前を聞いてもわからない
にゃんにゃんにゃにゃん泣いてばかりいる子猫ちゃん ♪♪
覚悟をしていたといえばそれまでだが、いざいなくなると、ひとりの部屋を静けさが襲うのだろう。
新聞をテーブルに置いても、ときに手が滑って皿を落として割ってしまったとしても、その反響音は部屋に響くことなく、大地で手のひらを打ったように時間に吸い込まれてゆくことだろう。
三十年前に私は家を出て東京にゆくと言い出した。東京のある大学にどうしても行く必要があるのだと私は父と母に言った。二人は、何もそれ以上を尋ねることはなかった。
母は、用事を見つけては荷物を送ってくれた。食い物や着物を箱に詰めて、都会でも簡単に手に入るものさえ詰めてくれてあった。そして、父からは、いつも、鉛筆書きの手紙が一枚あっただけだった。
「お金のことは心配しなくていい、しっかり勉強しなさい」
と書いてあった。
私の母は、私が荷物ひとつだけもって、東京へと出かけていった日に泣いたのだろうか。
そんなことは、今やどうだっていいことかもしれない。
私がそのことを今ごろになって気にかけていることが、おかしい。
犬のおまわりさんはさぞかし困ったことだろう。
私の父もあの晩、泣いたのだろうか。
新しい天地に踏み出す歓び。そんな感慨は簡単には得られない。
「その心を一生大事にしなさい」、と私は思う。父は、そう何度も頷きながら泣いたのだろうか。
なあ、父よ。
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