誰が・誰を・襲うのか
大雪と風の被害のニュースが跡を絶たない。猛威をふるうという言葉のイメージのように、牙を開けて襲い掛かってくる姿を想像する。
「誰が」「誰に」襲い掛かるのか。
地球が或いは地球という大いなる自然が、あとからやってきて勝手放題の人類というモノに対し、怒っているのではないか。そう考えた人も少なくはなかろう。
二酸化炭素をまき散らし、地面を掘り起こし、水を濁らせ空気を汚しているのだから反論の余地は一切ないはずだ。
みんなの英知を絞って、私たちの地球のために…と声高々に叫ぶ人がいる。一見正しそうだが、ちょっと待って欲しい。もともと、「私たちの地球」じゃないのだ。地球に住まわせてもらっているのだという畏敬の念を忘れている。
全てはここから改めねばならない。
海水の温度が上がっている、局地的な豪雨が増えている、などの警鐘に混じって、豪雪、水不足、異常低温や異常高温のニュースも珍しくない。それを受けて、学術的なあらゆる人々の意見が飛び交う。科学技術者は、この百年で自信をつけた技術をさらに発展させて解決したいという。自然系の人々は、地球の本当の姿を取り戻すのだという。経済学者は、環境問題の解決と経済学の両立を叫び、哲学者はあるときに反論をする。
数々のイデオロギーがぶつかっても新しいものが見えて来ない。それは、全ての理論者たちが全てのプライドを懐にしまって、地球の怒りに耳を傾けることから始めるべきなのだ。
さらに言ってしまえば、長い歴史の果てに必ず人類は滅亡の危機にさらされるのだとすれば、いっそうのこと、宇宙の中に悠然と存在する地球に大いなる自然を返してしまってはどうなんだろうか。
大規模な停電が発生する。電気がないと困る事態が幾つも連鎖的に起こってゆく。自分たちの暮らしのために、自分たちが潤うために考え出したものばかりが、次々と静かに侵されてゆく。
自然が襲い掛かる姿には激怒する震撼もなく、俄かに人が築き上げたちっぽけな知恵に、静かに襲い掛かる姿には、哀しさをおぼえる。
人は考える能力を、他の動物たちよりも多く備えたための宿命なのかもしれない。
ただ、その暗闇の夜の中で(私の場合は行動に大きく制限がかかる時間を強いられながら)、静かに社会のあるべき姿を考え、もっと不自由な社会で暮らすという道を選択するしかないのではないかと、ひとつの確信に似たものを持ちました。
地球と、人間以外の動植物たちが築き上げた自然系の輪の中から、はみだしてしまった人類。それがオマエたちのプライドを傷つけるのですか。ああ皮肉なことです。
停電の影響で不自由を強いられた方々、度重なる風雪の被害を被られた方々には、お見舞いを申し上げます。
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【塵埃秘帖 平成17年・年末号】
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